素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

全員リレー

2023年11月27日 | 日記
 新聞の投書に、クラス全員で走るリレー競争は酷な競技だという主旨のものがあった。私の勤務していた中学校でも体育祭のメインレースとして「全員リレー」があり、順位別の配点も高かった記憶があるので目を留めた。投稿された方の子供は走るのがとても苦手で本人もそうだが見ている方もとてもつらい思いを持ったというのだ。

 私も現役の時、このことで葛藤があった。私が小、中、高で経験してきたリレー競技は選抜された選手での競うものだった。中学校では各個人競技に出場できなかった人たちのための「選手外リレー」というのがあった。走ったり、跳んだりするのが苦手な人たちだけで競うことになるが、今なら「差別的」だと批判されるかもしれないが、当時は出場する者も見る側も1つの競技として楽しんでいた。大切なのは走る力で優劣をつけるのではなくそれぞれの持っている力の中で全力を尽くすことへのリスペクトである。

 「全員リレー」という種目を初めて見た時は戸惑いがあった。そこには「クラスの1人1人が全力を出すことが1番で、リレーの結果はその次である」ということが共有されていないと走るのが苦手な人にとっては残酷な競技となる。一人一人の走力を考慮して走る順番、テイクオーバーゾーン(20m)の活用を話し合ったり、障害を持つ人がいれば特別ルールを要求したりすることで「全員リレー」という強制力の強い競技への参加で苦しい思いをする人をできるだけ減らす努力が不可欠だろう。

 様々な思いを持っている人がいるということを考える機会になるという点で「全員リレー」の意味はあると思った。それでも常にモヤモヤ感が付きまとったことは確かだ。今、読書中の「教室を生きのびる政治学」の内容とリンクしている問題である。読みながら考えて行きたい。
コメント
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