今日は、爽やかな晴れで、空が綺麗でした。
イベントで使う袋や箱を購入するため、厚木の梱包用品の店に行ってきました。
通りがけに、鮎津橋上流の河川敷の桜を見に寄り道。
川沿いなので、他より咲くのが遅い場所です。
見ごろには未だ遠いですが、敷物を敷いて楽しんでいる人たちもちらほら。
満開のさくらでなくても、なんとも心地いい場所です。
「ここに、桜を植えようと提案したのは俺なんだ!」と嬉しそうに言う、陶芸の石井先生のことを思い出します。
お墓に入るよりこういう場所が良い。とも言っていました。
私は、石井先生の命日も覚えていないし、お墓参りも行かないので、薄情と思われてもしかたないのですが、自分なりのかたちで先生を偲んでいます。
まだ、10代だった自分を、思い切り誉めまくってくれたこと、孫のようにかわいがってくれたこと。
祖父母の温もりを知らない自分にとって、本当の祖父なら良かったのにと思わせてくれる人でした。
おそらく、この先生との出会いがなければ、今私は陶芸やっていたかどうかもわかりません。
先生から教わったことは、技術よりも楽しさですね。
先生のお弟子さんたちは、教室がなくなった後も、皆それぞれの形で陶芸を続けていることでもわかります。
満開の頃に、もう一度見に行けるかな。
作業の進み具合次第ですので、がんばろう。
イベントで使う袋や箱を購入するため、厚木の梱包用品の店に行ってきました。
通りがけに、鮎津橋上流の河川敷の桜を見に寄り道。
川沿いなので、他より咲くのが遅い場所です。
見ごろには未だ遠いですが、敷物を敷いて楽しんでいる人たちもちらほら。
満開のさくらでなくても、なんとも心地いい場所です。
「ここに、桜を植えようと提案したのは俺なんだ!」と嬉しそうに言う、陶芸の石井先生のことを思い出します。
お墓に入るよりこういう場所が良い。とも言っていました。
私は、石井先生の命日も覚えていないし、お墓参りも行かないので、薄情と思われてもしかたないのですが、自分なりのかたちで先生を偲んでいます。
まだ、10代だった自分を、思い切り誉めまくってくれたこと、孫のようにかわいがってくれたこと。
祖父母の温もりを知らない自分にとって、本当の祖父なら良かったのにと思わせてくれる人でした。
おそらく、この先生との出会いがなければ、今私は陶芸やっていたかどうかもわかりません。
先生から教わったことは、技術よりも楽しさですね。
先生のお弟子さんたちは、教室がなくなった後も、皆それぞれの形で陶芸を続けていることでもわかります。
満開の頃に、もう一度見に行けるかな。
作業の進み具合次第ですので、がんばろう。