「飴と鞭」明鏡国語辞典によれば「心地よい生活条件と厳しい弾圧を併用する政治技術▷プロイセンの首相ビスマルクの政策から」となっている。個々の人権を尊重するというよりも奴隷のようにあやつるという感じがして嫌いな言葉の1つである。教育技術として転用されると『甘やかしと体罰』になる。体罰に関しては教育現場に長く携わってきた中で苦い記憶として多々残っているものがある。決して正当化してはいけないと自戒している。それだけに「教育とは?」ということを考えた時避けることができない〝体罰”についてはこれからもこだわり続けたい。
今日の余禄で意外な事実を知った。学校体罰の法禁の最先進国といわれるフランスよりも8年早く、日本は体罰を法令で禁止していたということである。1879(明治12)年に制定された教育令第46条に『凡そ学校に於いては、生徒に体罰(殴るあるいは縛するの類)を加うべからず』とある。体罰禁止が法令化されたのは戦後で、戦前は鉄拳制裁は当たり前というイメージを勝手に持っていた。
強引な富国強兵政策の中の軍隊教育の影響で、法律を超えて学校で体罰が乱用されてきた経過がある。基本的には日本人は欧米諸国に比べて子供の人権を尊重してき土壌がある。
これも、9月7日の余禄にあったのだが、戦国時代に来日したポルトガルの宣教師フロイスが「日欧文化比較」に次のように記している。
「われわれの子供はその立ち居振る舞いに落ち着きがなく優雅を重んじない。日本の子供はその点非常に完全で、全く賞賛に値する」「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多に行われない。ただ言葉で譴責するだけだ」「6,7歳の子にも70歳の人に対するように真面目に話す」
家庭にあっては虐待、学校においては体罰。もう一度教育の原点に戻って考える時かもしれない。日本の文化の土壌は豊かである。
今日の余禄で意外な事実を知った。学校体罰の法禁の最先進国といわれるフランスよりも8年早く、日本は体罰を法令で禁止していたということである。1879(明治12)年に制定された教育令第46条に『凡そ学校に於いては、生徒に体罰(殴るあるいは縛するの類)を加うべからず』とある。体罰禁止が法令化されたのは戦後で、戦前は鉄拳制裁は当たり前というイメージを勝手に持っていた。
強引な富国強兵政策の中の軍隊教育の影響で、法律を超えて学校で体罰が乱用されてきた経過がある。基本的には日本人は欧米諸国に比べて子供の人権を尊重してき土壌がある。
これも、9月7日の余禄にあったのだが、戦国時代に来日したポルトガルの宣教師フロイスが「日欧文化比較」に次のように記している。
「われわれの子供はその立ち居振る舞いに落ち着きがなく優雅を重んじない。日本の子供はその点非常に完全で、全く賞賛に値する」「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多に行われない。ただ言葉で譴責するだけだ」「6,7歳の子にも70歳の人に対するように真面目に話す」
家庭にあっては虐待、学校においては体罰。もう一度教育の原点に戻って考える時かもしれない。日本の文化の土壌は豊かである。