syuの日記・気まま旅

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変貌する―六本木

2016-04-12 | 気まま旅
「六本木」-都港区・北西ー中央を六本木通りと首都高3号線が横断で6本の大松の巨木があったのが地名の起源とか言っていたがどうか、もう一つが
6大名の名「上杉・朽木・高木・青木・片桐・一柳」中屋敷に由来するとも云う。
戦時中は、第一師範歩兵3連隊跡が、大戦後、米軍兵舎と兵相手の歓楽街や商店街から現代のオフイスビル・大使館・マンション・・・が。
朝・夕は、高層ビルの勤務者などで、ごった返している。
狭い土地に高層ビルが乱立している。

 「太閤しだれ」の小さな細い木が一本、なぜ六本木に?      路上に巨木が
    

昔、懐かしき坂道もビルの地下や間に挟まれていた。

           御組坂                  森ビル
    

 

道源寺坂                              スペイン坂
    


                            行合坂
    

高速道3号線                     森美術館のあるヒルズ
    


「村上の五百羅漢図展」ー森美術館・ヒルズ53階・有料ー


    

五百羅漢、釈迦没後、第一結集・第四結集に集まった「五百人の阿羅漢」の人達で、聖者の最高の境地である「阿羅漢果の悟りを開いた弟子」が
500人いた。中核の十大弟子ー知恵シャーリプトラ舎利子・神通マウドガリヤーヤナ目連・頭陀行マハーカーシャパ摩訶迦葉
天眼アニルッダ阿那律・解空スブーテイ須菩提・説法プールナ冨楼那・広説カーテイヤーヤナ迦旋年・持律ウパーリ優婆離・密行ラーフラ羅ご羅
多聞アーナンダ阿難・アングリマーラ・チューダパンタカ・ナンダ・・・。


    

世界で最も評価の高い現代美術家の一人「村上」氏は、増上寺所蔵の「狩野一信」-五百羅漢図ーから着想をえて制作した。「五百羅漢図」が
初めて公開された。中には、全長100mの超大作絵画が。本日は朝から女性客7割男性若者2割の大盛況で長蛇の列。


  


    


  


    


    


    


  

                                 53階から見た下界
    


永井坂                東京タワー        臨済宗 金地禅寺
    

「臨済宗 金地禅院 江戸三十三観音札所二十八番」
創建は、元和5年の1619年、江戸城田安門内にあった寺。
現在の地に移転したのは、1638年、三大将軍家光公の命によるものであるという。

江戸名所図会に描かれている金地院を見ると、広大な寺領に本堂・方丈等々大きな伽藍を有していた。1786年、1811年、と、二度の火災によりほとんどの伽藍を焼失したという。
更に、昭和20年の東京大空襲により全てを焼失、現在ある本堂は、本尊聖観世音菩薩と共に昭和29年、再建されたもの。

東京タワーもこの焼け跡に、 本堂ー禅宗のお寺で、石標に刻まれた「世外勝境」の文字からもその雰囲気は伝わる。
    

徳川将軍菩提寺「大本山 増上寺」

二代将軍秀忠公御霊屋「台徳院殿霊廟」が増えされていた国宝指定建築群戦災で焼失


                   境内と梵鐘              
    

「生誕200年記念 狩野一信・五百羅漢図展」-有料ー

明治末期の最高工芸技術の「徳川秀忠御霊屋・台徳院霊廟・戦災で焼失」模型が展示(イギリスで保管)
  

「狩野信一」 1816-1863 江戸・絵師。号ー顕幽斎・逸見一信とも云う。本所林町骨董商の次男
堤派・四条派・土佐派等で学んでいる。1853年「五百羅漢図」制作に。


    


一信の日記・画稿・木造肖像彫刻なども展示されていた。


                                 JR浜松町で
    


次回は、千葉県土気からー成田散歩へ