syuの日記・気まま旅

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国府台 弘法寺ー桜散歩 2

2016-04-06 | syu散歩
2016年3月31日現在

市川の弥生時代・古墳時代は、各地に集落があった。大集落に「須和田」が出現した。古墳も多く、弘法寺古墳・法皇塚古墳・明戸古墳は、
前方後円墳で真間山古墳の円墳が残っている。
645年国府台に「下総国府」が置かれ、政治・経済・文化の中心地であった。

              日蓮宗・弘法寺、真間山山門から


                   仁王門(運慶作)
    

                  弘法寺境内の桜並木


                   樹齢400年の枝垂れ桜




           6000~3000年前ー市川北部の台地・段丘に多くの貝塚が


              古くから桜の名所、真間の住宅地が
  

濃幾観世音菩薩          弘法大師真筆額  日蓮聖人親刻大黒天が
    

「山部赤人」生没不詳・奈良初期宮廷歌人ー柿本人麻呂に並ぶ歌人
万葉集に49首・赤人は、歴史書に出てこず、下級官人だったのか?。藤原氏と親しい関係にある。(政治的不遇を寓意した作品もある)
風景をおおらかな表現が多いので国府の役人を歴任したと云う。

「葛飾の 真間の入り江にうちなびく 玉藻刈りこむ 手児名し 思ほう」-山部赤人・挽歌ー

          玉藻は、食料か・加工か・神に捧げるのか・・・。
    

われも見つ 人にも告げむ 勝鹿の 真間の手児名が 奥つ城ところ(城は墓)

             弘法寺「手児奈霊神堂」
  

                お堂 


真間は、沢山の洲があり、それら洲の間に「渡し橋」が万葉集に歌われている

           境内に風雪に耐えてる松一本(真間には老松が多い)


行かむ駒もが 葛飾の真間の 継橋やまず通はむー馬が欲しい
  

1635年弘法寺の隠居寺の「亀井院・瓶井坊」の本堂裏手に万葉集歌人「高橋虫麻呂」の歌
「真間の井の歌ー勝鹿の真間の井を見れば 立ち中し 水汲みましけむ 手児奈し思ほゆ」

伝説の美女・手児奈が水を汲んだ「真間の井」-北原白秋も使っていたと云う
  

             万葉集に十首あると云う
  

「継橋」は、奈良・平安時代から鎌倉時代前期にかけての歌枕(歌の名所)で多くの歌人が詠んでいる。
  

               「つぎはし」で結ばれていた
    

            「継橋」 都にも知られてたー真間


次回は、真間川の桜を