思いがけず、
中原道夫さんからお礼状が来た!
「食ふ爲に切断の足冷えも來ぬ」
中原道夫の海外詠を集めた第13句集
『彷徨』(うろつく)の中の一句。
食っていくために足を切断して物乞いになる。
だから、少々足が冷えてもどうってことない
ということだろうか。
子どもの頃、年末か正月だったか繁華街を歩いていたとき
傷痍軍人さんが松葉杖をついて
物乞いをしていたのを思い出す。
見るに忍びなくて横目で通り過ぎていた・・・
ハガキの右下に、2019 INDIA Varanasi
とある。
何の接点もない無名の者に、すぐ返事を下さり
「こういう句集を戴くと刺激を受けます。
近ごろは余りオッ!という句集が届かないものですから。(後略)」と。
これで私が一気にファンになったのは間違いないが
「銀化」主宰の中原道夫さん(1951年生まれ)を、
竹岡一郎さんが「銀化」平成30年記念号に寄稿された
「叙情・幻想・社会性の鼎立」という観点から
藤田湘子と三橋敏雄俳句からの影響、比較を通して
中原道夫俳句を考察する稿で
昨年初めて知りました。
たとえば、竹岡さんは、いくつかの句集から
次のような句を揚げて論じている。
(旧漢字使用のところは今の漢字で)
いくたびも蝶に生まれて蔑まる
蝶葬にすべく花菜の黄を束ね
初蝶をばらばらにして形見分け
初稽古より馥郁と戻り來ぬ
睨(ね)め回すことを瞬時に鳴神は
荒事に巖挙げたるさくらかな
誰がこころ撃つべく木の実しぐれかな
裲襠(うちかけ)のなかを眞紅に蝶生まる
戰前に鳴き戰後に掃かれたる蟬
などなど・・・
通り一遍(字合ってます?)の解釈で終らない
深く心に留まるような句群のようだ。
最後に竹岡さんは、
次の道夫句を置いてこう結んでいる。
奈落より一蝶生るる白からず
今生きている此処こそが奈落なのだ。そこに生まれる蝶は、作者の自画像であろう。己の白からぬことを自覚しつつも、いつか白からんことを希求して、その希みが一陣の風に過ぎぬとしても、風に乗り今日を明日を舞うのだ。