syuの日記・気まま旅

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真鶴から多賀

2014-11-13 | 気まま旅

真鶴町は、神奈川県足柄郡、県南西部、地名は、鶴が羽を広げた形から。
地場産業の一つ「小松石採掘り」は、知られている。小田原築城・江戸城築城に用いられた。他に、ミカン・漁業・観光(三ツ石)真鶴岬の相模湾に
突きだした先端部の海食崖は、箱根火山の溶岩流で出来た台地で、奇岩が多い。
真鶴半島は、県立自然公園になっている。
                     JR真鶴駅


「本小松石」真鶴町でしか採る事のできない石。それが本小松石で、 真鶴半島は、箱根火山の外輪山の形成過程(約40万年前)に溶岩流が海に押し出された事によって出来た。
地表に流れ出した溶岩が急に固まったもので安山岩として産出される。マグマが最初から最後まで、地中でゆっくりと固まった花崗岩と違い、
地表に流れ出したマグマが急に固まった安山岩は、固まる時すでにそれぞれの形に分裂、石は、最初から割れ石として掘り出される。
大きな石、小さな石、掘り出される石の大きさを人間がコントロールすることは出来無い。独立した形で掘り出される本小松石は掘り出される地層によっても密度も色も全て違っている。
内部の色とは異なった茶褐色の皮に包まれ、独立した形で掘り出されるので一種、完成品のように生まれ、その素材に手を加えることによりさらに、新しい温かみや、やわらかさが加わります。墓石に適する。
本小松石は、磨きによって表出するきめ細かな石肌、独自な色味と希少性などが特徴と云える。

                      早川石
  

江の島に事業家雨宮敬次郎の発案により人力で車両を押す人車軌道に規格を変更し、雨宮と地元有志が共同で「豆相人車鉄道」を設立して1895年から1900年にかけて漸次開通させた。

ここ真鶴でも人車軌道・豆相人車鉄道が、1920年には廃車している。

                   豆相人車鉄道
  

      コースは、吉浜ー坂口駅(現真鶴駅)-黒田長政供養碑ー小松石採場(龍門寺付近)


「荒井城址公園」
真鶴駅近く、「荒井城」があった城跡を公園に整備した。
荒井城は、後三年の役 1083年に源義家の配下であった「荒井実継」の本拠地だと言われているが、その後鎌倉幕府の時代には、荒井氏に代わり源頼朝に仕えた湯河原の有力御家人である「土肥氏」の持ち城になっている。
戦国時代には後北条氏の烽火(のろし)台として機能していたと伝えられている。

城址とは言うものの、城跡を彷彿とさせる跡はほとんど無く、空堀と呼ばれる跡が残るのみ。

                   荒井城址公園入口付近
    

「土肥 実平」
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。
桓武平氏良文流中村宗平の次男。小早川氏の祖とされる。相模国の有力豪族中村氏の一族で、足下郡(現在の神奈川県足柄下郡湯河原町および真鶴町)土肥郷を本拠とし早川庄預所を勤め、父や弟の土屋宗遠と共に相模国南西部において「中村党」と称される有力な武士団を形成していた。
(現在のJR東海道本線「湯河原駅」から城願寺城山の辺りが居館)。
平家に追われた源頼朝を真鶴・岩海岸から千葉に船を出している。

                      本丸付近


真鶴のシンボルともいえる、三ツ石海岸。浜辺から約200mに渡って続く岩礁の先に、3つの巨大な岩が顔を出している。
笠島とも呼ばれている。磯遊びにも適し、干潮時には岩まで歩いて行く事もでき、真鶴の人気のスポット。
半島に沿って海岸線を歩け、「潮騒遊歩道」もある。

                     真鶴岬と三ツ石
  

真鶴の貴船神社・貴船祭りは、毎年7月下旬、航海安全祈願の神輿渡御式は、迫力。

「三ツ石上階段の、見晴らし台休憩所」
常に、色付いた花々が咲き誇っているレストラン喫茶、地元のママさんが真鶴の情報を提供してくれる。
    

「多賀海上花火大会・百八体かがり火」で知られる多賀は、熱海と網代の間、伊豆多賀駅下車する。
多賀湾の夜空を色鮮やかな花火・長浜海水浴場北突堤から打ち上げられ、花火会場近くに住民が用意した約3キロにも及ぶかがり火が海岸線に並び
壮観な景色が広がると云う。地元では、熱海の花火に劣らないと自慢する。

相模湾は、三浦半島から湘南海岸、伊豆半島へと東西に広がる大きな湾、その西側が熱海市街から伊豆半島の小さい湾がある。
熱海市街の温泉街の隣に小さな町、多賀、漁港網代に当たる。、
湾岸には国道135号が走っており、伊豆の山稜が海岸に迫っているのでそれほど広い地域ではない、海岸美の繰り広げられるリゾート地と兼住宅地となっている。
多賀の海は東に開けていて、非常に明るい。沖にはマリーンスポーツの島”初島”が浮かんで、多賀の海に出る朝日は、ことに”素晴らしい”の一語。

与謝野晶子は、「風涼し ひがしの伊豆の 多賀に見る 水平線のめでたき日かな」と詠んでいる。
「与謝野鉄幹(1873-1935)・晶子(1878-1942)」
夫妻は、伊豆吟行の折、熱海のここ、多賀にも足をはこび、数首の歌を残している。
夫妻のこの歌碑は多賀の海を一望できる熱海市多賀に碑が建てられている。
多賀の景観を詠んだ。
                 熱海市上多賀・長浜海岸、与謝野晶子歌碑
  

「秋葉灯籠」
火伏せの神、遠州秋葉山への秋葉講が多賀にもあり、火を大切にする心、火の恐ろしさを忘れてはならないという 秋葉神社に対しての信仰から、この灯籠が奉納されましたと云う。

    

海側を背に伊豆特有の急山坂道を1km以上の登った。高校を過ぎると今日の宿泊民宿・みはらし・に。いろいろお世話になり有難うございます。 

    国道135号線          民宿みはらし玄関          
    

宿を出るとすぐ、95才のおばあさんと立ち話、息切れも無く元気。旅は、楽しい。 

    地元の95才元気なおばあちゃん           山道を下り終わると多賀神社
    

上多賀の「多賀神社」

鳥居をくぐり、境内に入ると数本の背の高い木が枝を広げ、社殿左の大きなクスノキが立派である。
境内奥に拝殿があり、後方に本殿で、参拝する。
神社の創祀年代は不詳、 一説によると、往古、山中に山王の祠があった。近世になり、日の御影と呼ばれる木像が浜に流れ着いたため、山王の祠を、
ここに遷し、伊弉諾尊・伊弉册尊の二柱を祀ったという古社。
日少宮と称するようになり、、漂着神を祀る神社っているという。。山中の旧跡には、影降石が残ると云う。

神社巨木・神木                     拝殿
    

神社は標高227mの向山を背にして集落の中央に鎮座する。
前方に海をひかえ、背後に山地をもち、西には清流の大川があつて、地形上からみて古代人の居住には好適地であつたと思われる。
縄文時代から歴史時代初期にわたる集落の跡であつて、古墳時代を中心とする古代の祭祀遺跡。
本殿の裏にある神木(梶)の根株からは祭祀遺物がおびただしく出土・発見されて、地主神の石祠のそばにある大石は、神霊を迎え、その前で祭祀を行なう磐座とみられると云う。

     境内の夫婦石
  

伊豆終わります。