フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Lecon 131 注釈と試訳

2007年11月28日 | Weblog
[注釈]
 * (...) auxquels elle ajoutait foi,qui, (...) dans lesquels je reconnaissais : 先行詞はいずれも des e’ve’nements et des e’changes de paroles ですね。
 * je reconnaisais des e’pisodes anciens de sa vie (...) des conversations... : ここは、母とわたしの認識の落差が際立つように解釈しなければなりません。
 * sa vie mentale allait prendre le pas sur ses perceptions (…) : prendre le pas sur... : …に勝る
 * Sinon que … : ここは前文の内容に対する留保です。「そうはいっても、…」
 * je juge normal … : ここは、時制が現在形であることに注意して下さい。

 [ 試訳 ] ピエール・バシェ『母を前にして』(6)
 それからある夏のこと、2003年の猛暑の夏のことだったが、重大な変化が見られた。母がわたしに話かける様子が、わたしとの言葉の交わし方などが変わったのだ。母はわたしにさまざまな出来事や、自分が交わした言葉などを話してくれるのだが、それらは明らかに昨日や今日起った出来事ではなかった。それでも母は、それがついこのあいだのことであったと信じて疑わず、母にとっては鮮烈な記憶であるのだった。わたしに分かるのは、それが母の人生のずっと昔の、1940年代の、あるいは子供時代のエピソードであるということだった。それは、彼女がかつて自分のことを語った、自身の記憶の中身を説明した話であった。それらが実際にこのあいだ起ったのだと主張することで、母はことを少し曲げてでも、わたしを、そして自分自身を納得させようと試みているように思えた。母はまるで、以前の、正常な、それ以降住むことが出来なくなった精神生活と、新しい生活の狭間にいるようであった。そこでは、現在の世界の認識や世界との関係より、母の精神生活の方が優位を占めるようになり、やがてそれらを食い破るようになるのだった。まるで母の内面生活(彼女の思い出すこと、思うこと) が爆発的に増殖し、外界に飛び出し始めたようであった。SFの物語さながら、登場人物たちの腹を内から食い破る怪物たちのように(エイリアン)。ただ、この母の精神生活は、必ずしも現実世界と対立し、それを脅かすものではなかった。時に、子供を何十人も殺した、手当たり次第人を何人も殺したなど、おぞましい物語を経験したと言うことはあったけれども。多くの場合、母が経験した、聞いた、立ち合ったということは、穏やかであった。そんな母に馴れ、その多くの部分はわたしの世界でもある母の世界に馴れた今のわたしは、気掛かりと、不安と、不安定が基調をなす世界に生きることは、そう異常なことではないのではないか、と考えている。
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 ウィルさん、ご指摘ありがとう。またやってしまいました。ウィルさんの言うとおりで、(je n’e’tais pas tre`s loin dans Paris).「パリのそう遠くないところにいた」ですね。またぼくの読みの甘いところがあれば、教えて下さい。
 Moze さん、お気遣いありがとうございます。今週は、ようやく本調子になって元気に授業をやっています。
 次回は、一転少し短いですが、p.38. J’en e’tais humilie’. までとしましょう。
 

Lecon 130 注釈と試訳

2007年11月21日 | Weblog
 当教室では、今 Pierre Pachet << Devant ma me’re >> を読んでいます。今回が5回目になりますが、テキストを希望する方は、smarcel までご連絡ください。

 [注釈]
* Les incidents se multipliaient. : ここの半過去形が典型例なのですが、「過去くり返された行為」が半過去形で表現されています。
* Cela arriva : cela は、母親が鍵をなくして部屋に入れなかったことを指しています。
* un service de surveillance qui m’appela a` mon tour, : a` mon tour は「今度は(わたしに)」ということです。

 [試訳]
 ピェール・パシェ『母を前にして』(5)

 母はいつも言い張っていた。「大丈夫。わたしは不自由していないよ。」わたしには母の言うことが信じがたく、そんなことがあり得るだろうかという気持ちだった。けれどもますます母を放っておくことが難しくなって来た。事故が度重なったのだ。母が転び、立ち上がって電話にでられないことがあった(その夜わたしが電話をかけても母はでなかった)。また起き上がることはできても家の鍵が見つからず、買い物もままならず、食べるものが何もなかった、ということもあった。買い物はしたものの、今度は買い物かごの中に鍵が見当たらず、ドアの前でじっとしているということもあった。その時は運良く、母は首に呼び出しアラームをかけていて、ボタンを押してガードマンを呼ぶことが出来た。ガードマンが私に連絡をよこし、駆けつけてみると、母は階段の下に座って辛抱強く待っていた(わたしはパリからそう遠くない所にいたのだった)。母の暮らしぶりは危なっかしく、ハッとすることも度々あった。わたしは、若い女性が定期的に母を訪問するようにしてもらったのだが、母はなかなか彼女を受け入れず、二度に一度は彼女と分からず、ドアを開けようとしなかった。
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 次回は少し長くなりますが、p.38 quie’tude de l’instabilite’.までとします。
 ぼくは、職業柄でしょうか、早々とのど風邪をひいてしまいました。どうかみなさんも気をつけて下さい。


Lecon 129 注釈と試訳

2007年11月14日 | Weblog
 [ 注釈 ]
* avec des constantes (...) sur lesquelles se reposer : des constantes 可もなく不可もなく家事をつづけること。se reposer sur...「…に寄りかかる」意味上の主語は、やはり、母でしょうね。ですから、淡々とこなされる「習い」に寄りかかる、ということだと思います。
* sans quiconque pour vous rendre visite ou vous parler : vous は読者への呼びかけですね。
* (on peut, pour manger se contenter d’un morceau de pain dont on pre’le`verait des tranches a` mesure) : ここは分かりづらいですね。le poids des choses, dans leur pluralite’ fatigante の例示ですから、パンを食べるという何気ない行為にしても、まずパンがあることが必要であり、さらに、これを食するに相応しい大きさにして少しずつ口に運ばなければならない、ということでしょう。
[試訳]
 それでも母はひとの手を煩わさずに、なんとか一人で切り抜けようとしてた。食事をするためには買い物にも行く。野菜を調理する(実は独身の頃から、また結婚して母親となってからも、母はそうしたことがあまり好きではなかった。それでも、特別な創意工夫はなかったものの、母はしっかりと大過なく、毎日くり返される習慣に寄りかかるように、バスタを作り、鶏を調理し、お昼にお腹を空かしてやってくる孫たちのためにはチョコレート<< マーブル >>のお菓子を用意したりもした。)。そうしたことが次第に離れ業めいて来たのだ。そこにまた母は、別の次元の孤独を感じていたのだ。あなたを訪れる人も、あなたに話しかける人もなく、ただ一人ぽつねんとしているだけの孤独ではない。さまざまなことの重みを、疲労させる複数の相においてひとり持ちこたえなければならない孤独(パンを食するにしても、ただ一塊のパンがあればいいというものではないだろう。それを切り取って口に運ぶのではないだろうか)。母がここ何年かその次元で生きて来た孤独には、そこに至るまでの孤独の重みがのしかかっていたことだろう。笑いや涙がいっしょくたになり、秘められた感情の源泉が長い喘ぎとなるように、深められた孤独の独自の重みもやがて明らかになる。積年の孤独が、母の中で姿を現す。
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 今回は、フランス語としてちょっと考えさせられる箇所がありましたね。次回は、同ページ refusant de lui ouvrir sa porte までとしましょう。
 インフルエンザの流行の兆しがもうあるとか。みなさんも、どうかお身体には気をつけて下さい。
smarcel

ウィルさんへの回答

2007年11月11日 | Weblog
 ウィルさんからご質問を受けましたが、ここはウィルさんが指摘された通りです。
 se hissant, demandant この二つの現在分詞の行為の主体は母ですので、ここのぼくの訳は不正確でした。[試訳]は訂正しておきました。ウィルさん、丁寧に目を通して下さってありがとう。
 smarcel

Lecon 128 注釈と試訳

2007年11月07日 | Weblog
 [注釈]
* Elle che’rissait son autonomie : autonomie 「一人で生活すること」Moze さんの「自分のことは自分でする」という訳は、うまい訳ですね。反意語は de’pendance となります。
* lorsqu’elle prenait simplement l’autobus, (...) se hissant (...) demandant... : ここの現在分詞は、「地下鉄に乗る」為に必要な具体的な手続きを述べています。
* Personne は「ひと」を指す普通名詞で、一人でカフェなどに入るときボーイさんから、Une personne ? と聞かれます。あの personne です。

 [試訳]
 母の孤独

 母は一人で暮らしていた。一度ならず、姉の、またわたしのところで暮らすことを拒んだからだ。「自分のアバルトマンで私は気楽にやっているし、自分の暮らし方だってある。誰にも邪魔をされたくないしね」母は、誰にも迷惑をかけない暮らしを大切にしていた。それが私には心配でもあった。母が一人で大通りを横切る。でも母の目は、信号の色をはっきり見分け、やって来る車に注意するほど良く見えてはいなかった。また女友達に会いに、地下鉄で遠出をすることもあった。そんな時でも、適当な通路や方角を知るのに、ただ記憶を頼りにしているのだった。またわたしの家へ来るために母がただバスに乗るだけでも心配だった(わたしは母を停留所で待っていたものだ)。バスに乗り込むにも一苦労。自分がどこで降りるべきかを教えて下さい、と人に頼んでいたし、乗る時にも、やって来たバスが果たして自分が乗るべきバスなのかを、母はひとに尋ねなければならなかった。わたしは出かける時はタクシーだけにするようにと母から約束を取り付けた。それでも、母はタクシーを見つけなければならず、タクシー乗り場に向かわなければならず、タクシーを拾える運が必要だった。
 母は、移動領域を減じられた人、徐々に移動を制限された人だった。
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 「身につまされた」というみさよさんの訳は、いつもより読ませるものでした。文章との共感は、やはり力になりますね。次回は、p.36, l.3 de’bouchent en elle. までとしましょう。