散歩者goo 

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過ぎた日の年末年始風景の断片

2011年12月31日 12時56分37秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
年末になると、母はガラス障子を拭き、神棚や仏壇をきれいに拭いていた。
それから、門松、注連縄、鏡餅その他の正月飾りを買い込み飾っていた。

餅つきは、我が家の年末の恒例行事だった。
私が子供の頃は、餅つきは多くの家庭でやっていた。
父が元気な時は、我が家でも暮れになると、餅をつき、鏡餅や、普通の餅や青海苔や黒豆や海老の入った餅を作った。
母が作った餡があまり美味しくなかったので、あんこ餅は好きではなかった。
市販の餡入りの餅や和菓子は大好きである。(今思うと母の餡子餅は砂糖の量が少なかったように思う。)

餅つきのときは、羽釜にせいろをセットし餅米を蒸す。
蒸しあがると、石臼に移し、杵で餅米を練る。
ある程度満遍なく練って粘りが出ると、いよいよ餅つきだ。
餅を反すのは、母の仕事だった。
子供の頃は、兄と父の二人で餅をついていたが、私が成長すると、私も持ちつきに加わった。

事前に餅箱に片栗粉を敷いて準備しておき、餅がつき上がるとすばやく餅箱に入れ、家族で餅箱の周囲を囲み、餅をちぎって丸めて、丸餅にして並べるのだが、最初は必ずお鏡餅を作った。
神棚と仏壇と水神様の3個のお供え用の、鏡餅を作った。

私がサラリーマンになり、家庭内出の発言力が増すにつれ、私は正月スキーにいったりした。
そして兄が転勤でいなくなっても、しばらく持ちつきは続いたが、いつの頃からかやらなくなった。
多分石臼を裏庭から玄関へ持って来れなくなったためではないかと思う。
父の力がなければ、私一人で石臼は動かせないのだ。
それに餅を食べる人が少なくなり、餅がいつまでも残る。

正月を迎えると、両親がいた時は、元旦に神棚を拝み、家族揃って、父親の「おめでとうございます」の一言でお酒を一口飲んで新年のお祝いしてから、雑煮を食べていた。
そのときお酒も飲むので、元旦の朝は、ほろ酔いでコタツに入ってうたた寝していることが多かった。

子供の頃は、近くに叔父さんの家があったので、叔父さんが来てお年玉をくれたように記憶している。
正月は、童謡の詞どおり、凧揚げやこま回しに熱中したし、女の子は新しい羽子板を買い羽付をしていた。
近くの氏神様への参拝も子供にとっては、屋台めぐりでわくわくしていた。
今は、そんな懐かしい光景もほとんど見かけない。

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日記11130(買物 読書)

2011年12月31日 09時38分36秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter
日記を書いていて、例によって余談の話が長くなったので独立した「判断基準 科学と価値観」というブログにして、投稿しその後更に手を加えた。

対立する問題を議論する時に、賛否両論とも相手の主張を全く無視する人も多い。
科学の場合は、正解以外は間違いであり、その事象は同じ条件であれば100%再現性がある。。
価値判断が絡む場合は、価値判断そのものは、人間が作り出している物であって、絶対はありえないし、政治的解決はいかようにでも変わりうるものであるし、修正できるし、どの意見が絶対正しいということはない。
所詮、価値は人間が存在して成立する物であって、個人や組織や集団がどの視点(座標軸)やパラダイムに立脚するかで結論は変わる物だ。
それを、科学技術と同様に、絶対真理と信じて発言行動や押し付けをすると大きな誤りや摩擦を生む。
文化や文明は人間が存在して始めて存在し、価値が生まれるが、自然は人間とは無関係に存在し、人間も自然の中にある。

我々はそのような、価値判断に絡む議論を過去に無数に体験しているが、時代により結論は動いているのが実態だ。
例えば、バスをワンマン運転すると事故が増え、運転手は過労になるといった議論もあった。
日米安保は、絶対反対という声が多かったが、今はそうではない。
昔、コンピュータ導入反対の議論も多かった、コンピュータは職場を奪い全て自動化され、機械に使われる人が増え失業者が街にあふれるといった議論もあった。
健康の為コンピュータ作業を一時間するとX分間休みを取るべきという話があったりした。
規制緩和をして小さな政府にすると、経済が活性化し、雇用が増え、所得が伸びる。(現実は、非正規社員が激増し、格差社会になった。)

正月用の食材を含め食材補給へ近所の2つのスーパーへ。
結局正月用食材は、「もち」だけだった。
お菓子として羊羹、それに果物として定番のミカンを購入したが、これは普段がら食べていて、特別正月用として、買ったわけではない。

外資系のスーパーでは、酒の品定めをした。
結局お酒は買わずに帰った。

以前から、日本酒に興味を持っていて、本を読んだりもした。
昔は、今のように各地の地酒も余り紹介されてなかった。
当時はせいぜい、池田や河内の地酒がよく紹介されたり宣伝していた。

食材を収納後、夕食には早いし、TVも面白くないし、夕暮れに一人机に向っての読書も気が進まない。
いつものように、ファストフーズでコーヒ片手に読書することにした。
一昨日と同じ本を用意し出かけた。
考古学の本を1時間弱読んでいると、面白かったが、眠たくなったので小説に切り替えた。

小説は、速読にチャレンジした。
予め、この小説の一ページあたりの文字数は一行の文字数と行数から800字余りと計算している。
なぜ速読を思いついたかというと、先ず最近は小説を読むことに馴れていない。(若い時はよく読んだ。)
これから読もうとする小説は分厚い。(上巻だけで500ページ以上ある。)
最初数ページ読んでいて、短編名作小説と違い、展開がダラダラ長く、心理描写や背景描写が多いので、ゆっくり読んでいてはとても耐えられないと思った。
毎分1ページ弱のスピードで読んでいった。
無論内容やストーリーが頭に入らなければ速読しても意味が無い。
自分が思っていたより読書スピードは遅かったが、思惑通りの効果をあげることが出来た。

2時間弱読書し、満足して帰宅した。
これからも、こうしたことが日課になるかもしれない。
その後はいつもどおりの夕食をとり、ブログを読み直し追加修正したり、本を読んだりした。

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12月30日(金)のつぶやき

2011年12月31日 01時31分37秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter
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