素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

金子兜太著『荒凡夫 一茶』

2013年01月27日 | 日記
 本屋をブラブラしていた時「荒凡夫」という文字が目に飛び込んできた。そしてその下に「一茶」と続く。一茶といえばやれ打つな蠅が手をすり足をする”やせ蛙負けるな一茶これに有り”雀の子そこのけそこのけお馬が通る”などから「弱いものへのいたわりを持つ素朴な好々爺」というイメージを勝手につくっていた。それと「荒凡夫」というものが結びつかなかったのである。どういう意味だろう?ということを知りたくて衝動買いをしてしまった。

 93歳になる金子さん、プロローグで「荒凡夫」についてこう書いている。

 最近私は、あちこちで″生きもの感覚”という言葉を口にしています。これは自分勝手な命名ですが、そう名づけるまでには、かなりの時間がかかりました。どうやらこの言葉は、私の俳句人生を考えるうえでのキーワードになっているようだ、と感じています。

 そういうことになぜ気づいたのか、また自分が″生きもの感覚”と呼び、自分にとってそれが大事な考えだと認め、いたわるようになった経緯はどのようなものだったのか・・・・。″生きもの感覚”という言葉と今の私との関係を語るとき、その存在を抜きにしてはとても語りきれない、そういう存在が、小林一茶です。私が″生きもの感覚”について考えるようになったことと、「荒凡夫」としての一茶を発見したことは、大いに関係しています。


 金子さんがどのようにして「荒凡夫 一茶」に出会い″生きもの感覚”を見出すようになったのかを90歳を超えた現在の心境を織り交ぜながら一茶の言う「荒凡夫」と″生きもの感覚”について書かれたものである。

 金子さん自身の足跡を辿ったうえで一茶の生涯とつくられた句を振り返ることで「荒凡夫」についての吟味をし、最後に現在の金子さんが大事にしている″生きもの感覚”についての話という構成になっている。

 今、半分ほど読み進んできて、私の抱いていた一茶像は音をたてて崩れているところである。既成概念を丹念に調べ上げられた事実、資料で壊されるのは快感である。

 「荒凡夫」という言葉は亡くなる5年前の60歳になった時につくった「まん六の春と成りけり門の雪」という句の添え書きに出てくる。浄土真宗の熱心な門徒であった一茶は阿弥陀如来に向けて「自分を荒凡夫として生かしていただきたい」と頼んでいるのである。さらに同じ添え書きに「自分は俗物だ」「愚である」そして五欲兼備、煩悩具足だと書いている。これを金子さんは、欲の塊である自分は、今までの六十年間、煩悩のままに、愚のうえに愚を重ねて生きてきた。これからも愚を重ねて生きていくしかない、そういう「荒凡夫」でありたい。これ以上の生き方はできない、清く美しい心でという生き方はとても無理だから、この欲のあるがまま生かしてください。と受け止める。ただ一方で金子さんは一茶の中に非常に「美しい」本能の働きも見る。この欲と美の絡みあったところに人間・一茶のおもしろさを感じ魅力があるという。

 そこで一茶は「荒」を「粗野な」「荒っぽい」ぐらいの意味で使ったかもしれないがとことわったうえで、金子さんは「荒」を「自由」という意味に取るのである。したがって「荒凡夫」の金子流の定義は「平凡で自由な男、平凡で自由な人間」となる。

 後半は一茶の句をひもとき、芭蕉とも対比させながら「荒凡夫 一茶」を深めていってくれるとわくわくしている。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする