散歩者goo 

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美しかった村治佳織の聖歌伴奏

2011年12月12日 21時54分46秒 | 私的思い出・生き方・生活住環境
NHKの鶴瓶の「家族に乾杯」で、ギタリストの村治佳織氏が、美しいカトリック教会で演奏する場面があった。
彼女の演奏を何度かFMやTVで聞いていて、世界的に活動している実力のある好きなギタリストなので、この番組での演奏を期待していた。
教会の管理人との話の成り行きで、聖歌の伴奏という形で演奏が聴けたが、美しい伴奏だった。
これを見て、約24年前のメキシコでホームステイしていた時のことを思い出した。

アメリカで語学留学を切り上げた後、帰国前に南米の民芸雑貨を仕入れて帰ろうと思った。
そのことを始めの英語学校のルームメイトだったアメリカ人のA氏に相談すると、メキシコのクエルナバカにあるイデルスペイン語学校を紹介し手配してくれた。
ホームステイ先は、スペイン語学校が手配してくれたように記憶している。

そして英語学校を終了後、スペイン語学校へ行くまでには様々な事を経験した。
メキシコに渡ってスペイン語学校に入学し、4週間余り?クエルナバカ市内のB氏の家にホームステイした。
そのB氏一家は、とても家族的だった。
B氏一家では、息子たち2人が多少英語を喋れたが、私よりはレベルが少し低かったようだ。

その家には、アメリカ人やイギリス人の同じスペイン語学校の留学生がいた。
アメリカでは、スペイン語は、第二外国語でとして高校で勉強している人も多く、彼らはそれなりにスペイン語を話せるようだった。

そのような、メキシコでのホームステイで、B氏一家は日曜日になると一家揃ってカトリック教会に行く。
そして、そのたびによければ、一緒に行かないかと誘われ、暇だったので同行した。

その教会で目にした物は、ミサのなかで、賛美歌がギター伴奏で歌われていたことだ。
私はクリスチャンではないので、教会にはクリスマスの見学以外で行ったことはなく、普通のミサについて知識は全く無かった。
それでも、クラシク音楽でミサ曲などよく聞くので、ミサではそのような曲が、パイプオルガンで演奏される荘厳な雰囲気を想像していた。
しかし実際は全く違っていて、なんとなく荘厳さが足りなかったが、ある意味明るく軽快で家族的な感じだった。

日曜日にいつも通っていた教会は、クエルナバカのセントロにあって、非常に古い教会だったようだが、又この教会に関係したことを、取り上げることがあるかもしれない

追 私の記憶に間違いがなければ、この教会に豊臣時代の伊達藩からローマに派遣された遣欧使節団の肖像か何かが壁画に描かれていたといった話があったように思う。
今(20191213)ネットで確認すると、その通りだった。
セントロノ教会に行ったときに、ホームステイ先の家族から説明された記憶がある。当時半信半疑で説明を聞いていた。



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「絆」の原点・無縁社会・貧困と大震災

2011年12月12日 15時44分53秒 | 注目ニュース・短感(ニュースおよび短評・感想)
昼食後、ぼんやりと情報ライブを見ていると、清水寺からの中継で今年の漢字に「絆」が書かれるのを見た。
「絆」は大震災以前に、2010年ニュースウォッチ9 シリーズ「“無縁社会”ニッポン」(http://www.nhk.or.jp/asupro/muen/100106.html)では、絆をコンセプト(下記参照)に番組が作られた。
「“無縁社会”ニッポン」のコンセプト(NHKのHPより)
「絆が断ち切られている現場を鋭いスクープルポでえぐり出します。絆を失った社会が人々にもたらしている“ひずみ”を徹底取材することで、絆の大切さを考えて行きます。」
はじめよう絆(http://www.nhk.or.jp/asupro/kizuna/)
しかし、日本全国に存在する絆の問題は、震災の影に隠れてしまったが、問題はそのままなのかも知れないのだ。

その後、大震災が起きた。
想像を絶する被害の深刻さに関心はすべて、東日本大震災に移った。
そこでも、改めて「絆」をテーマに語られるようになった。
今では、「絆」は東日本大震災の象徴とも言って良い漢字になった。
しかし、そこでは亡くなった人との「絆」、支援してくれた人達との「絆」、地域社会の人の互助や人間関係が「絆」で語られるようになった。

東日本大震災の被災者を救済し、経済を回復させる事は、喫緊の課題に違いないし、巨額の予算をつけ実行に移されている。
このように「絆」で象徴される東日本大震災に、大きなスポットが当る。
一方では、一般社会で、経済的に余裕のある人と、貧困の人が二極化し格差社会が進行するという流れが止まったという話は聞こえない。

貧困の人の多のなかに、貧困の為に大切な絆を失い、あてどない苦しみにあえぎ、無縁仏になる多くの人がいる事実も見逃してはならない。
貧困は、最後の「絆」ですら断ち切るのだ。

ただ、しばらくの間は、様々な復興対策の予算が執行され、貧困の人達にも仕事が廻りやすくなり、一時的には経済的に貧困者も一休みできる人が増えるだろう。
しかし、格差社会を生む構造的なものは何一つ変っていない。
やがて、復興太りした人と、復興予算が無くなると仕事を失う人との格差が生じるのは、目に見えている。
早く、恒久的な成長産業を育成し、失業者には実用的な教育訓練をし、社会保障と税の関係を見直し、格差社会の構造を変える努力を全力を挙げて進めるべきである。

このような状態にもかかわらず、我国では、公務員給与や議員報酬もそのままで、公務員や議員を優遇したまま、貧困にあえぐ非正規労働者や弱者に対する対策や年金保険等の社会保障等のセフティーネットを置き去りのまま、今年も終わるようである。
与党や党内野党は支援団体の既得権益や票を守るのに必死になり、野党は党利党略で政権の足を引っ張り、弱体化させようとしていて、どちらも国民のほうを向いていない。
まるで、国も政治も格差社会を助長し、貧困層や弱者を放置し、そのの犠牲の上に国を繁栄させようとしているように見える。

改めて、東日本大震災の被害者以外の貧困にあえぐ人達、即ち、絆の無い人や絆の無くなりかけている人達のことも思い出し、震災被害者と格差社会の犠牲者を合わせた、「絆」で象徴される問題を考えるべきだと思う。
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アメリカ村のギャラリーでの棚田展を見に行く

2011年12月12日 12時51分14秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は午後から西心斎橋のギャラリーで開かれていた、「PS千早赤坂村野外美術展in棚田」を見に行った。
場所は、西心斎橋で、通称アメリカ村に近くアメリカ村の一部なのかも知れない。

実は、脱サラし40代でアメリカから帰国後、喫茶店をやっていた頃、このあたりの空き地(ヘブンリーパーク)にフリーマーケットの運営会社が企画したビル建設までの半年間、常設の仮設店舗の募集があり申し込んで、そこに中南米の民芸雑貨店を経営していたことがあったので、私にとって懐かしい地域だ。
一日に何回も喫茶店と、仮設店舗を往復したことを思い出す。

自転車で、ギャラリー近くに行くと多くの若者であふれかえっていた。
私が店を出した時も賑やかだったが、ギャラリー周辺ではこんなに人が多くは無かった。
当時の面影は、全く変わっていておしゃれになっている。

自転車で行ったため、自転車を止める場所に困ったが、何とかビルの中に駐輪スペースを見つけ、ギャラリーに入った。

ギャラリーでは、主催者の桜井さんや数名の人が談笑していた。
会場内で、その作品の多さに圧倒された。
半分以上は、まだ会ったことの無いない作家だった。

このようなグループ展では、知らなかった人の作品を見たり、作家に会ったり出来るのが楽しみである。
更に作家と話して、作品や芸術観や好きな作家や影響を受けた作家を聞く事で、作家像と作品の理解を深めることが出来る。
個展会場で談笑する時、知らない人通しが顔合わせするので、展覧会主催者の応接で場の雰囲気が変わる。
今回は、桜井さんが、気を効かして、来場者が来るたびに丁寧に対応し、桜井さんの知人の場合は、皆に紹介してくれたのですぐに打ち解けて、話の輪が出来た。

今回も、知らなかった作家A氏が来ていて、知り合いになることが出来た。
更に私にとって面白かったのは、桜井さんがこの展覧会の開催にいつもお世話になっていた、元村役場の人B氏が来られたことだ。
私にとっては、全く知らない人で、美術にも関係無さそうなので、ただ桜井さんとB氏の話を聞いていた。
その中で、B氏の口から時折考古学という話が出た。
そこで、話の間にそれとなくB氏に考古学の質問を差し向けると、彼は中世(足利時代から南北朝)の考古学の専門家と分った。
無論中世だけでなく、古代にも詳しい。
私が、ある作家の個展をしたときに、その作家の知人であった、気鋭の中世専門の考古学者のこともよく知っていたし、弥生から古墳時代にかけての考古学者のことも良く知っていた。
二人で考古学の話に話が弾んだ。
今思えば、千早赤坂村は楠木正成の本拠地であり、なぜこのとき、B氏専門の南北朝時代や楠木正成一族の実態のことを聞かなかったのかと、悔やまれた。

ギャラリー終了時間の6時まで居て、日曜日の夜にもかかわらず、日が暮れても人であふれ電飾の輝く西心斎橋を後にし、家路に着いた。

参考
展覧会は、心斎橋ダブル・エーギャラリーで12月13日まで(http://adbic.co.jp/WAgallery/map%26access.html
)
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12月11日(日)のつぶやき

2011年12月12日 01時38分53秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter
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皆既月食・天文ファンだった少年時代 http://t.co/ZgM64tAA
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自転車で遠出するには、真冬並みの装備が必要になってきたようだ。 http://t.co/KLIS95XL
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から揚げの語源 http://t.co/LUtUTlKl
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