編集発行人:小田 桐妙女
表紙デザイン:葛西晋也
この俳句誌の
傘雨句碑囲みて祭準備かな 岡部恒田
を読んで
傘雨忌(さんうき)が万太郎忌(5月6日)
であることを初めて知った。
岡田さんに感謝。
それと
梟の羹楽隊を汚す 斎藤秀雄
(羹;あつもの)
の読みが、全くわからないことを告白したい。
文学的経験が少ないからだろうか。
小田桐妙女さんは、こう読み解いている。
ジビエ料理になるのだろうか。
梟は食べられるようだが、なかなか食べる人はいないだろう。
何となく、宮沢賢治の童話を思い出した。
梟の羹をいただいた後、鏡を見ると自分の顔が梟になっている。
レストランの楽隊は、梟の羹を拵えた料理人たち。
その手はあらゆる物の血で汚れている
と。
一晩、私なりに考えた結論的読みは
これは、新型コロナ禍のことを
喩でもって詠んだのかなということ。
この新型コロナウィルスの発生源となったのは
たしか武漢の市場で売られていたコウモリと言われている。
このためにパンデミックにおちいり
全世界の人々は、この丸2年間というもの
些細な楽しみさえ奪われてしまった。
こういう事態の句かなと考えた。
コウモリといえば、露骨だから
梟と言い換えたか。
本当のところは、作者に聞かないと分からないが・・・。
私、選の時、感覚で選んでしまうことが多いので、その後の鑑賞を書くのに苦労しています。
梟の羹楽隊を汚す
私も蝙蝠のこと、新型コロナ禍のことも思いました。でも、そうとは言わずに鑑賞を書きたいなと。実際に、宮沢賢治にはこんな話しはないとおもうので、思い出した、と言うより、ありそうな、と書くべきだったなぁと、反省しました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
選をするとき
私もコメントまで考えてはしません。
あまり理屈では採りたくないですよね~。
でも、後付けででもなにやら言わねばなりません。
即座にもの言うことはできませんが
ずっと頭のなかにもっていると
なにか響くものが自分なりに
見えてくるようになるものですね。
この斎藤句
羹に懲りて膾を吹く
も底流にあるような気がしてきました。
【梟の羹】は仲夏の季語ですね。傍題が「梟の炙(あぶりもの)」「鳧の羹」。「炙」とか「鳧」とかが出てきた理由は、よく分からないです(調べてない。「炙」は、要は梟を懲らしめればよいから羹である必要はない、ということかもしれません)。
旧暦端午の節句の、古代中国の慣習のようです。
『字通』の「梟」の項目をみると
https://kotobank.jp/word/%E6%A2%9F%28%E6%BC%A2%E5%AD%97%29-2785881
「磔梟」などがあり、興味深いです。
コメントありがとうございます。
「梟の羹」は夏の季語なんですか!
魔除けにそんなことをするんですかね。
人さまの句をみていると
自分が使わない季語があったりして
とても勉強になります。