素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「廃仏毀釈」

2013年05月26日 | 日記
 今日の新聞の一面では、茨城県東海村にある加速器実験施設「J-PARC」での放射能漏れと被ばく事故や自民沖縄が参院選の公約で「普天間県外に」を明記する方針を固め、党本部と分裂するという記事よりも奈良の廃寺「内山永久寺」の幻の扁額が発見されたという記事が真っ先に目にとびこんだ。
 奈良県天理市の「内山永久寺」という名前が初耳。新聞によると平安時代に建立され、江戸時代には大和国屈指の寺院として栄え、その豪華な伽藍から『西の日光』と呼ばれていたという。
 明治の廃仏毀釈で廃寺となり、建物は消失。仏像や図画などの所蔵品のほとんどが散逸しているという。扁額は天理市内の旧家に保存されていた。持ち主の男性は「まさか本物だったとは」と驚き「先祖から内山永久寺のものだと聞いて捨てるに捨てられなかったが、大事にしてきて良かった」と喜んだという。

 日本各地を旅行する機会が増えたが、廃仏毀釈の傷痕を多くの所で見聞し驚かされた。特に勤皇派の地域では徹底していたと聞く。今日、鹿児島県には仏像の国指定重要文化財が存在しない。明治政府はいち早く弊害を認識し、1871(明治4)年には「古器旧仏保存方」を発令したからほんの数年ですさまじい破壊が行われたことになる。

 このことは、歴史の教訓として決して忘れてはいけないことである。私の知っている歴史なんか大地の砂粒みたいなものだとあらためて思った。
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あきらめかけていたデンドロビュームに花が咲く

2013年05月25日 | 日記
 知人からいただいたデンドロビュームの花が咲き終わった後、一念発起、管理をしっかりとして次の年にもう一度花を咲かせることにチャレンジした。同時期に始めた水耕菜園はあえなく頓挫。デンドロビュームも新しいバルブを成長させるところまでは順調に進んだが、その後いっこうに花をつける様子がうかがえなかった。おなじような状態で秋から冬を越し春となり「結局、素人では花は難しいか」と諦めて、そのままほうっておいた。4月の中旬頃ふと見るとバルブに花芽らしきものがついているのを発見。「ひょっとしたらという期待が再び膨らむ」その後順調に育ち昨夜あたりからぼつぼつと花を開き始めた。夏の炎天下、過酷な環境に置く、肥料や水はひかえめという他の植物とは真逆の管理方法、半信半疑でやってきたが、ようやく正しかったということがわかりちょっと嬉しい気持ち。
 
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気象同様に市場も上げ下げが激しい

2013年05月24日 | 日記
 日差しが強い。湿度が低いのがせめてもの救い。日陰であればまだましである。キュウリやゴーヤなどの苗を植え付けたため支柱を立てネットを張る作業をする。この日差しの中少々きついが夕方は蚊が多く、どちらをとるかとなると日差しとなる。

 先週末、りそな銀行の外交の人が「少額投資非課税制度→NISA(ニーサ)」の説明に来た。2014年から2023年まで10年間適用されるという。アベノミクス効果でアゲアゲのムードの中、タンスに入っているお金を少しでも吐き出させようとするネライは見え見えである。

 私は株で儲けようなんて思っていない。目減りを最小限に食い止めれば十分である。天の邪鬼なので世間が株だ株だと騒げば騒ぐほど様子見ておこうと一歩下がってしまう。いつまでもこんな調子は続かないと思うよ。よいうようなをした。

 思ったより早く昨日あたりから上げ下げの激しい市場となった。心配していた長期金利も上がる気配。住宅ローンを抱えている人は先行き不安だろう。ものの値段は確実に上がる。6月がポイントになるのかな。私は高みの見物である。金が商品となる時代にはついていけない。

 平家物語の琵琶法師の声が聞こえなくもない。
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平田オリザさんの「わかりあえないことから」が面白い

2013年05月23日 | 日記
 「面白いから、ぜひ」と勧められた本の1つに平田オリザさんの「わかりあえないことから」(講談社現代新書)があった。副題に《コミュニケーション能力とは何か》とある通り、コミュニケーション教育に直接携わってきてそこに感じる違和感を中心に1年間講談社のPR誌『本』に連載してきたものがまとめてある。

 平田さんは、基本的に「わかりあう」ことに重点が置かれてきた日本のコミュニケーション教育や従来の国語教育に強い疑問を持っている。そこで本書を通じてわかりあえないところから出発するコミュニケーションというものを提起している。8章のうち2章まで読み進んだ。

 第1章の「コミュニケーション能力とは何か?」では《ダブルバインド》がキーワードである。相矛盾する2つのメッセージを同時に繰り返して与えられた者が、そのいずれも信じることができないまま精神的外傷をこうむる状態を指す心理学用語である。

 《自主性・主体性》と《まわりの空気を読み和を乱さない》という要求を企業から同時にされている就活学生の例などはその通りだと思った。学校においても《個性的であれ》と《集団の規律を守れ》というのが同じだなと読みながら思った。岸田秀さんの指摘する幕末以来延々と続く日本社会の外的自己と内的自己の分裂状態ともつながるものがある。

 もう1つは、今のコミュニケーション教育で盛んに実践されている「伝える技術」の大前提として「伝えたいという意欲」があるという指摘も鋭い。平田さんはその意欲の低下を憂える。自己を表現するには自分を理解していない他者を必要とする。その環境を子供たちのまわりから奪いつつコミュニケーション能力を要求することそのもがダブルバインドとなってニート、ひきこもりの増加につながっているのではという仮説は検証する値打ちがある。

 子供たちは表現することは大好きであるということは、今までの経験で確信している。歌、ダンス、朗読、絵、マスゲーム、演奏、劇、コントなど表現方法はいろいろある。そこで平田さんが第2章「喋らないという表現」の最後で提起している初等教育段階での「国語」の完全解体にはもろ手をあげて賛成である。国語を「表現」という科目と「ことば」という科目に分けることを提唱している。

 「表現」では子供たちの伝えたいという気持ちを大切に育て、「ことば」でしっかりとした発音・発声や文法の基本を教えるというふうにとらえると今の閉塞状況は突破できるかもしれない。

 たくさんの考えるためのヒントがいっぱいある本だと思う。楽しみである。

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若くないことを自覚することから

2013年05月22日 | 日記
 「余禄」を書き写したり、ジムでランニングマシーンで走ることは気ぜわしい生活になるとできなくなる。ここ1週間余りは出かけたり用事がが重なりバタバタして心のゆとりがなかった。今日は何も予定がなかったので11時過ぎからピラティスのスタジオレッスンをはさんで16時近くまでの4時間余りじっくりとトレーニングをした。ランニングマシーンでも80分間13kmを走った。

 ストレッチをしていた顔見知りの人から「まだまだ若いね」と声をかけられた。「若くはないですよ」とこたえると「だってまだフルやハーフのマラソン走っているのでしょう?」ときた。「まわりの人たちが思っているほどたくさん走ってないですよ。60歳になった時の大阪マラソンが初ですから」とランニング一筋と思っているみたいなので訂正をした。「フ~ンそうなの?でも若いよ!」と‟若い”から離れない。シニア世代へのほめ言葉であることはわかっていても素直になれない私がいる。「若くないということを自覚するためにマラソンを走っているのかもしれない」と口走った。案の定「なに?それ?」と怪訝な顔。ジムのランニングマシーンで周りの人が歩いている中、走っていると結構、自分はいけていると錯覚する。ところが、たくさんの人と一緒に走る大会では自分がいかに遅いかがよくわかる。速くないと見える人に楽々抜かれていくのである。その時にこの人よりも遅い走りを自分はしているんだと自分を客観視できる。年齢ととともに衰えていくことは避けることはできない。「アンチエイジング」とか「若い者にはまだまだ負けん」という力んだ気持ちは持つべきではないと思う。衰えを少しでも先延ばしできればよし。ぐらいの楽な気持ちが大切。そのためには「自分は若くない」ということを実感する必要がある。というようなことを話したが、さて伝わったかな?

 村野中では体育祭の800mリレーに職員チームをつくり生徒と一緒に走っていた。短距離は小学校の頃から自信があった。リレーでは良い思い出が多いのでリレーで走るのは好きであった。20代後半の時、バトンをもらった時2mほど前を走る生徒を見て、直感的に「抜ける!」と感じた。ところが走れど走れど差を縮めることはできなかった。これが「自分は若くない」と思った最初。次は二中でのマラソン大会、河川敷を折り返す10kmのコースである。赴任以来ずっと一緒に参加していた。30代後半の時、折り返して走ってくる生徒のヨタヨタした走りぶりを見て「ファイト!」と声掛けをしたが、いざコーンをまわって折り返すとその生徒の背中がどんどん遠くになっていくのである。これが2回目の自覚。

 自覚した翌年からはそれぞれ参加することをやめた。まあ引退である。今は若くないことを自覚しても引退はしない。「若くない」からこそ楽しいことがたくさんある。


 
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