フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(6) 注釈と試訳

2009年03月25日 | Weblog
 [注釈]
 
 * la relation directe envisage'e tout a` l'heure : relation とは、書くことと建築の関係のことです。つまり、「さっき考察した」とは、具体的には、 Sur le plan technique...l'e'criture au moment de la de'couverte. の一節を意味します。
 * si me^me il ne se re'duit pas le plus souvent a` un moyen (...) dissimuler l'autre. : 何人かの方が指摘されていたように、ここは分かり辛いですね。ただ、un moyen とは、人々を動員する「手段」としての書くこと、を意味し、l'autre は知的、審美的満足のための書記行為を表していることは明らかです。よく飲み込めないのは、le plus souvent という最上級の否定表現です。「最も頻繁に、というわけではない」とは、どういうことなのか、十分理解できないままに、試訳を作りました。

 [試訳]
 
 書くことの出現と、文明に固有のある種の特徴とのあいだに相関関係を見ようとするのなら、別の方向を探して見なければなりません。書くことにずっと寄り添って来た唯一の現象とは、都市や帝国の形成です。つまり大変な数の人々を政治システムに組み入れ、カーストや階級に序列化することです。エジプトから中国まで、書くことの出現に伴って私たちが見て来た典型的な変革とは、いずれにしてもそうしたものです。つまり、書くことは、人々に知恵を授ける光明である以前に、やすやすと人々を動員したのです。何千人もの労働者を集め、過酷な労働を強制することを可能にした、書くことを通じてのこうした動員の方が、さきほど考察した直接的な関係よりも、建築の誕生をよりよく説明しています。私の仮説が正しいとすると、書くことによる伝達の最初の働きは、奴隷化を容易にすることである、と認めなければなりません。書くことによって知的な、審美的な満足を引き出すように、損得を離れて書くという手段を用いるのは、二次的な結果なのです。たとえ書くことが、前者の目的のためだけに用いられ、後者の用途が見えなくなる、といったことは滅多に見られないとしてもです。
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 ウィルさんも花粉症に悩まされているのですね。この時期パリにいるとそれほどでもないのですが、大阪では毎春、ぼくも花粉症に悩まされています。部屋に閉じこもっているのが苦手なだけに、空気中を舞う花粉(人間生活の中で排出される塵と一緒になったものでしょうが)とうまく折り合うしかありません。 
 ところで、NHKのラジオ第2で放送されている「カルチャーラジオ」で、4月から鈴木道彦先生が「プルースト『失われた時を求めて』を読む」と題して、毎週木曜日に番組を担当されます。テキストも出版されていますので、興味のある方は是非番組を聴いてみて下さい。
 それでは、来週は ignorer la loi. までとしましょう。
http://www.nhk.or.jp/r2bunka/index.html

Le'vi-Strauss << Tristes tropiques >> のテキスト

2009年03月15日 | Weblog
  Chers amis,

 一進一退をくり返していた陽気ですが、関西ではようやく今週あたりから春らしい陽気となりそうです。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
 引っ越しして十日ほど。ようやく一息つけて、今日は久しぶりに次回の「試訳」の準備などをしました。どうやら普段の生活のリズムをやっと取り戻せそうです。
 さて、上記テキストも残り少なくなり、あと三週分ほどでしょうか。途中からとなりますが、あらたにテキストをご希望の方は

 smarcel@mail.goo.ne.jp

 までご一報下さい。フランス語を味読するお仲間がまた増えればうれしい限りです。
 smarcel