素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「埼玉の公立校教員100人超早期退職希望」の報道

2013年01月23日 | 日記
 世の中は予期せぬことで驚かされることが多くあるが、この早期退職の報道もその1つ。「こんなことが起こっているんだ!」という驚きがまずはじめにきた。次に「なぜ?」国が1月から退職手当の水準を引き下げたのに合わせ、埼玉県も関連条例を改正し、今年2月1日から施行予定なので2か月間の給料と退職金の減額分の差額を考えると1月末の早期退職のほうが金銭的に有利になるという。

 ここで素朴な疑問が湧く。

「国が1月からの退職手当の水準の引き下げを決めるに至った経緯はどうなっていたのだろう?」
「どの自治体も条例の改正をして、退職金の減額を行なうのだろうか?」
「このような処置をとれば早期退職者が出ることは想定しなかったのだろうか?」

 よく公務員のぬるま湯体制と引き合いに出される民間であるならば、期限を切って金銭的に不利な状況を設定することは早期退職勧奨を前提にしてのことだろう。教職員だから3月の年度末まで奉仕(するだろう)。もしくは(すべし)という風に考えてのことだったら甘いといわれても仕方がないだろう。

 この事態を「民間だったら有り得ない」といういつものステレオタイプの批判をしないでほしい。

 新聞によれば、さいたま市教委の採用分では学級担任も教頭も含まれているという。また佐賀県や徳島県ではでも同様に43名が退職をしていたし、全国的にはかなりの数があるみたいである。また、愛知県警、京都府警でも同様の事態で補充に追われているという報道もある。

 誰しも自分が長きにわたって従事してきた仕事を退職するにあたって、駆け込みという中途半端な終わり方はしたくなかっただろうと推察する。

 この事態で「教師聖職者論」を持ち出して、ことの本質を曲げないでほしい。

 場当たり的な教育施策などで振り回されて疲弊している教育現場に目を向け適切な対処をしていかないともっと深刻な事態に陥るおそれを感じる。慢性的な講師不足による派遣教師の増加、その反面、指導力のある教諭が授業時間数ゼロにならざるを得ないシステムなど教育の空洞化が進んでいる。

 その1つの現われが今回の根にあるような気がする。

 中央集権、上意下達を強めれば強めるほど現場の活力は失われていく。というのは多くの会社、チームなどの苦い経験から導きだされた教訓だと思う。

 ちょっとブームが去った感のあるドラッカーの言葉を

「働く者のやる気を引き出し、生産性の高い仕事をさせることが経営者や管理職の課題だ」
「仕事を生産的にするには、一人ひとりを尊重することから始め、責任を分担する」
「会社にとって人は最大の資産。いかに人の強みを活かすかを、上司は考えなければならない」
「生産性をあげる糸口は信じることにある。一人ひとりのスキルと判断力を信頼し、思い切って任せてみよう」
「現場は現場に任せるのが一番。そのために現場のリーダーには、より大きな責任と権限を与えるべき」

 この問題に関しての今後のマスコミの論調を注目したい。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする