プラザホテル洞津は公立学校共済組合の宿泊所で、私が高校受験で四日市にある海星高校を受験した時に利用した。当時は「洞津荘」という名前で木造の古びた宿だった。今はその面影はない。近鉄「津新町」から徒歩5分弱が好都合だった。今と違い鵜方から四日市まで行くのは大旅行という感じであった。
弟が大阪に一緒に行きたいというので、9時にロビーに来ることになっていた。弟は中川駅が最寄り駅で津新町には13分ほどで来ることができる。朝食を8時に終えたので弟を待つ1時間ほどで津城跡まで散歩することにした。ホテルにあった散策マップで15分で行けるとあった。せっかくの機会を逃す手はないというところだ。
通学する高校生や通勤する人が行き交っていた。県庁と中部電力関係の人が多いみたいだ。20分で津城跡に着いた。お城公園として整備されていた。
津城は、永禄年間(1558年 – 1569年)に細野藤光が安濃津城を構えたことに始まる。1568年(永禄11年)に織田信長の伊勢侵攻によって織田氏が入城し、後に信長の弟の織田信包が入城した。1577年(天正5年)には、5重天守と小天守が完成する。1595年(文禄4年)に、豊臣家の家臣である富田一白が入城。関ヶ原の戦い(安濃津城の戦い)では一白の子である信高が東軍についたため、西軍から城を攻撃され、西軍3万に対し、1,300人で立ち向かい、奮戦の末に開城を余儀なくされた。このとき、城内の建造物の大半を焼失してしまった。1608年(慶長13年)に伊予今治藩より藤堂高虎が入城。藤堂高虎は城の大改修を行い、また、城下町を整備した。1871年(明治4年)に廃城となり、建造物は取り壊された。1958年(昭和33年)に丑寅櫓が復元された。
ホテルに8時50分に戻ると弟がロビーで待っていた。帰路は国道165号を使い、途中で赤目四十八滝に寄っていこうとなった。3人とも赤目には行ったことがなかったので下見みたいなものである。9時過ぎに出発すれば11時過ぎには着けるだろうと踏んだので途中でスーパーに寄り弁当を買い込んでハイキングコースの折り返し地点で昼食を取ることにした。赤目滝には思っていたよりも早く10時50分に着いた。駐車料金は800円だが、特別に600円にしてもらった。
500円の入山料を払い、日本サンショウウオセンターを抜け遊歩道に入った。遊歩道は整備されているが、思っていたより高低差がありワイルドであった。時間の関係で800m余りにある八畳岩付近の弁当スポットで昼食をとり引き返した(ゆったりコース)が、渓谷ハイキングコース約3.3kmを歩くのであれば、しっかりした装備と気合いが必要だと弟と見解が一致とした。
12時30分に駐車場に戻り赤目を後にした。次に来るのは「1日をかけて終点の岩窟滝までの往復6.6kmを歩くぞ!」と思い立った時だ。いい下見になった。
国道165号に戻り桜井から国道169号で般若寺を目指した。コスモス寺でとして有名で以前はよく行っていたのだがここ7,8年行っていない。通り道だし休憩も兼ねて寄ろうとなった。
以前は狭い道路からしか行けなかったが、そこからの受付と駐車場は閉鎖され、国道からすぐに入ることができる大きな駐車場が整備され以前は無料だったが500円の有料になっていた。少々戸惑ってしまった。おそらく、明治政府が監獄の国際標準化を⽬指して計画し、明治41年に完成した五⼤監獄の⼀つ「旧奈良監獄」。後に少年刑務所となり2017年に閉鎖されたものを星野リゾートがリニューアルして2016年に開業した「星のや奈良監獄」のため観光客の増大で環境が一変したことが大きいのではと感じた。道をはさんで植村牧場があるというのどかな感じは消えてしまった。これも時の流れである。コスモスは見頃は過ぎていたがかろうじて間に合った。
16時前に帰ることができた。関西文化の日も活用しなかなか充実した1泊2日の松阪行きだった。
弟が大阪に一緒に行きたいというので、9時にロビーに来ることになっていた。弟は中川駅が最寄り駅で津新町には13分ほどで来ることができる。朝食を8時に終えたので弟を待つ1時間ほどで津城跡まで散歩することにした。ホテルにあった散策マップで15分で行けるとあった。せっかくの機会を逃す手はないというところだ。
通学する高校生や通勤する人が行き交っていた。県庁と中部電力関係の人が多いみたいだ。20分で津城跡に着いた。お城公園として整備されていた。
津城は、永禄年間(1558年 – 1569年)に細野藤光が安濃津城を構えたことに始まる。1568年(永禄11年)に織田信長の伊勢侵攻によって織田氏が入城し、後に信長の弟の織田信包が入城した。1577年(天正5年)には、5重天守と小天守が完成する。1595年(文禄4年)に、豊臣家の家臣である富田一白が入城。関ヶ原の戦い(安濃津城の戦い)では一白の子である信高が東軍についたため、西軍から城を攻撃され、西軍3万に対し、1,300人で立ち向かい、奮戦の末に開城を余儀なくされた。このとき、城内の建造物の大半を焼失してしまった。1608年(慶長13年)に伊予今治藩より藤堂高虎が入城。藤堂高虎は城の大改修を行い、また、城下町を整備した。1871年(明治4年)に廃城となり、建造物は取り壊された。1958年(昭和33年)に丑寅櫓が復元された。
ホテルに8時50分に戻ると弟がロビーで待っていた。帰路は国道165号を使い、途中で赤目四十八滝に寄っていこうとなった。3人とも赤目には行ったことがなかったので下見みたいなものである。9時過ぎに出発すれば11時過ぎには着けるだろうと踏んだので途中でスーパーに寄り弁当を買い込んでハイキングコースの折り返し地点で昼食を取ることにした。赤目滝には思っていたよりも早く10時50分に着いた。駐車料金は800円だが、特別に600円にしてもらった。
500円の入山料を払い、日本サンショウウオセンターを抜け遊歩道に入った。遊歩道は整備されているが、思っていたより高低差がありワイルドであった。時間の関係で800m余りにある八畳岩付近の弁当スポットで昼食をとり引き返した(ゆったりコース)が、渓谷ハイキングコース約3.3kmを歩くのであれば、しっかりした装備と気合いが必要だと弟と見解が一致とした。
12時30分に駐車場に戻り赤目を後にした。次に来るのは「1日をかけて終点の岩窟滝までの往復6.6kmを歩くぞ!」と思い立った時だ。いい下見になった。
国道165号に戻り桜井から国道169号で般若寺を目指した。コスモス寺でとして有名で以前はよく行っていたのだがここ7,8年行っていない。通り道だし休憩も兼ねて寄ろうとなった。
以前は狭い道路からしか行けなかったが、そこからの受付と駐車場は閉鎖され、国道からすぐに入ることができる大きな駐車場が整備され以前は無料だったが500円の有料になっていた。少々戸惑ってしまった。おそらく、明治政府が監獄の国際標準化を⽬指して計画し、明治41年に完成した五⼤監獄の⼀つ「旧奈良監獄」。後に少年刑務所となり2017年に閉鎖されたものを星野リゾートがリニューアルして2016年に開業した「星のや奈良監獄」のため観光客の増大で環境が一変したことが大きいのではと感じた。道をはさんで植村牧場があるというのどかな感じは消えてしまった。これも時の流れである。コスモスは見頃は過ぎていたがかろうじて間に合った。
16時前に帰ることができた。関西文化の日も活用しなかなか充実した1泊2日の松阪行きだった。