大牟田市大字今山の普光寺の臥龍梅を見てきた。
推定樹齢350年、
1株から枝をのばして伸ばして、17株24メートルに臥す。
香りは天にむけ地に向け、ふくよかにただよう。
急な冷え込みに、
満開にはいまひとときの時間を要す・・・。
境内には北に小高い三池山に散在していた中世の石塔群が
ゴソっとまとめて置かれていた。
正確には、放置!
麓には、戦国時代末期の義の武将高橋紹運を藩祖とする
立花藩の歴代藩主の墓石と菩提寺がある。
それらの巨大な墓石群は、菩提寺の向かいの山手にある。
加工しやすい凝灰岩でできているから、逆に風化もしやすい。
周りの木々は伐採されてはいたものの、
ここも放置!されている感じ。
勿体ないなあ。
塔も棒も立つことばかり臥龍梅 知青
*高橋紹運(じょううん)について
豊後大友氏の重臣。
天正14(1586)年、薩摩・島津氏が北上してくる際、
太宰府の北手にある四王寺山の山城・岩屋城に籠城し、
わずか763名で、2万とも5万ともいわれる薩摩軍を迎え討ち、
凄絶な戦いを繰り広げて、秀吉軍がくるまで死守した。
戦闘の最中、薩摩の一武将に答えて曰く、
「仁義を守らざるは鳥獣に異ならず」と。
この戦いは、秀吉の九州平定に重要な一戦であったという。
推定樹齢350年、
1株から枝をのばして伸ばして、17株24メートルに臥す。
香りは天にむけ地に向け、ふくよかにただよう。
急な冷え込みに、
満開にはいまひとときの時間を要す・・・。
境内には北に小高い三池山に散在していた中世の石塔群が
ゴソっとまとめて置かれていた。
正確には、放置!
麓には、戦国時代末期の義の武将高橋紹運を藩祖とする
立花藩の歴代藩主の墓石と菩提寺がある。
それらの巨大な墓石群は、菩提寺の向かいの山手にある。
加工しやすい凝灰岩でできているから、逆に風化もしやすい。
周りの木々は伐採されてはいたものの、
ここも放置!されている感じ。
勿体ないなあ。
塔も棒も立つことばかり臥龍梅 知青
*高橋紹運(じょううん)について
豊後大友氏の重臣。
天正14(1586)年、薩摩・島津氏が北上してくる際、
太宰府の北手にある四王寺山の山城・岩屋城に籠城し、
わずか763名で、2万とも5万ともいわれる薩摩軍を迎え討ち、
凄絶な戦いを繰り広げて、秀吉軍がくるまで死守した。
戦闘の最中、薩摩の一武将に答えて曰く、
「仁義を守らざるは鳥獣に異ならず」と。
この戦いは、秀吉の九州平定に重要な一戦であったという。
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