フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

ジャンケレヴィチ『死とは何か』(2)

2011年09月28日 | Weblog
 [注釈]
 
 *non-sens : これは文脈にふさわしい訳語を考えるしかありませんね。misayoさんの「不条理」というのも、いいかもしれません。
 *Pluto^t avoir ve’cu : ここは、後者を選ぶよりは「むしろ」ということですから、une ve’ritable vie, une existence de’fini d’amourのことです。
 文末の内容に関しては、語られていることが当たり前すぎて、かえってその論理が見えづらいかもしれません。試訳を参照ください。

 [試訳]
 
 死とは命の条件であるのだろうか?
 
 死ぬことは、生きてあることの条件そのものです。死こそが、生から意味を奪いながらも、そこにある意味を与えるのだ、と多くの人が言いましたが、私もその列に加わることになります。死は、命に意味を与える意味ならざるものなのです。ある意味を与えながらも、その意味を否定する意味ならざるもの。それが、短く苛烈な生にあって、はかなく熱い生にあって、死の役割が明らかにするものです。そんな生において、力と強度を与えるのが死なのです。それは逃れることのできない二者択一なのです。私たちはともすると生の激しさと同時に永遠をものぞみます。でもそれは思考不能なことであり、人間にはでき過ぎた虫のいい話で、人間の身分に相応しいものではありません。
 ですから、私たちに許された二者択一とは、こうです。はかない、けれども真実の、愛のある命。そうでなければ、果てのない、愛もない、まったく命とは呼べない、永遠の死のようなもの。もしこうした二者択一が示されたら、私の考えでは、後者を選ぶ人はほとんどいないでしょう。むしろ、たとえ夏のひと日であっても、蜻蛉のように果てることを選ぶでしょう。というのも、こうして見ると、長いも短いも同じことだからです。たとえ私は命を失わなければならないとしても、少なくとも命を経験しているはずです。そうでしょう。命を失わなければならないということは、それをすでに生きたということですから。

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 今回も、また本の話になりますが、池澤夏樹『春を恨んだりはしない』(中央公論新社)を読み、夏休み明けの大学の授業で紹介もしました。仙台若林地区に叔母夫婦が住んでいた著者が、何度も被災地に入り、物資の運搬などにも手を貸しながらまとめたルポルタージュでもあり、文明論としても読める一冊です。少しだけ引用しておきます。
 「自然には現在しかない。事象は今という瞬間にしか属さない。だから結果に対して無関心なのだ。人間はすべての過去を言葉の形で心の内に持ったまま今を生きる。記憶を保ってゆくのも想像力の働きではないか。過去の自分との会話ではないか。」(p.24)
 言葉という、精妙な、けれどもか細い糸を通じて過去と繋がっていなければ、私たちは今この時を十全に、ゆたかに生きることはできません。そのことを忘れて、転変する社会状況に適合することに、あるいは未来に設定された目標をのみ見つめることに、私たちは文字通り「我を忘れて」いるのではないか。そんなことを思いながら、同書を読んでいました。
 文芸誌『新潮』10月号に掲載された、古井由吉・平野啓一郎の対談「震災後の文学の言葉」も、相前後して大変興味深く読みました。内容に関しては、hiokiという名でツィートしましたから(http://twitter.com/#!/hioki)、ここではくり返しません。興味のある方は、お手数ですが、そちらをご覧下さい。
 さて、次回からは、「ジェンダー」という言葉を巡って先日議論が沸き起こった、フランスの「教科書」問題に関する論考を読むことにします。今週末には皆さんの元にお届けするようにします。
 大阪は、日中こそまだ夏のようですが、朝晩はすっかり秋めいてきました。shokoさんどうか大事になさって下さい。みなさんも、季節の変わり目、お身体には気をつけて下さい。Shuhei

ジャンケレヴィッチ『死とはなにか』(1)

2011年09月14日 | Weblog
 [注釈]
 * l’existence de quelqu’un : あとの言い換えからすると「誰かが存在したこと」existence は、文脈によっては「生活」ほどの意味になることもあります。「実存」となるのは、かなり特殊な文章においてです。
 * la moindre ide’e : moindre に定冠詞がついていますから、ここは最上級表現です。何度か出てきたように、最上級表現にはときに「譲歩」の意味が込められることがあるので、注意が必要です。
 * Alors, il me reste pour tout viatique ce message : 死という事実は人智を以てしては計りがたい。「だから」私たちにはメッセージが残される、ということでしょうね。il reste...は、非人称構文です。ここの viatique は、secours indispensable の意味ととりました。以前どこかでジャック・ラカンの「生誕と死は思考の埒外だ」という趣旨の言葉を読んだ記憶があります。ここで Janke’le’vitch がいう「メッセージ」とは、そうした謎に向き合うための「ヒント」のようなものなのでしょうね。

 [試訳]
 
 死とは、取り返しのつかない、やり直しようのないものでありながら、この出来事はある人の生存を、その人が生きていたという事実を永遠に封印してしまう。それは、誰にも代わることのできない、滅びることのない、打ち消しようのない事実です。それはメッセージです。もちろん、死者は死んだままです。ですが、このメッセージの滅びることのない性質のうちに、私は、人間にとって超自然的な、説明不能な、考えられさえしないある要素を見ています。でも、実のところ、それはたぶん大変単純なものでしょう。ですが、私たちはそれをどう考えればよいのかまったくわからない。というのも、そこで問われているのはまったく別の次元のことだからです。ただ、私たちはそのことに納得がゆかない。なぜなら、私たちは経験的な思考の型にこだわっているからです。なにか確かなものを期待しているからです。是が非でも、なにか具体的なものを思い描きたいのです。なぜなら、問われているのはまったく別次元の事柄であるのですが、そのことが私たちにはまったく飲み込めないし、考えもつかないのです。ですから、そこにはペテン師がつけ入る隙がまだあるのです。そうだからこそ、私には頼みの綱としてこのメッセージが残されています。人が生きていたという事実、単純な神秘でありながらも、それ自体深い神秘に包まれた事実が。ただ、私たちは、問いを自らに課し、こうしたこと全ての理由を問うほどの十分知的な能力を備えているのですが、この謎に答えるだけの能力は持ち合わせていないのです。ただ問いを自らに課すことができるだけなのです…。
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 料理に苦手意識のあったぼくの母は、毎日の献立を考えるのが一番の苦労だ、とよくこぼしていました。ぼくの場合は毎日のことではありませんが、今度は教室で何を読もうかな、と頭のどこかで思いを巡らせている時間は結構長いかもしれません。
 これは是非教材に、と思う文章に思い至らない時は、やはり今の自分の関心に引きずられてテキストを選ぶこととなります。この夏、炎暑に耐えながら久しぶりにマルセル・プルースト『逃げ去る女』(『消え去ったアルベルチーヌ』)を入念に読み返していました。帰らない人となった恋人の不在を嘆き、苦しみ、やがて忘却に至る男のお話です。同作品を考える上でジャンケレヴィッチ『死』を読み、その入門書でもある<<Penser a` la mort ?>>にも目を通しました。いかがだったでしょうか。肩ならしにしても、みなさんには易しすぎたかもしれませんね。misayoさん、ウィルさん、shokoさん、Mozeさん、皆さんの訳文もそれぞれ正確なものでした。
 Mozeさんのおっしゃるように、古東哲明の著作は、「図らずも」今回のテキストの予習になっていたかもしれませんね。古東氏の著作楽しんでもらえたのなら、なによりです。ぼくも、なにかのさだめでこの世で会えなくなってしまった人の姿を夢で見かけることが時々あります。日本の和歌の感性、フォーレの歌曲に倣うなら、夢での邂逅を目覚めて哀しまなければならないのでしょうが、ぼくも淡い喜びを噛みしめています。
 それでは、次回は同テキストを最後まで読むことにしましょう。28日(水)に試訳をお目にかけます。その頃には名残の暑さもようやく翳りを見せていることと思います。

「フランス語読解教室」II、からのお知らせ。

2011年09月01日 | Weblog
 Chers amis,
 今日本列島に近づきつつある台風が去れば、いよいよ残暑も収まるでしょうか。でも、大きな被害はでないことを願うばかりです。
 さて、九月。Rentre'e scolaire にあわせて、新しいテキストをお送りするはずだったのですが、まだ準備が整っていません。以前お知らせしたように、最近パソコンを新たに購入したのですが、その機種に、長らく使っていたOCRソフトが対応しないようなのです。テキストの選定、画像化(?)は済んでいるのですが、テキスト化ができないままでいます。今あわてて新しいOCRソフトを探しているところです。皆さんの中で、mac対応でフランス語の読み込みに優れているソフトをご存知の方があれば、是非教えて下さい。
 そんなわけで、新しいテキストも今しばらくお待ちいただけますか。
 Shuhei