フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(5) 注釈と試訳

2009年02月25日 | Weblog
 [注釈]

 * nullement sa condition : on ne doit voir en elle nullement sa condition ということです。つまり、elle = l'e'criture に見るべきなのは、新石器時代の変革の結果なのであって、書くことがその変革を準備したわけではない、ということです。
 * plus qu'elles ne se sont accrues. : ここの ne は「虚辞の ne 」というやつです。
ex. Il est plus gentil qu'il ne parai^t. 「あいつは、ああ見えて優しいよ」
 * Mais cette condition ne'cessaire (...) pour l'expliquer : ここは、ただ「この必要条件」とするよりは、書くという必要条件、と訳出した方がずっと親切です。
 それから、l' = l'e'panouissement scientifique であることもしっかり捉えて下さい。

 [試訳]

 書くという行為が紀元前4世紀から3世紀の間に出現したのだとすれば、そこに見るべきなのは、すでに遠い(おそらくは間接的な)新石器時代の変革の結果であって、書くことが、新石器時代の変革の条件となったわけではまったくありません。書くこととは、どんな大きな変革と関係があったのでしょうか。技術面では、建築を上げることができるぐらいです。けれども、エジプトやシュメールの建築は、書くことを知らないままにアメリカ大陸で暮らしていた人々の建造物と比べて優れているわけでもありませんでした。逆に、書くことの発見から近代科学の誕生まで、西洋世界は五千年にもおよぶ年月を経て来ていますが、その間に知識が増えたというよりは増減をくり返しています。よく言われることですが、ギリシア・ローマの市民の生活と18世紀のヨーロッパの有産階級の生活との間には大きな違いはありませんでした。新石器時代に人類は、書くことに頼らずに大きな前進を成し遂げたのです。書くことによって、西洋の歴史的な文明は長きにわたって停滞してしまったとも言えます。おそらくは、書くことを知らないままでの19世紀・20世紀の科学の開花は想像できないでしょう。しかしながら、書くことは必要条件ではあっても、科学の飛躍的発展を説明するのにはまったく十分ではないのです。
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 雅代さん、ウィルさん、ご意見ありがとうございます。
 雅代さんが名前を挙げていた鹿島茂ですが、ぼくがお世話になった J 先生の東大仏文科の同級生だそうです。その J 先生の日比谷高校時代の同級生が、あの内田樹です。内田さんが今月の「中央公論」で教育社会学者の苅谷剛彦と対談していて、いつもながらの、示唆に富んだ発言をしています。ところで、これは苅谷さんの発言ですが、大学で学ぶということは個人の受益のためだけはなく、社会のためだというロジックに納得して授業料を無償にしている、多くのヨーロッパの国々のことが話題に上っていました。
 public にたいする感性が鈍化している日本の現状を考えねと、大学教育の未来に楽観できないことが残念です。 

 『悲しき熱帯』を残したまま勝手に春休みを頂戴するのは心苦しいのですが、申し訳ありません。
 本の荷造りは半分ほど終わっていますが、今日は大方の目処をつけてやろうと思っています。引越しは3月5日。当日の晴天を祈るばかりです。今日は大阪は朝から雨。この時期に日本にいるのは、3年振りとなります。フランスの、歩いていてもそう気にもならない雨と、時々のぞくまぶしいほどの明るい青空が、無性に恋しくなります。でも、荷造りに専念しなければなりません。
 smarcel

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(4) 注釈と試訳

2009年02月18日 | Weblog
 [注釈]
 
 * ces transformation dussent e^tre de nature intellectuelle : de は、「特徴・性質」を表すものです。ex. marchandise de bonne qualite', ですから、de nature intellectuelle は「知的な性質のもの」ということです。
 * on aimerait au moins retenir celui-la` : ここから何度か使用されいる on は、  une telle conception を定説として支持している人々を表しています。もちろん、nous という主語とは対立関係にあります。それから、celui-la` は、文脈からすると、crite`re de l'e'criture となるでしょうか。
 * une telle conception : 前段までの内容。すなわち、人類の知的な進化には、記憶媒体としての書記行為が不可欠であるとする考え方。
 * responsible は、une des phrases を説明しています。また、この形容詞はここでは「原因」を意味しています。
 ex. Dans ce pays, la malnurition est re'sponsable du tiers des de'ce`s d'enfnats.

 [試訳]
 
 書くとは、不思議な営みです。書くという行為の出現は、人類の生存の諸条件を深く変えてしまわずにはいられなかったようなのです。そして、そうした変化は、理知的な性質を持ったものに違いなかったはずです。書くという行為を手にすることによって、知識を蓄える人間の能力は飛躍的に高まりました。書くという行為は、ともすると人為的な記憶としてとらえられ、そうした記憶の発達によって、過去についてのより深い意識がもたらされ、ひいては現在と未来を組織立てて考えるより大きな力が人間に備わった、と考えられているようです。未開と文明を分け隔てるために考えだされたあらゆる根拠が退けられたあとにも、ひとは、書くことだけには拘っていたいようです。つまり、書くことを手にした民は、昔からの知識を蓄えることができ、自分たちの目指す未来に向かって進んでゆくことが出来る。一方書くことを知らない民は、ひとり一人の記憶がどうにか留める曖昧な広がりのずっと向こうにある過去を確かなものにすることが出来ず、形の定まらない歴史に囚われたままである。そこには、きまって起源が欠けていて、なにかを企てようとする持続した意識もない。そんなふうに考えたいようです。
 けれども、私たちが書くという行為について知っていること、またさまざまに変化する中でのその役割について知っていることは、そうした捉え方を正しいと認めません。人類の歴史の中でもっとも創造的な局面のひとつは、新石器時代の到来時に位置します。その創造的な局面から、農業が生まれ、さまざまな動物が家畜されるなどの出来事が生じます。そこに至るためには、小さなさまざまな人間集団が、何千年にも渡って観察を行い、実験をし、その考察の結果を伝えてゆかなければなりませんでした。結果から明らかなのは、こうした広大な企てが、確実に、たゆまなくくり拡げられたことです。ところが当時、書くことはまだ知られていなかったのです。
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 それでは、次回は pour l'expliquer. までとしましょう。
 明子さんが紹介して下さった Essai のタイトル <> は、「クロード・レヴィ=ストロース、意味/感覚の渡しびと」といった感じになるでしょうか。西洋近代文明の意味/感覚の体系とは異なったシステムをもつ世界へと私たちを導いてくれるレヴィ=ストロースを紹介した書物なのでしょう。
 以前にもここで話題にしたと思いますが、PCを使って、時にはフランスのラジオ番組に耳を傾けるのもいいものです。ぼくは、最近はもっぱら TV 5 を見ていますが、通信回線が高速に整備される前は、France Culture や France Interne などをよく聴いていました。テレビのフランス語と比べて、ラジオのフランス語の方が外国人にはずっと耳に馴染むはずです。
 ところで、引っ越し先で光回線が整備されるのに2月ほどかかるようで、当分 TV5はおあずけとなり、またしばらく Radio France のお世話になることとなりました。
 
 そう、3月早々にまた引っ越しなのです。それで、また少しお休みを貰わなければなりません。勝手言って申し訳ないのですが、2/25(水)から3/24(火)まで教室はお休みとさせて下さい。休み明け、25日に、… dissimuler l'autre. までの「注釈・試訳」をお目にかるようにします。どうかご了承下さい。
 smarcel

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(3) 注釈と試訳

2009年02月11日 | Weblog
 [注釈]

 * mais non point (...) au terme d'un apprentissage laborieux : ナンビクワラでの「書くこと」の出現を話題にしています。そこでは、「書くこと」は、「一生懸命学んだ果てに」生まれたものではない。
 terme という言葉は、よく使われる言葉であるだけに、その多義性には特に注意が必要です。ここでは、「期限、終わり」を意味しています。この言葉の持つさまざまな意味を、辞書で再度確認して下さい。
 * Son symble avait e'te' emprunte' tandis que sa re'alite' deumeurait e'trange`re. : この文章全体の鍵になるセンテンスです。Son, sa は、もちろん、e'criture を指しています。
 emprunte', etranger は、ここではほぼ同じ意味です。つまり、書くことの「象徴性」は借り物のまま機能していても、「その現実、実質」は、人々に無縁なままだ、ということです。このことの例証が、 Les villages ou` j'ai se'journe'… となっています。
 * e'crire pour exercer son industrie : son industrie とは、scribe という仕事のことです。

 [試訳]

 ばかばかしいトラブルにまだ悩まされていて、よく眠れず、今日の物々交換の様子を思い出しながら、不眠をやり過ごしていました。そう確かに、ナンビクワラの人々の間に書くという行為が出現していました。けれどもそれは、想像とは違って、苦労して身につけた行為としてではありませんでした。書くという行為の象徴は利用されていたものの、その行為の本当のあり方は、ナンビクワラの人々には無縁のままでした。それは、知的なというより、社会的な目的のためにそうなったのでした。大切なのは、知ること、何かをとどめること、理解することではなく、他人を貶めてでも、ある者の、ある働きの、威厳や権威を高めることだったのです。石器時代に生きていた者はすでに気づいていました。何事かを理解する大きな手段が、それを理解しないままでも、少なくとも他の目的に利することが出来るということを。結局、何千年にも渡って、いや今日でさえ、世界の多くの場所で、書くという行為はさまざまな社会のひとつの制度としてありながら、その大部分の成員は自在に書くことは出来ないのです。私がかつて滞在した東パキスタンのチッタゴンの丘にある村々では、多くの人々が文盲でした。人々にはそれぞれ筆耕がいて、その者が、個人に対して、あるいは集団に対して書く仕事をするのです。みんなが、書くという行為のことは知っていて、必要に応じてそれを利用しているのですが、筆耕は外部から来たもの、外部の仲介者のようなものであり、その者とは話言葉で意思疎通をはかるです。ところで、その筆耕は役人や、集団内で雇われていることは稀なのです。つまり、筆耕の知識には権力が伴っているため、一人のものが同時に、筆耕の仕事と高利貸しを兼務していることが多いのです。それは、ただ生業のために読み・書く必要があるためだけではなく、筆耕が、つまり二重の資格で他人の頭を押さえる者でもあるためです。
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 次回は、段落を新たにした後の alors que l'e'criture e'tait encore inconnue. までとしましょう。

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(2) 注釈と試訳

2009年02月04日 | Weblog
 [注釈]

 * il tira (...) un papier (...) qu'il fit semblant de lire : ここの関係代名詞 que は et と解した方がいいでしょう。つまり、「頭は紙を取り出し、読む振りをした」
 * a` celui-ci, contre un arc (...) un sabre d'abatis : ここは、直前の la liste des objets que je devais donner en retour des cadeaux offerts という文脈からすると、「ある者には弓と矢のお返しに伐採用の刀」ということです。
 * qu'il avait obtenu l'alliance : que は、les persuader que.…, qu'il avait obtenu とつながっています。
 * nous nous mi^mes en retoute : se mettre en route 「出発する」かけ声で、En route ! となれば「出発 !」です。

 [試訳]
 
 ところで、グループの頭は、皆を集めると背負い籠からねじれた線で覆われた一枚の紙を取り出し、それを読む振りをしたのです。あたかも迷いながら、頂戴した贈り物のお返しに私が用意しなければならない品物のリストを、彼はそこに読もうとしているのです。ある者には、弓と矢とのお返しに伐採用の刀 ! また別のものに対しては首飾りのお返しに真珠 ! という具合。このお芝居は2時間続きました。頭の望みは何だったのでしょうか。多分、自分自身を欺くことだったのでしょう。いや、むしろ仲間を驚かすこと、自分の仲介があって品物が手に入るのだと仲間に思わせることでしょう。自分は白人とすでに親しく、その秘密にも与していると思わせたいのでしょう。私たちはそそくさとその場を立ち去りました。というのも、もっとも恐れなければならないのは、私がもたらした奇跡が他のものの手に渡ってしまうことだったことは、間違いないからです。ですから、ことをこじらせないためにも私たちは出発しました。相変わらずインディアンに導かれて。
滞在は不首尾に終わり、自分が図らずもこけおどしの道具にされたことで、刺々しい雰囲気が生まれていました。そのうえ私のロバが口内炎で、口元が痛そうでした。痛みに耐えかねて歩き出したかと思うと、突然立ち止まったり。私たちはやりあってしまいました。知らぬあいだに私は草原の中で方角も失い、ひとりぼっちになっていました。
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 月曜でしたか、Moze さんの書き込みを読んで、思わず、あ、と声を上げてしまいました。そうでした。前日の夜、テレビのことがなにか引っかかっていたのですが、気になりながらも、ネットで Le Monde を読んでいたか、本を読んでいたりしていたのでした。そう、夜は ETVで辺見さんの姿を見ようと、日曜の朝予定を立てていたのでした。
 辺見庸さんは大病をされてから三度も講演のために来阪されているのですが、ぼくは2度その会場に足を運んでいます。失礼ながらも、まだお元気なのだろうかという気持ちで、お声を聞きに伺っています。前回は昨年、大阪の夜もようやく冷え込んで来た頃の秋でした。間に休憩を挟んでですが、それでも3時間近くお話しになりました。アメリカ発の今回の金融危機が、1929年の恐慌のあとのファッショ化と果たして無縁いられるだろうか、と危ぶんでいられたことが印象的でした。それから、この都の知事さんを辛口で論評されると、会場から陽気な笑い声がにぎやかにわき起こったこともよく覚えています。会は、開場時間の30分前から長蛇の列が出来る盛況振りでした。若い知事さんの支持率とやらが驚異的な高さだと、昨日の大阪のメディアは大きく取り上げていましたが、そんな知事の危うさを敏感に感じ取っている府民も大勢いることを肌身で感じ、少し安心してその夜は帰途についたものです。
 次回は、les autres. までとしましょう。