フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

フランソワーズ・サガン(6)

2009年08月13日 | Weblog
 [注釈]

 * le sens des hie’rarchies : 前回扱った部分の内容、本当の意味で作家足りうる人間は、ある意味孤高の存在であらざるをえない、といった内容を指しているのでしょう。
 * une existence aise’ment qualifialble d’agite’e : サガン自身の生き方、つまり「まずは波瀾万丈のと形容できる」ということです。
 * je n’aapre’cie plus que la motie’. : appre’cier = de’terminer la valeur de qch. ですから、四冊の書物のあり難さを半分しか分っていない、ということです。
 * Et il fallut que ~, pour que …. : 「….であるためには~でなければならなかった」

 [試訳]

 だから私は、プルーストによってまた、ものを書くという私の熱情には困難と様々なレベルがあることも学んだ。すべてを、プルーストによって学んだとも言える。

 けれども、これら四冊の書物を初めて読んだこと、またその時の光景を考えると、それでも今日認めなければならないことが一つある。それは、今になっても自分の人生の成り行きを理解することは出来ず、何ひとつ分からない、ひとまずは波乱に富んだと言える人生において、何ひとつ学ばなかったとしても、今でも私にはこれら四冊の書物が跳躍台であり、羅針盤であり続けている、ということである。それでも、それら四作品の半分も理解したとは言えないけれども。私の精神は何年もの間それらの書物に問いかけて来た。私の思い出の最も生きいきとした、もっとも完全な部分は、これらの本と結びついている。そんな思い出には私の知性のみならず、嗅覚、聴覚、触覚までもがしるしづけられてしまっている。なのに心の思い出は、まったくぼんやりとした姿しか残していない。あるいは逆に、ただ一つの感覚しか満たしていなかった。あの人を初めて愛したとき、その目をまなざし返した目の輝きや、雨の匂い、初めて仲違いした時のカフェの香りなどは、これ以上ないほど鮮明だけれども、その他は何ひとつ覚えていない。初めてのキスの時には雨が降ったいただろうかか。目を伏せてあの人が言ったのはさよならだったろうか。何も分からない。私は自分自身を生きるのに精一杯だった。だから、誰かに私の代わりに生きてもらい、それを私が読まなければならなかった。つまりは、自分自身の人生を十全に感じ取るために。
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 サガンのエセー、いかがだったでしょうか。はやりサガンは、「読んだから書いた」という作家の王道を歩んだ人だったのですね。
 
 大阪では、立秋を過ぎてしばらくすっきりしないお天気が続いていました。夜には、虫の声も聞かれるようになり、やはり盛夏を過ぎたのかな、と少し一息つけたのも束の間、今日(8月12日)は茹だるような暑さでした。まだまだ気を抜けません。
 残暑お見舞い申し上げます。みなさんも、どうかお身体には気をつけて、たくさん読んで下さい。
 勝手ながら、夏休みを頂戴します。次回テキストは、9/25(金)までにお届けします。それまでにまたみなさんの近況(読書)報告など聞かせていただければ幸いです。
 Bonne lecture et bonnes vacances !
 smarcel

フランソワーズ・サガン(5)

2009年08月05日 | Weblog
 [注釈]

 まずは、スキャニングの際に正確に読み取れなかった箇所がまたあったことをお詫びします。p.214 la litte’rature se venge toute seule : elle fait (….) と、un succe’s provosoire qui les ravage a` vie. の二カ所です。
 * cette passion incontro^rable et toujours contro^le’e : et は対立を表し、「がしかし」ほどの意味となります。「書く」という行為は、「狂気」である以上、「制御不可能」ですが、一方でそれが「作品」となるからには、その行為のうちに自ずと批評を孕むということでしょう。
 * il n’y avait pas plus de vrais e’crivains que de vrais peintres ou de vrais musiciens. : ne ...pas plus … que ~ : 「~でないのと同様に….でない」ex. Il n’est pas plus bavard qu’avant. 「彼は昔と変わらず無口だ」
 * Qu’e’cririe demande (…) - ve’rite’ devenue inconvenante (…) : Qu’e’crire demande (...) - [c’est une] ve’rite’(…). と読めます。つまり、ここで「真実」と言われているのは、書くことは、希有な才能を要求するということです。
 * gra^ce au doux me’pris qu’elle e’prouve pour... : elle は後出の la litte’rature を指します。

 [試訳]

 プルーストを読むことを通してまた、書くというこのすばらしい狂気を発見し、書くという熱情が制御不能ながらも、常に制御されていることにも気づかされた。ものを書くとは絵空事ではなく、容易なことでもない。当時すでに広まっていた考えとはまったく逆で、本物の画家、本物の音楽家がいないように、本物の作家というものも存在しない。私に分かったのは、書くという才能は、ごく少数の人々にしか恵まれない運命の贈り物であり、それを職業に、あるいは手慰みにしようとする浅はかな人間は、惨めな冒涜者でしかない、ということだった。ものを書くには、正確な、貴重な、滅多に見られることのない才能が要求される。それは今日、受け入れられない、ほとんど反時代的な考え方にしても、真実である。けれども、似非文学信仰者や文学者気取りには文学の穏やかな軽蔑が差し向けられ、文学はひとりでに復讐を果たすだろう。いたずらに文学に、ほんの指先だけでも、触れようとする者を、文学は手厳しくも役立たずにしてしまい、そんな者たちには何ものも与えてくれない。時に残酷にも、束の間の成功を与えることはあっても、それでその者たちは人生を棒に振ってしまうのだ。
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 さて、それでは次回はこのテキストを読み切ってしまいましょう。それで、立秋も見送ってからの、遅い夏休みにしたいと思います。
 次回読むところにも、2箇所訂正しなければならないところがあります。
 p.215 les plus vivaces et les (tes) plus complets de mes souvenir.
   alors que les souvenirs du cœur (cour) ne m’ont jamais laisse’qu’un flou...
  smarcel