先日、三輪山の方から大和平野を展望した時、二上山が目にとびこんできた。三輪山と二上山をつなぐものが記憶の淵に沈んでいて「何だったのかな?」というモヤッと感がずっとあったが、今日パッと小川さんの『大和の原像』だ!と浮かんできた。
この本は母方の祖母が私に「面白いから」と言ってプレゼントしてくれたものだ。私が枚方に就職した頃、香里園に住む叔父(母の弟)の家に同居していた。休日を利用して西国三十三所めぐり」に一緒に行ったり、山の辺の道を歩いたりした。1973年に初版発行、1980年に増補版発行であるから、もらった時は30歳そこそこ、正直ピンとくるものがなく長らく本棚で眠っていた。退職してから寺社仏閣をめぐることも増え、この本も何度か手にするようになった。
カバー写真の表が多神社より望む三輪山の昇陽(春分)裏が多神社より望む二上山の落陽(秋分)である。我々の祖先が、太陽と神をその風土と生活にどのような形で結びつけてきたのかを、三輪山と二上山をむすぶ線(太陽の道)を基軸に資料を読み解き、自分の足で遺跡や野山をめぐり仮説をたて検証して書き上げた労作である。
机上で読むだけではなかなか理解できない。しかし、大和平野を訪れる機会がずい分増え、さらに先日新年を迎えた大神神社周辺を歩き、参詣に訪れる人々や屋台、地域の店の様子、そこから眺めた景色などが頭に入った今、あらためて読むと自分の中にぐんぐんイメージが湧いてくるのがわかる。
本を片手に国土地理院発行の二万五千分の一の地図(桜井)を持って、小川さんの足跡をたどってみたいという思いが強くなってきた。祖母の残してくれた唯一のもの、30余年の年月を経てどんどん存在感が増してくる。不思議な感じがする。
この本は母方の祖母が私に「面白いから」と言ってプレゼントしてくれたものだ。私が枚方に就職した頃、香里園に住む叔父(母の弟)の家に同居していた。休日を利用して西国三十三所めぐり」に一緒に行ったり、山の辺の道を歩いたりした。1973年に初版発行、1980年に増補版発行であるから、もらった時は30歳そこそこ、正直ピンとくるものがなく長らく本棚で眠っていた。退職してから寺社仏閣をめぐることも増え、この本も何度か手にするようになった。
カバー写真の表が多神社より望む三輪山の昇陽(春分)裏が多神社より望む二上山の落陽(秋分)である。我々の祖先が、太陽と神をその風土と生活にどのような形で結びつけてきたのかを、三輪山と二上山をむすぶ線(太陽の道)を基軸に資料を読み解き、自分の足で遺跡や野山をめぐり仮説をたて検証して書き上げた労作である。
机上で読むだけではなかなか理解できない。しかし、大和平野を訪れる機会がずい分増え、さらに先日新年を迎えた大神神社周辺を歩き、参詣に訪れる人々や屋台、地域の店の様子、そこから眺めた景色などが頭に入った今、あらためて読むと自分の中にぐんぐんイメージが湧いてくるのがわかる。
本を片手に国土地理院発行の二万五千分の一の地図(桜井)を持って、小川さんの足跡をたどってみたいという思いが強くなってきた。祖母の残してくれた唯一のもの、30余年の年月を経てどんどん存在感が増してくる。不思議な感じがする。