[試訳]
例えばギユヴィックはこう言っている。「詩とは、途方もない冒険です。私には虚空に、空間ですらない虚空に存在するという感じがわかります。それは理性に支配された宙ではなく、何物とも知られないものによって律せられた宙なのです。それはまさに聖なる場であり、何かに満たされた虚空の、虚無が充満した狂気…。」
実際、様々な時代の底から上り来った下意識の衝撃や一条の光が、意識と融合することがある。そうしたものが詩に思いがけない展望をもたらし、意味や精神にも謀反する可能性を与える。詩人はその創造的な力に身を預けることによって、深く埋もれてしまっていても、万物と自分を結ぶ直すその根を見出すことができるのだ。
つまり詩には、まだ存在しない、あるいは決して存在することにない現実の投射を、含み持つことが可能となるのだ。
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misayoさん、Mozeさん、今回も訳文ありがとうございました。le grand Tout は、Mozeさんが訳されている通り、いわば宇宙的な、存在すべてを含んだ「万物」という意味合いでしょう。たしかに、ギユヴィックの引用の箇所など、これだけの引用では、わかったような気になるしかないのかもしれません。
先日、年数回しか足を運ばない小さな書店で、吉増剛造『我が詩的自伝 素手で焔つかみとれ!』(講談社新書)を見つけ、読みました。谷川俊太郎とともに、生業として詩を職業とする、日本で数少ない、今年七十七歳になる「詩人」です。吉増さんの詩はこれまで数篇読みかじった程度だったのですが、このひとがどんな時代を生きてきたのか、詩人が生きてきた時代が、わずかでもこの今の自分の生活につながっているのか、そんなことが知りたくて読んでみました。時代的な発見は幾つかありましたが、普段はそう簡単に手が出せない吉増の詩の何編かも同書の中で紹介されていて、この詩人の詩的宇宙に、わずかですが触れることもできました。
それでは、次回この序文を最後まで読んでしまいましょう。6月1日(水)に試訳をお目にかけます。