散歩者goo 

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[から揚げ]の語源

2011年12月11日 14時59分16秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
ラジオ番組で、から揚げの語源が話題になっていた。
「唐揚げ」団体の役員の方は、語源が分らないという。

ウイキペデイアで調べると、成るほど語源は諸説あるようだ。
表記も「空揚げ」と「唐揚げ」がある。
「表記は「空揚げ」が元であり「唐」は当て字であり日本新聞協会では、「空揚げ」で統一すると明示している」とウイキペディアでは解説している。
この解説の元は下記の三省堂のサイトに記載されている記事から引用されたようだ。

ところで「三省堂ワード・ワイズ・ウェブ」の「漢字の現在:「から揚げ」」では次のように説明している。
「そもそも、「から揚げ」は、衣が無いか少ないところから「空」と呼んだものだ、と説明されるものであり、「唐揚げ」よりも「空揚げ」の方が歴史も古いようだ。辞書では「空揚げ」が正式な表記としてしばしば採用されているのである。『三省堂国語辞典 第六版』では、両方示すもののやはり「空揚げ」を先に掲げている。なお、『明鏡国語辞典』はそれを逆転させ、さらに「空揚げ」のほうを括弧書きにしている」

「から揚げ」に関しては、上記三省堂の説明が合理的と思われる。
天麩羅は、下味をつけた衣をタネに付けて揚げるのに対し、から揚げは、衣を付けないで空の状態又は粉を直接タネにかけるだけで揚げる、という状態を比較すると語源の意味や表記について納得できる。
しかし「から揚げ」の表記は「唐揚げ」が主流となっているようだ。
その詳しいいきさつも。三省堂の上記サイトに詳しく説明されていた。
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大阪城公園から老松通りへ

2011年12月11日 10時24分29秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)






昨日はいつものように、ブログを書き、遅い昼食や食材の買出しを済ませて、あわただしく時間を気にしながら、西天満へと自転車で出かけた。
出かける前に、ブログ用に写真を撮り掲載することを考えていたので、カメラも引っ張り出したり、時間に追われてしまったが、こうした光景は、いつものことだ。

外の風は冷たかった。
大阪城公園は、イチョウの葉はかなり散っていた。
もう1週間前なら見事な黄金色のイチョウ並木の風景が見えられたはずだ。
3-4年前は一年弱、まさにいつも自転車で通っている大阪城公園で、掃除のアルバイトもしていた事を思い出す。
春夏秋冬の大阪城公園の風景の変化を知ることが出来た。
秋の大阪城公園のイチョウは見事である。

青屋門に近い10月サクラはまだ花をつけていた。
朝も昼も夜も、大阪城公園でランニングをする人は多い。
私も、何度か走ったことがある。
非常に気持ちいいが、ランニング後すぐにシャワーを浴びる事が出来ないので余り行かなくなった。
(お金を出せば、定期のシャワールームが駅前にあると聞いているし、少し離れているが、公衆浴場があることも知っている。)

老松通りは、先週訪問した(先週は木曜日に廻った?)時と同じ展覧会をしているギャラリー(会期2週間等)は、避けて駆け足で見て廻った。
その後天満橋ショッピングモールでコーヒーを飲みながら、先週図書館から借りて読み続けていた考古学関係の本を読了した。
今まで知らなかった弥生末期から古墳時代初期の山陰・丹後・北陸・東北のダイナミックな動きを知ることが出来た。
その後、ジュンク堂で、毎朝聞いていて面白かったカルチャーラジオのテキストを購入した。
そのついでに他の本を見ていると、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を解説したテキストがあったが、講師は外国人だったので、興味を持って中身をみると、よく分析し文学的な面だけでなく多面的に分析していて面白そうなのでそれも購入し、帰路についた。
ショッピングモールの帰りは、駐輪場から大川を通って帰るが、その時ついでに、いつも見慣れている八軒屋からの中ノ島方面の美しい夜景を、カメラに収めた。
今その映像を見ていると、手ブレだろうが、少しぼけているようだ。
帰宅後余り気にはならないが、一昨日のランニングが響いたのか、軽い疲れを覚えた。
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12月10日(土)のつぶやき

2011年12月11日 01時37分55秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter
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先ず票ありき。選挙上手の小沢派はその傾向が強い。野党は党利党略で。 与野党とも国民の人気取り政策で国を傾ける。日本をEUのような国債の信用不安の国にするつもりか。: Reading:NHKニュース 樽床氏 消費増税反対署名容認 http://t.co/g0eAHotH
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日記111209 http://t.co/MGDAEPPH
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心のこもった手作り封筒の記念切手に驚いた。 http://t.co/i5TLy6vC
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政治家のみならず、知識人や社会的影響力のある人まで、失言は多い。一度言葉に出した物は消えない。私も自戒したい。
http://t.co/V4SDgjxf
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皆既月食・天文ファンだった少年時代

2011年12月11日 00時44分22秒 | 私的思い出・生き方・生活住環境
夜の11時のニュースを見ていた。
皆既月食のニュースが放送されライブ映像が流れた。
11時5分ごろ皆既月食になるという。

そのニュースを聞いて急いで外に飛び出した。
月がどこにあるのか探そうと、取り合えす真上を見上げると、そこに月があった。
端のほうがまだ光っていた。
11時5分を過ぎても光っていたが、数分後強く光る部分は消えて、すべて暗くオレンジ色に光る部分になった。
皆既月食だ。
外は、かなり冷え込んでいて、路地には、人通りも無く、月食を観測しようというような人も無く、TVの音も聞こえず静まり返っていた。
夜空はわずかに雲がある程度でほぼ快晴状態で、少し風があって凍てつくような冬空に、星が美しく光っていた。。
皆既月食を見届けると、寒いのですぐに家の中に入った。

この原稿を打ちながら、11時5分に皆既月食が始まらなかったのは、東京と大阪の時差の問題だと理解した。
皆既月食のニュースは、何日か前から知っていた。
しかし以前に何度か見たこともあり、天文学的意味も余り無いのでほとんど興味も無かった。

先ほど夜空を見上げて、中学生時代を思い出した。
小学生から中学生の頃は、理科が大好きだった。
とりわけ、天文学が好きで、中学では天文部にはいっていた。
私の母校は出来て間もない大阪市立の中学で、私は中学校の第3期の卒業生だ。
クラブ活動は天文部を理科の教師が作ったので入部したが、天体望遠鏡で惑星や、星雲や銀河を見せてもらえると思っていたら、直系2-3m程の半球形の太陽熱反射器の制作が中心となり、毎日大量の鏡の貼り付けでうんざりした記憶がある。
それでも、何日かは、夜に集合して天体望遠鏡で土星や木星を観察し、土星の輪や木星の衛星が見えたので感激した事も覚えている。
そんなことをしながら、天文学情報も、熱心に新聞をスクラップして集めた。

その当時、丁度自我が目覚めた時で、自我とは、自分とは何かと、よく自問自答していた。
哲学書は読んだ事は無かったが、雑誌や、学校でもそのあたりのことが取り上げられていた。

当時の天文学では、島宇宙に関する研究が進展していることが、新聞の連載に報道されていたが、そのとき頭に浮かんだのは宇宙を考える自分、自我とは、何かということに考えが走った。
当然宇宙の果や、神の存在や、まだ確定していない自我や自己認識についても考えたが、そのつど天文学と自我・認識・存在が絡んで頭が混乱し、天文学のことを考えるのが嫌になった。

本格的に認識とか自我に向き合ったのは、確か高校生の頃だったと思う。
多分高校生の頃と思うが、河合栄次郎の「学生にあたう」を必死で読み、カント哲学にあこがれた事もあった。
自分が通っている、工業高校と哲学的なことに興味を持つ自分とのギャップにも悩まされたりもした。
高校の授業にあった、高校生製レベルでも分るようにした物性論(半導体の理解に必要)では、物理学史も挿入しながらの授業だったので、この世界を見る目も、科学中心に捉えるようになり、自己存在や天文学や哲学への混乱も少しずつ無くなった。
(通っていた工業高校には、当時、私以上に哲学少年だった同級生もいた。現在私は哲学や科学その他様々考え方を吸収し、当時の考え方から大きく変わっている。)

それでも、再び天文学のことを冷静に考えることが出来るようになったのは。20代になってからである。
皆既月食に絡んで、私の若い時の思い出の一端を引き出す事が出来た。
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