[注釈]
* nullement sa condition : on ne doit voir en elle nullement sa condition ということです。つまり、elle = l'e'criture に見るべきなのは、新石器時代の変革の結果なのであって、書くことがその変革を準備したわけではない、ということです。
* plus qu'elles ne se sont accrues. : ここの ne は「虚辞の ne 」というやつです。
ex. Il est plus gentil qu'il ne parai^t. 「あいつは、ああ見えて優しいよ」
* Mais cette condition ne'cessaire (...) pour l'expliquer : ここは、ただ「この必要条件」とするよりは、書くという必要条件、と訳出した方がずっと親切です。
それから、l' = l'e'panouissement scientifique であることもしっかり捉えて下さい。
[試訳]
書くという行為が紀元前4世紀から3世紀の間に出現したのだとすれば、そこに見るべきなのは、すでに遠い(おそらくは間接的な)新石器時代の変革の結果であって、書くことが、新石器時代の変革の条件となったわけではまったくありません。書くこととは、どんな大きな変革と関係があったのでしょうか。技術面では、建築を上げることができるぐらいです。けれども、エジプトやシュメールの建築は、書くことを知らないままにアメリカ大陸で暮らしていた人々の建造物と比べて優れているわけでもありませんでした。逆に、書くことの発見から近代科学の誕生まで、西洋世界は五千年にもおよぶ年月を経て来ていますが、その間に知識が増えたというよりは増減をくり返しています。よく言われることですが、ギリシア・ローマの市民の生活と18世紀のヨーロッパの有産階級の生活との間には大きな違いはありませんでした。新石器時代に人類は、書くことに頼らずに大きな前進を成し遂げたのです。書くことによって、西洋の歴史的な文明は長きにわたって停滞してしまったとも言えます。おそらくは、書くことを知らないままでの19世紀・20世紀の科学の開花は想像できないでしょう。しかしながら、書くことは必要条件ではあっても、科学の飛躍的発展を説明するのにはまったく十分ではないのです。
…………………………………………………………………………
雅代さん、ウィルさん、ご意見ありがとうございます。
雅代さんが名前を挙げていた鹿島茂ですが、ぼくがお世話になった J 先生の東大仏文科の同級生だそうです。その J 先生の日比谷高校時代の同級生が、あの内田樹です。内田さんが今月の「中央公論」で教育社会学者の苅谷剛彦と対談していて、いつもながらの、示唆に富んだ発言をしています。ところで、これは苅谷さんの発言ですが、大学で学ぶということは個人の受益のためだけはなく、社会のためだというロジックに納得して授業料を無償にしている、多くのヨーロッパの国々のことが話題に上っていました。
public にたいする感性が鈍化している日本の現状を考えねと、大学教育の未来に楽観できないことが残念です。
『悲しき熱帯』を残したまま勝手に春休みを頂戴するのは心苦しいのですが、申し訳ありません。
本の荷造りは半分ほど終わっていますが、今日は大方の目処をつけてやろうと思っています。引越しは3月5日。当日の晴天を祈るばかりです。今日は大阪は朝から雨。この時期に日本にいるのは、3年振りとなります。フランスの、歩いていてもそう気にもならない雨と、時々のぞくまぶしいほどの明るい青空が、無性に恋しくなります。でも、荷造りに専念しなければなりません。
smarcel
* nullement sa condition : on ne doit voir en elle nullement sa condition ということです。つまり、elle = l'e'criture に見るべきなのは、新石器時代の変革の結果なのであって、書くことがその変革を準備したわけではない、ということです。
* plus qu'elles ne se sont accrues. : ここの ne は「虚辞の ne 」というやつです。
ex. Il est plus gentil qu'il ne parai^t. 「あいつは、ああ見えて優しいよ」
* Mais cette condition ne'cessaire (...) pour l'expliquer : ここは、ただ「この必要条件」とするよりは、書くという必要条件、と訳出した方がずっと親切です。
それから、l' = l'e'panouissement scientifique であることもしっかり捉えて下さい。
[試訳]
書くという行為が紀元前4世紀から3世紀の間に出現したのだとすれば、そこに見るべきなのは、すでに遠い(おそらくは間接的な)新石器時代の変革の結果であって、書くことが、新石器時代の変革の条件となったわけではまったくありません。書くこととは、どんな大きな変革と関係があったのでしょうか。技術面では、建築を上げることができるぐらいです。けれども、エジプトやシュメールの建築は、書くことを知らないままにアメリカ大陸で暮らしていた人々の建造物と比べて優れているわけでもありませんでした。逆に、書くことの発見から近代科学の誕生まで、西洋世界は五千年にもおよぶ年月を経て来ていますが、その間に知識が増えたというよりは増減をくり返しています。よく言われることですが、ギリシア・ローマの市民の生活と18世紀のヨーロッパの有産階級の生活との間には大きな違いはありませんでした。新石器時代に人類は、書くことに頼らずに大きな前進を成し遂げたのです。書くことによって、西洋の歴史的な文明は長きにわたって停滞してしまったとも言えます。おそらくは、書くことを知らないままでの19世紀・20世紀の科学の開花は想像できないでしょう。しかしながら、書くことは必要条件ではあっても、科学の飛躍的発展を説明するのにはまったく十分ではないのです。
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雅代さん、ウィルさん、ご意見ありがとうございます。
雅代さんが名前を挙げていた鹿島茂ですが、ぼくがお世話になった J 先生の東大仏文科の同級生だそうです。その J 先生の日比谷高校時代の同級生が、あの内田樹です。内田さんが今月の「中央公論」で教育社会学者の苅谷剛彦と対談していて、いつもながらの、示唆に富んだ発言をしています。ところで、これは苅谷さんの発言ですが、大学で学ぶということは個人の受益のためだけはなく、社会のためだというロジックに納得して授業料を無償にしている、多くのヨーロッパの国々のことが話題に上っていました。
public にたいする感性が鈍化している日本の現状を考えねと、大学教育の未来に楽観できないことが残念です。
『悲しき熱帯』を残したまま勝手に春休みを頂戴するのは心苦しいのですが、申し訳ありません。
本の荷造りは半分ほど終わっていますが、今日は大方の目処をつけてやろうと思っています。引越しは3月5日。当日の晴天を祈るばかりです。今日は大阪は朝から雨。この時期に日本にいるのは、3年振りとなります。フランスの、歩いていてもそう気にもならない雨と、時々のぞくまぶしいほどの明るい青空が、無性に恋しくなります。でも、荷造りに専念しなければなりません。
smarcel