頂いた生命保険会社の冊子に日本酒の話が載っていた。
この話を二文で要約すると『本物の美味しい日本酒を飲む機会がなく、日本酒嫌いとなる若者も多い。蔵元は本物の伝統的飲食物(日本酒)を消費者が味わえる機会を増やすように取り組むべきである。』くらいだろうか。
ただ、どうしても、気になるのは、そこではなく、
いつもまずい日本酒を飲んでいる大学生に、杜氏さんはまず美味しい日本酒を出す。
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学生は、目から鱗となる。(日本酒もいいかもと思う)
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杜氏さんは、別の(まずい)日本酒を出す。
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学生はこれは、いつものまずい日本酒だよ。
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杜氏さんは苦笑いしながら、『これは私も社長も本当は売りたくないうちでは一番安い質の良くないやつでね』という部分である。
この最後の部分である。蔵というのは、本当は売りたくないのない酒を売らなきゃならない不幸な仕事なんだろうか?(文脈としては酒のコスト的制約から)
多分現実的には、そういう蔵もあり、そうでもない蔵もあるだろう。
ここ10年で志太泉は売りたくない酒を売らなきゃならないという状態となる事は格段に減った。
そこだけは少なくとも進歩してると思う。
但し、コストからの呪縛から逃れても、酒造りは、もろみ1本でも失敗すれば、売りたくない酒が出来てしまう。
なかなかそういう意味では、厳しい仕事だ。