ニューミュージックを聴いていた親の子供はボカロを聴くのか?
あるいは、おニャン子ファンの親の子供はAKBオタか?
ジャニオタは遺伝するのか?
えーともう少し一般化すると音楽的な嗜好性は血縁的次世代に伝播(あるいは電波)するのか?
それを考えると、生物学的に遺伝するのか?
あるいは家庭内(親族的)な文化的な事象として引き継がれるのか?
という二系統に分かれるような気がする。
どこのどこの遺伝子の違いにより、なんらかの音やリズムを好む可能性(あるいは嫌う可能性)があるかもしれないが、暫定的にはそこまではわかりやすい違いはないような気がする
ものすごくこじつけると、むかしあるところで突然変異である蜂の羽音を好む人が生まれた。その蜂の羽音に導かれ進むと美味しい果物が見つかる。その蜂もその果物が大好きだから。そのため、その蜂を好む人たちの子孫は果物を容易に発見できて生存率が高まって行った。ある種の音楽には、蜂の羽音と共通性があるとか。果物を見つけるのはは単なる学習かもしれないし、書いていて馬鹿らしくなってきたので、やっぱり、違いはないだろう。
それに比較すると、文化的な事象の伝播というのはわかりやすくあるだろう。
けっこう、人間は生れた時は白紙の存在で、後天的に嗜好は染め上げられるというのは説ではあるが、メジャーだ。
それじゃあ、徹底的に、この分野を突き詰める人が少ないのは、結局高尚な音楽を聴いていた人の子供は偉い子供になるとかという自慢話とか、かっこ悪い音楽を聴いていた親の子供は趣味悪いとか、なんか聞きたくもないつまんない話になるのからかなと思っている。
”ニューミュージックを聴いていた親の子供はボカロを聴くのか?” 石原裕次郎、八代亜紀、百恵ちゃんを愛聴する親に反発してパンク・ニューウェイブ、インディースを背伸びして聴いていた私はアラフィフに至る現在、アニソン・ボカロを好んで聴いております(^^;)。
でも、ときには演歌の哀調を帯びた旋律に居心地の良さを感じてしまうのはやはり家庭内(親族的)な文化的な事象として引き継がれるものが...影響しているのでしょうか?
酔っ払いの戯言、すみません。リアルの同世代にはなかなか理解されない”ボカロ好き”ですが、志太泉ファンということでお許しください(汗;)
反発したまま、そのまま行くか、親の感じてた良さがわかるのかそれは、人それぞれです。
私は演歌≒ニューミュージック≒ストリートアコースティカル弾き語り系というニアイコールの時系列的な流れを一般的に感じる人が多いと思いますが、意外と演歌≒ニューミュージック≒ボカロってありではないかと思っています。
リアルアラフィフには、ボカロの認知度はかなり低いと思いますが、私も偶然にボカロを聴いて面白でも暗いなあと思いました。まあ暗いのもいいことです。
また今後とも志太泉をよろしくおねがいします。