[注釈]
* (...) auxquels elle ajoutait foi,qui, (...) dans lesquels je reconnaissais : 先行詞はいずれも des e’ve’nements et des e’changes de paroles ですね。
* je reconnaisais des e’pisodes anciens de sa vie (...) des conversations... : ここは、母とわたしの認識の落差が際立つように解釈しなければなりません。
* sa vie mentale allait prendre le pas sur ses perceptions (…) : prendre le pas sur... : …に勝る
* Sinon que … : ここは前文の内容に対する留保です。「そうはいっても、…」
* je juge normal … : ここは、時制が現在形であることに注意して下さい。
[ 試訳 ] ピエール・バシェ『母を前にして』(6)
それからある夏のこと、2003年の猛暑の夏のことだったが、重大な変化が見られた。母がわたしに話かける様子が、わたしとの言葉の交わし方などが変わったのだ。母はわたしにさまざまな出来事や、自分が交わした言葉などを話してくれるのだが、それらは明らかに昨日や今日起った出来事ではなかった。それでも母は、それがついこのあいだのことであったと信じて疑わず、母にとっては鮮烈な記憶であるのだった。わたしに分かるのは、それが母の人生のずっと昔の、1940年代の、あるいは子供時代のエピソードであるということだった。それは、彼女がかつて自分のことを語った、自身の記憶の中身を説明した話であった。それらが実際にこのあいだ起ったのだと主張することで、母はことを少し曲げてでも、わたしを、そして自分自身を納得させようと試みているように思えた。母はまるで、以前の、正常な、それ以降住むことが出来なくなった精神生活と、新しい生活の狭間にいるようであった。そこでは、現在の世界の認識や世界との関係より、母の精神生活の方が優位を占めるようになり、やがてそれらを食い破るようになるのだった。まるで母の内面生活(彼女の思い出すこと、思うこと) が爆発的に増殖し、外界に飛び出し始めたようであった。SFの物語さながら、登場人物たちの腹を内から食い破る怪物たちのように(エイリアン)。ただ、この母の精神生活は、必ずしも現実世界と対立し、それを脅かすものではなかった。時に、子供を何十人も殺した、手当たり次第人を何人も殺したなど、おぞましい物語を経験したと言うことはあったけれども。多くの場合、母が経験した、聞いた、立ち合ったということは、穏やかであった。そんな母に馴れ、その多くの部分はわたしの世界でもある母の世界に馴れた今のわたしは、気掛かりと、不安と、不安定が基調をなす世界に生きることは、そう異常なことではないのではないか、と考えている。
********************************************
ウィルさん、ご指摘ありがとう。またやってしまいました。ウィルさんの言うとおりで、(je n’e’tais pas tre`s loin dans Paris).「パリのそう遠くないところにいた」ですね。またぼくの読みの甘いところがあれば、教えて下さい。
Moze さん、お気遣いありがとうございます。今週は、ようやく本調子になって元気に授業をやっています。
次回は、一転少し短いですが、p.38. J’en e’tais humilie’. までとしましょう。
* (...) auxquels elle ajoutait foi,qui, (...) dans lesquels je reconnaissais : 先行詞はいずれも des e’ve’nements et des e’changes de paroles ですね。
* je reconnaisais des e’pisodes anciens de sa vie (...) des conversations... : ここは、母とわたしの認識の落差が際立つように解釈しなければなりません。
* sa vie mentale allait prendre le pas sur ses perceptions (…) : prendre le pas sur... : …に勝る
* Sinon que … : ここは前文の内容に対する留保です。「そうはいっても、…」
* je juge normal … : ここは、時制が現在形であることに注意して下さい。
[ 試訳 ] ピエール・バシェ『母を前にして』(6)
それからある夏のこと、2003年の猛暑の夏のことだったが、重大な変化が見られた。母がわたしに話かける様子が、わたしとの言葉の交わし方などが変わったのだ。母はわたしにさまざまな出来事や、自分が交わした言葉などを話してくれるのだが、それらは明らかに昨日や今日起った出来事ではなかった。それでも母は、それがついこのあいだのことであったと信じて疑わず、母にとっては鮮烈な記憶であるのだった。わたしに分かるのは、それが母の人生のずっと昔の、1940年代の、あるいは子供時代のエピソードであるということだった。それは、彼女がかつて自分のことを語った、自身の記憶の中身を説明した話であった。それらが実際にこのあいだ起ったのだと主張することで、母はことを少し曲げてでも、わたしを、そして自分自身を納得させようと試みているように思えた。母はまるで、以前の、正常な、それ以降住むことが出来なくなった精神生活と、新しい生活の狭間にいるようであった。そこでは、現在の世界の認識や世界との関係より、母の精神生活の方が優位を占めるようになり、やがてそれらを食い破るようになるのだった。まるで母の内面生活(彼女の思い出すこと、思うこと) が爆発的に増殖し、外界に飛び出し始めたようであった。SFの物語さながら、登場人物たちの腹を内から食い破る怪物たちのように(エイリアン)。ただ、この母の精神生活は、必ずしも現実世界と対立し、それを脅かすものではなかった。時に、子供を何十人も殺した、手当たり次第人を何人も殺したなど、おぞましい物語を経験したと言うことはあったけれども。多くの場合、母が経験した、聞いた、立ち合ったということは、穏やかであった。そんな母に馴れ、その多くの部分はわたしの世界でもある母の世界に馴れた今のわたしは、気掛かりと、不安と、不安定が基調をなす世界に生きることは、そう異常なことではないのではないか、と考えている。
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ウィルさん、ご指摘ありがとう。またやってしまいました。ウィルさんの言うとおりで、(je n’e’tais pas tre`s loin dans Paris).「パリのそう遠くないところにいた」ですね。またぼくの読みの甘いところがあれば、教えて下さい。
Moze さん、お気遣いありがとうございます。今週は、ようやく本調子になって元気に授業をやっています。
次回は、一転少し短いですが、p.38. J’en e’tais humilie’. までとしましょう。