[注釈]
*cette relative bonne tenue de la lecture ne va pas de soi. : Cela va de soi. 「それは自明のことだ」bonne tenue de la lecture 読書の健闘がけっして盤石なものではない、ということを述べています。
*Lire l'e'ditorial du...:これはこの記事の参照ページを指示したものです。本来はこの本文から削除すべき一行でした。ごめんなさい。
*Vaste e'tude sur la lecture chez... : 前後の流れからすると、その調査が15年前の研究『それでも彼らは本を読んでいる』の元となっていたようです。
* elle nuancait cette e'volution : e'volution事態の変化、変遷を指す言葉です。
[試訳]
読書がこうして比較的健闘しているとは言っても、それを手放しで喜ぶわけにはいかない。書物には孤独と集中が欠かせないため、「インターアクティブ」の余暇の時代には分が悪い。
1月「エスプリ」誌が注意障害についての特集を組んでいた。情報洪水と結びついた過刺激という「時代の病」は、読書に不可欠な落ち着きとは折り合いが悪い。
書物は、引き切らない外部からの刺激の波に対して抗うことを私たちに強いる。もうすこし些細なことを言えば、タブレットや携帯電話の出現以来、本はその大きな強みのひとつを奪われてしまっている。つまり、読書はもはや場所を選ばない唯一の余暇ではなくなってしまったのだ。
『それでも子供たちは本を読んでいる』この有名になった言葉は、そもそもは三人の社会学者—クリスチアン・ボドゥロ、マリ・カルティエ、クリスティーヌ・デトゥレ—の共著のタイトルであったが、あれからちょうど15年となる。
中学生を対象とした大規模な読書調査は、若者世代の本離れに警鐘を鳴らす批判に対する反証となっていた。たしかに調査からも読書の退潮傾向は明らかではあるが、調査はそうした傾向を断定はしなかった。
そこから浮かび上がったのは、子供たちのあいだから本を読む行為がなくなってしまったことではなく、その実践が変化したことだった。
こうした調査に対して、今日においても同様な慎重さが必要とされる。読書時間を従来の書物を読む時間と捉えるか、あるいは他の媒体によってなされる時間を考慮するかによっても、時間の測り方は違ってくる。調査対象者の正直さかげんによっても、結果はまた違ってくるだろう。
ステファン・キングの愛読者であろうと、あるいはパトリック・マディアーノ、アメリ・ノートンの、あるいはジョルジュ・ペレックの愛読者であろうと、私たちは多くは本に愛着を持っている。
最新の出版に関する調査(イプソ・サンディカ・ナショナル)によると、書物はその「根本的な信頼」を何ら失っていない。書物から得られた情報は、ネット上で見つけられた情報に比べて6倍信頼がおけると見なされている。また84%の読者は本のない世界など想像もできないと答えている。書物の戦いはまだまだ見捨てはものではない。
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今日は人によっては連休の谷間となるのでしょうか。ぼくは、時々雨が落ちる曇り空のもと、昨日の祝日も某大学で授業でした。ここ岡崎では今日も朝から雨が降り続き、部屋では残った灯油を使い切るために、朝から時々石油ストーブに火を入れています。
Masayoさん、Mozeさん訳文ありがとうございました。ちなみにアメリ・ノートンは日本での勤務経験もある現役の中堅作家です。
自分を振り返ってみると、ぼくも遠く離れたフランスのことが気にかかり、パソコンの画面でかの地の新聞や雑誌を読む時間が多くなりました。それでも、フランス語で書かれた書物をダウンロードして読む気にはなれず、けっして安くはない送料負担を重く感じながらも、懐の許す範囲で、月に数冊フランスのネット書店に本を注文しています。
さて、つぎのテキストですが、もう少し検討して、今週末にはみなさんのもとへお届けすることにします。今しばらくお待ち下さい。Shuhei
[注釈]
今回はやはりみんさんには易しかったようで、ぼくからとくに付け加えることはありません。フランス語で書かれた新聞などを容易く読める時代になりました。ぼくの目に留った記事を@hiokiとして、ときどきツィートしています。みなさんぐらいフランス語を正確に読めれば、いろんな記事が楽しめるでしょうから、どうかまた参考になさって下さい。
ひとつだけいえば、parisienne et diplo^me'e の箇所の diplo^me'eですが、これは一般的には、大学や、大学院、あるいはグラン・ゼコールといった高等教育機関を修了したもののことを言います。日本と違って、フランスの大学の卒業認定はなかなか厳格で、そこで修了に至らなかったもの、sans diplo^me' の若者の就労も大きな社会問題となっています。
[試訳]
34回目になる、パリで開催されているサロン・デュ・リーブル(本の見本市)の通路で、きっと彼女を見かけるのではないだろうか。46歳、おそらく学歴のある、パリ在住の女性で、手のかかる子供はいない。3月14日金曜に公表されたイプソ・リーブル・エブド(週間書籍情報)による調査から浮かび上がるのは、彼女のような典型例である。つまり、本好きの女性である。
彼女のような平均的読書家は年に十五冊ほどの本を読むという。二年前に比べると一冊減らした格好だが、最近の研究はほっとさせられる結果を示している。
確かに書籍市場は収縮し、売り上げもここ三年で4%の落ち込みを示しているが、それでもフランス人は本を読み続けている。15歳から24歳までの若者の80%が最近一年で一冊は本を読んでいて、すべての年代で見ると、70%という数字になる。
予想に反して、本は負けていない。読書は、「友人との外出」に次いで、人気の余暇として、音楽やテレビ視聴よりも上位の位置を占め続けている。
本を読む人たちの約半数が、毎日必ず本を手にすると答えている。その多くは刑事物やスパイ小説で、今年は際立って売り上げを伸ばしているジャンルだ。
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misayoさん、Mozeさん、shokoさん、それぞれ正確な訳文ありがとうございました。また何度目かの新学年。本年度もどうぞよろしくお願いします。
それにしても、misayoさんの読書量には驚きました。de'vorer という表現が文中ありましたが、それはもうGourmandeの域ですね。
高校の先生の「現実」を見なさい、というお言葉ですが、良質の書物の中にこそ「現実」が真にリアルな姿を現すということもあります。ぼくは今、古井由吉『反自叙伝』(河出書房新書)を読んでいますが、東京大空襲から2011年3.11.にまで至る日本社会の移り行きを、ひとりの作家の達意の文章によって、戦争を知らないぼくのような人間の体感をもって生きることが出来きます。それも、どこか真実に触れているという恍惚感を持って。本を読むということの功徳のひとつだと言えば、きっと古井さんは苦笑なさるでしょうけれども。
さて次回は、少し長くなりますが、この文章を最後まで読み切ってしまいましょう。30日(水)に試訳をお目にかけます。Bonne lecture ! Shuhei