この暑いのに、『被爆ピアノ』を一目見たくて街に出かけた。
どんな音色がするのだろう。
どんなふうに傷ついてしまったのだろう。
暗いイメージを抱いてでかけた。
会場は、ビルの片陰の広場なので、暑いの何のって!
もおー、皆さん、汗をにじませ、扇子や団扇で扇ぎまくっていた。
すでに始まっていて、
丁度次の女の子がピアノの椅子に腰掛けようと歩いていたところだった。
必然的にそのピアノに吸い寄せられた。
その立ち姿は、控えめな様子で、なんとも言えず美しかった。
これが、被爆して65年以上も経った ピアノなのか・・・・・。
その女の子は、軽快な曲を楽しそうに弾いた。
姿も音色もすばらしいのは、
企画した方々の崇高で熱い志の賜物だろうか。
何人かがとても弾きやすいと言い、続いた後、
高校1年生の男の子が、ベートーベンの「ソナタ7番」を実に感動的に弾き上げた。
昨日は、地元のピアノコンクールの直前に弾きにきてくれ、
今日もまた弾いてくれたそうである。
銀賞を受賞したらしい彼が言うのに、
「このピアノは、今日は昨日と違った響きを聴かせてくれた」。
弾き手は公募によるのべ約40人。
光沢の汗被爆ピアノを弾く少女 知青
『被爆ピアノ』とは、
昭和20年8月6日に広島市で、爆心地2~3キロの民家や小学校で被爆したピアノのこと。
それを引き取って、広島市のピアノ調律師矢川光則氏が修復(矢川ピアノ工房所有は4台になる)。
そして、ご自身でトラックに積んで全国を運転して回り、コンサートを開催しておられるのだそうだ。
当地での演奏会用のピアノは、ホルゲル・アップライトピアノで、爆心地より2.6キロで被爆。
ガラスの破片が88鍵盤の下の木製部分に数多く突き刺さったそうである。
持ち主の名にちなんで、「和子のピアノ」と呼ばれ、同時に被爆された所有者は、
80歳を超えてご健在だそうで、有り難い。
被爆2世でもある矢川氏は、
今年9月11日には、あの惨劇のあったニューヨークで
慰霊と平和への祈りをこめてコンサートを開くそうだ。
いつの世にもどこにも、
高邁な志を持って活動される方々はおられ、
頭のさがることしきりである。
私も含めた戦争を知らない人たちが増えても、
あの八月は、静かに熱く、またやってくるのである。