フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

アニーズ・コルツについて(5) テレラマ臨時増刊号「20世紀の詩人たち」より

2016年07月27日 | 外国語学習

[注釈]

 *la camisole de force qu'elle leur impose.: Mozeさんの訳文を読んで気づかされましたが、ここのelleは凡庸なmétaphorisation と考えられそうです。

 *Elle qui <<découpe les mots...à l'image de la terre>>つまり、découper à l'image de…と読めます。

 

[試訳]

 アニーズ・コルツは影を纏い、謎を仕掛ける女性詩人である。また、叫びをもたらし、「宇宙をひび割れされた」詩人である。それは彼女の詩の力だ。その詩は、思いがけないメタファーの力で、あたかも内部で駆動するモーターのように、イメージを振動させ、ひっくり返し、メタファーが課す拘禁服の彼方にイメージを投げ放つ。見ての通り、アニーズ・コルツの詩は短い。念入りに彫琢された、ほとんど俳句のよう。まるでアフォリスムのようだ。一語一語が大切で、沈黙がうわべだけのものを飲み込んでしまっている。形容詞は追放され、修飾も必要としない。言葉はいわば原石でなければならない。かき集められ、世界に向かって放たれる。そうしてのみ、世界における存在が再構築される。

 けれども、結局のところ、アニーズ・コルツのあらゆる作品の主要テーマは、詩そのものではないだろうか。ひとつ一つの詩句が詩法となる。詩人は「大地に倣って/言葉を裁ち/血というパンを成す」死に膝を屈するように、アニーズ・コルツは言葉に従っているのだ。

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 misayoさん、midoriさん、ウィルさん、そしてMozeさん、最後の訳文ありがとうございました。

 今さらこんなことを書いて叱られそうですが、これが最後のテキストとしてふさわしかったかどうか…。行き当たりばったりのテキスト選びを反省しています。毎回、毎晩の献立を考える主夫(主婦)のように、あれこれ考えを巡らせるのですが、是非これはみなさんと読んでみたいというものが思いつくこともあれば、今回のようにテキスト間の連なりに安易にまかせてしまうこともあります。

 Mozeさんがcompterしてくださったところによると339回。12年ということなのですね。あと一回で340回だという中途半端加減も、ぼくにふさわしい気さえします。本当に長い間おつきあいいただき、ありがとうございました。十二年の間には、こんな凡庸な人間にもあれこれありましたが、この「教室」の運営を通して、みなさんに文字通り支えてもらった歳月でした。

 もしみなさんに外国語を読むことの豊かさをわずかでもこの場で味わっていただけたのなら、これに勝る喜びはありません。ここに訳文を寄せてくれたみなさんは、フランス語をそれぞれに味わう力を十分養っていらっしゃいます。これからもそれぞれの関心に合わせてフランス語を読み続けて欲しいと願っています。

 またお気が向くことがありましたら、みなさんにとって思い出深い、教室で扱ったテキストの話など、今後もこの場で聞かせてもらえたならと思います。

 ウィルさんの「同窓会」という言葉はinattendu、不意を突かれましたが、これまでぼくがどうも優柔不断で「オフ会」(今でもこうした言い回しをするのでしょうか?)も実現できずに来てしまいました。この夏の勢いが衰え、少ししのぎやすくなった頃に、是非一度みなさんとお目にかかりたいと思っています。名古屋あたりでどうでしょうか。

 以前お知らせしたように、フランス語で綴るブログは10月を目処に始めたいと考えています。また実際お目にかけられるようになりましたら、みなさんにもお知らせいたします。

 それでは、この週末よりいよいよ暑くなりそうですが、お身体に気をつけてよい夏をお少しください。それぞれが豊かな読書をこれからも続けられることを心より願っています。Au revoir, mes amis! A bientôt!    Shuhei


アニーズ・コルツについて(4) テレラマ臨時増刊号「20世紀の詩人たち」より

2016年07月20日 | 外国語学習

[注釈]

 *les êtres les plus proches (...) se démultiplient,  「わたし」の最も身近な者たちが「普遍的な」存在となるという文脈ですから、dé+multiplier このdéは「強意」だと解釈しました。たった三人の身内が、その数を増やし、そして普遍的存在になるのだ、と。

 *A travers eux, les morts…; euxの説明がles morts sとなっています。

 *<<Un brocanteur>>, ce dernier: 「古物商」とは後者、つまり時間の隠喩です。

 

[試訳]

 最も身近な者たちの三位一体は、言葉にとらえられると、増殖し、骨抜きになり、やがて普遍的なものへと変貌する。その者たち、死者たちを通して、詩の内部に災禍の記憶が打ち建てられる。そうすると、詩人である「わたし」は、「彷徨う死者たちのモニュメント」に様変わりする。救いは彼方から、神のいないこの地上を逃れたところからやって来る。その救いにおいて、この世のひとつ一つの断片が「普遍宇宙の断片」へと変貌する。そのことを歌う詩が、アニー・コルツの最も美しい作品のひとつである。「わたしはあなたの口伝いに/宇宙の断片を口にする。/太陽も/足元の石も動かすことなく」アニー・コルツはこうして、何冊もの詩集を通して、ただ一冊の書物を記してきた。五つか六つのテーマが止むことなくその画布を織りなしてきた。いくども繰り返されるマントラのように、その響きは精神を解放し、精神は生と死の謎に、空間と時間の謎に密接に関わる。時間という「古物商」は過去を未来へと引き替える。「時間はそれに触れようとすると/顔面にわたしの遺灰を投げつける」

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 慌ただしかったにもかかわらず、misayoさん、Mozeさん、midoriさん訳文ありがとうございました。

 またフランスで惨劇が繰り返されました。日中エメラルドグリーの海を照らしていた眩いばかりの太陽が沈み、今度は賑やかな花火が夜空に、大輪の花をいくつも浮かび上がらせたその直後に、理性も感情も押し殺した盲目的に暴力によって、また数え切れないほどの命が踏みにじられました。

 パリよりも小規模ながら、路面電車に乗ればオペラハウスや数々の美術館に気軽に足を運べるニースが、この街の春がぼくは大好きでした。

 昨年11月のパリのテロで妻を亡くしたAntoine LérisがLe Monde紙に、亡き人を偲ぶ灯火のにおいに、時に吐き気さえ催すが、窓辺の蠟燭の火を絶やすことはできない。そのかすかな灯明はどんな暴力にも屈することがない。といった短い一文を寄せていました。また直後のLibérationの社説のNous sommes démunis.という直裁の言葉、いわば敗北宣言に、かえってフランス市民社会の強靭さを感じました。

 また夏がやってきました。暑中お見舞い申し上げます。

 次回が区切りとなりますが、27日(水)にこの文章最後までの試訳をお目にかけます。Shuhei


アニーズ・コルツについて(3) テレラマ臨時増刊号「20世紀の詩人たち」より

2016年07月14日 | 外国語学習

[試訳]

 場、それはアニーズ・コルツの作品にくり返しあわられる主題にひとつである。そこには、神はいない。あるいは不在の神とともにあると言うべきか。やむことなく呼ばれ続けていても、この世には存在せず、むしろその拒絶によって存在している神。「どこに神はいる?(...)教会の壁には『不在』の手配書が貼られている。」神はまた、命よりも死を好む「屍体性愛者」である。それは疑いようがない。「神が私に触れようものなら/雷鳴を見舞わせてやる。」要するに、「人間という波頭に座礁した」神は「消え失せた。/最後のディアノザウルスとともに」神は親しげに呼びかけられている。あたかももう一度だけ目覚めさせなければならないかのように。それは、空の不在を神に統べてもらうためではない。「その十字架から降りてこい」と詩人は命じる。「わたしたちには薪がいるのだ/暖をとるのに」「この地のほかにどこにもこの世はない」のだから。しかしその他にもこの世を賑わす人々はいる。身近な人々だ。コルツの詩のどこにでも顔を出す。母、父、そしてあの人。この地上の三位一体。「わたしは使い果たした 父を/母を/恋人たちを(...)世紀の一度の出来事で/彼らを消尽させるには十分だった」「生誕という猛威」がこうして最初の叫びとなる。「母の乳房には/釘が詰まっていた」衝撃的な詩集『大地は黙る』(1999)は謎の母を歌う。「母は今でも生きている/わたしのからだの中で/けっして追い出してしまえない/いにしえの恐怖のように/わたしの乳となり母は わたしのからだを巡る/母はわたしの謎/冒涜的なおとぎ話」

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 misayoさん、Akikoさん、midoriさん、Mozeさん、訳文ありがとうございました。

 みなさん早々と訳文を作られて勉強熱心だな、と感心していたら、昨日の水曜日がお約束の日だっだのですね。来週が前回から2週間目の水曜日と思い込んでいました。暢気に構えていて、一日遅れの試訳となりました。ごめんなさい。

 散文に断片的な挟まれる現代詩。なかなか骨が折れました。モンペリエ土産の小さな詩集がこの記事につながったのですが、コルツの詩に親しんでいない身には雲をつかむようなところがあります。彼女の詩の翻訳もまだ無いようですが、いずれ日本でコルツが本格的に紹介される日を楽しみに待ちたいと思います。

 今月中にはこのテキストを読んでしまいたいので、変則的になりますが、次週20日にmes morts>>.までの試訳をお目にかけます。Shuhei