[注釈]
*les yeux fermés de peur…:ここは非人称構文なのですが、誰の目かと問えばnos yeuxとなるのでしょう。ですから、ここは反語表現ですね。
*Finis, fleurs et petits oiseaux もちろんLes fleurs et petits oiseaux sont finis.ということです。現代において詩は、もうは花鳥風月を朗詠するものではなくなったということでしょう。
[試訳]
アニーズ・コルツ「花も小鳥も絶え、神は死んだ」
ひとフレーズ書き付けるとたちまち、訳が分からなくなって、どうしょうもなくなり、それを打ち捨ててしまって、続くフレーズではもう反対のことが言いたくなる。というのも、本質は私から逃れてゆくという印象をいつも拭えないからだ。物事には二つの面があって、本質は隠された面に潜んでいる。
詩は私たちの時代の成り行きを明かさなければならないだけに、そう思わざるをえない。
さて、かつて人類の歴史でこの世紀ほど野蛮な世紀はなかった。恐怖は絶えることなく、世界のあらゆるところで増殖している。これほどの悲惨さ、腐敗、支配を前にして、私たちはなす術もない。数々の惨劇を前にしても、その暴力に私たち自身が打ち砕かれることを恐れるあまり、目をつむってそれをやりすごすべきなのか?
それだからこそ詩人はまた、自分たちを取り巻く世界を前にしてその位置どりを決めなければならない。
花も小鳥も絶え...神は死んだ! ただ人間だけがおのれと向かい合い、世界と対峙している。その人間に、自分の命と他者の命のその全き責任がかかっている。私たちひとり一人が、なんのガイドも、羅針盤も、手引きもなく、自分を見失おうとしている。
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misayoさん、Mozeさん、新年度早々訳文ありがとうございました。いかがだったでしょうか。
熊本・大分の地震の報道を聞いてフランスの友人が、そちらは大丈夫ですか、とメールをくれました。心配してくれたお礼とともに、大地が必ずしも磐石でないことが、私たち日本人の精神に深い刻印を残しているはずだ、と返事をしました。とにもかくにも余震がおさまること、必要な物資が被災された人々の手に届くことを願わずにはいられません。
さて、読み終わってしばらく時間が経ちましたし、様々な媒体ですでにいくつもの書評が出ているのですが、中島岳志・島薗進『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書)をやはり少しご紹介しておきます。
タイトルにある問いに対する答えとして、島薗氏は大変危惧を持ってOuiと答えています。その危惧を、おもに明治維新以降の日本の宗教史を辿りながら詳らかにしたのが本書です。この方面に全く無知だったので、実に勉強になりました。少しだけ引用しておきます。
中島 国家神道は、「宗教」というカテゴリーには含まれなかったわけですね。いわゆる「神社非宗教説」ですね。(...)
島薗 つまり、近代西洋にならって政教分離はしているが、国家神道については国家に属するものである、他の宗教とは次元が違うのだ、ということです。この二重構造の中で、国家神道は諸宗教を組み込んでその上に乗っかることができるように、明治維新の時にすでに構想されていた。
だからこそ、この対談では昭和の時代だけではなく、明治維新にまでさかのぼって見ているのです。
いかに不案内でも、歴史に無関心ではいられないのだと、あらためて反省を促された一冊でした。多くのひとに読まれるべき良書だと思います。
それでは、次回はp.8. ce monde nocturne du réel. までの試訳を5月4日にお目にかけます。Shuhei