Lecon 134 注釈と試訳
[注釈]
文章は平易なものでしたし,みなさんもしっかり理解されていたようですから,簡単な評釈を。
ナンシーは子供の質問に二つの問題を見て取ったようです。ひとつは、神の「存在」の問題。これは,神は「ある/ない」という存在の問いを超越したものであると、文章の前半で答えています。
それからもうひとつは、世界の「始源」の問い。これも、神を世界の創造主と規定すると、こんどは神以前の状態をどう考えるのかが問われなければならなくなる。その無限後退を避けるために,「神は存在しなかった」と答えているわけです。
[ 試訳 ]
どうして神様は存在するのですか。またどんな風に存在するのですか。
ああ。(あちこちで笑い) 今の質問での笑いですね。わたしはさきほど、神の存在の問題は問わないと言いましたが,それはあまりに難しい問題だからです。わかってもらえるでしょうか。
あなたの質問には二つの面があります。まず、わたしが明らかにしようとしたのは,神は,特定の物や人のようには存在しないということでした。よろしいでしょうか。ですから、たとえわたしが、神はどこにも存在しないと言ったしても、同時に神はあらゆるところに存在するのです。キリスト教の言い方にならって「神は愛なり」と言ってもいいのですが、その愛も遍く存在すると同時にどこにもないのです。あなたにも好きな人がいるでしょう。お分かりのように、その思いはどこかにある物のようには存在しませんね。ハートを描いてカードを送ることは出来るかもしれませんが,それはあなたの思いの記号であって,あなたの思いではありません。つまり、そうした意味では神は存在しないのです。
それから、あなたは神はなぜ,どのように存在するのかと問われましたが,あなたは大きな力を持った人格のようなものをすでに想定されていますね。でもその問題については,つまり、世界の創造については、わたしはまったく触れて来ませんでした。あなたが考えていたのは,その問題ではありませんか。そうですね。まさに、神を世界を創造した何者かとして思い描くと、世界の創造を、世界を作り上げることのように理解すると,例えばその水の入ったビンを作った人のように思い描くと、…。これはいい例ですね。このビンを作ったのは誰でしょうか。機械か,いくつもの機械、工場で働く人たちもそうでしょう。たぶん、少しの人手とたくさんの機械なのでしょう。神はそうなふうに世界を創造したと思い描くと、それはつまり、神はどこかに小さな脳を備えているにしても,巨大な機械であり,とりわけ、私たちが今乗っかっている巨大なトラックを作り出すほどの強力な機械だということになります。でも、そう考えてみてもまったくうまく行きません。というのも、直ちに次の問題を考えなければならないでしょうから。つまり、その機械は誰が作ったのか、と。そのために、三つの一神教いずれにおいても、創造の問題は最も熱く論じられる問題のひとつであり,創造の問題は、無からの創造の問題なのです。そのことをラテン語、イクス・ニヒーロの創造という言葉を使って人々は常に論じて来たわけです。つまり、無からの創造です。そのことは、神が物質を使ってのように、無から世界を作った巨大な機械である、ということを意味しているわけではありません。それはまさに、それ以前には何もないということを、世界はそこにあるということを言っているのです。世界がそこにあれば、そうすると、おそらくは少なくとも、神がいるか、神の問いがあるか,あなた方に語ったこと、つまり、宗教の可能性が、あるいは他のなにかがあるのです。けれども、わたしがあなた方に話して来たのは,まったく世界の創造の問題ではありません。
興味深いのは,他の宗教、多神教においても、無からの創造というものはありません。そこにある何かが常にすでにあるのです。その何かをカオス、原質料と言ってもいいでしょう。あるいは、例えば、そこから流れ出た乳が世界を作ったという、原始の巨大な雌牛のことかも知れません。雌牛といい,その乳といい、それは世界の初期状態なのです。世界の制作者としての神も、世界を作り出す機械としての神も、思い描かれたものです。そうした想像は、今日わたしたちが世界について持っている知識を、かつての私たちが持たなかった間は、おそらく必要でもあり,避けられなかったのでしょうが。ですから、神は存在しなかったのです。神が存在したとして,神がいつからか存在し始めたとして、今度はそれ以前はどうなるのでしょうか。
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今回はちょっと長過ぎましたね。ぼくも2時間ほどかかってしまいました。暮れのこの時期にみなさんしっかりした訳文をそれぞれありがとうございました。またどうか来年も懲りずにおつき合いください。
来年2月に転居を予定していて、今年は渡仏が理由でしたが,今回も2月からは少しまとまったお休みをもらうこととなりますが、新年初 Lecon は11日(金)から始めることとします。それでは、どうかみなさんよいお年を。
smarcel
[注釈]
文章は平易なものでしたし,みなさんもしっかり理解されていたようですから,簡単な評釈を。
ナンシーは子供の質問に二つの問題を見て取ったようです。ひとつは、神の「存在」の問題。これは,神は「ある/ない」という存在の問いを超越したものであると、文章の前半で答えています。
それからもうひとつは、世界の「始源」の問い。これも、神を世界の創造主と規定すると、こんどは神以前の状態をどう考えるのかが問われなければならなくなる。その無限後退を避けるために,「神は存在しなかった」と答えているわけです。
[ 試訳 ]
どうして神様は存在するのですか。またどんな風に存在するのですか。
ああ。(あちこちで笑い) 今の質問での笑いですね。わたしはさきほど、神の存在の問題は問わないと言いましたが,それはあまりに難しい問題だからです。わかってもらえるでしょうか。
あなたの質問には二つの面があります。まず、わたしが明らかにしようとしたのは,神は,特定の物や人のようには存在しないということでした。よろしいでしょうか。ですから、たとえわたしが、神はどこにも存在しないと言ったしても、同時に神はあらゆるところに存在するのです。キリスト教の言い方にならって「神は愛なり」と言ってもいいのですが、その愛も遍く存在すると同時にどこにもないのです。あなたにも好きな人がいるでしょう。お分かりのように、その思いはどこかにある物のようには存在しませんね。ハートを描いてカードを送ることは出来るかもしれませんが,それはあなたの思いの記号であって,あなたの思いではありません。つまり、そうした意味では神は存在しないのです。
それから、あなたは神はなぜ,どのように存在するのかと問われましたが,あなたは大きな力を持った人格のようなものをすでに想定されていますね。でもその問題については,つまり、世界の創造については、わたしはまったく触れて来ませんでした。あなたが考えていたのは,その問題ではありませんか。そうですね。まさに、神を世界を創造した何者かとして思い描くと、世界の創造を、世界を作り上げることのように理解すると,例えばその水の入ったビンを作った人のように思い描くと、…。これはいい例ですね。このビンを作ったのは誰でしょうか。機械か,いくつもの機械、工場で働く人たちもそうでしょう。たぶん、少しの人手とたくさんの機械なのでしょう。神はそうなふうに世界を創造したと思い描くと、それはつまり、神はどこかに小さな脳を備えているにしても,巨大な機械であり,とりわけ、私たちが今乗っかっている巨大なトラックを作り出すほどの強力な機械だということになります。でも、そう考えてみてもまったくうまく行きません。というのも、直ちに次の問題を考えなければならないでしょうから。つまり、その機械は誰が作ったのか、と。そのために、三つの一神教いずれにおいても、創造の問題は最も熱く論じられる問題のひとつであり,創造の問題は、無からの創造の問題なのです。そのことをラテン語、イクス・ニヒーロの創造という言葉を使って人々は常に論じて来たわけです。つまり、無からの創造です。そのことは、神が物質を使ってのように、無から世界を作った巨大な機械である、ということを意味しているわけではありません。それはまさに、それ以前には何もないということを、世界はそこにあるということを言っているのです。世界がそこにあれば、そうすると、おそらくは少なくとも、神がいるか、神の問いがあるか,あなた方に語ったこと、つまり、宗教の可能性が、あるいは他のなにかがあるのです。けれども、わたしがあなた方に話して来たのは,まったく世界の創造の問題ではありません。
興味深いのは,他の宗教、多神教においても、無からの創造というものはありません。そこにある何かが常にすでにあるのです。その何かをカオス、原質料と言ってもいいでしょう。あるいは、例えば、そこから流れ出た乳が世界を作ったという、原始の巨大な雌牛のことかも知れません。雌牛といい,その乳といい、それは世界の初期状態なのです。世界の制作者としての神も、世界を作り出す機械としての神も、思い描かれたものです。そうした想像は、今日わたしたちが世界について持っている知識を、かつての私たちが持たなかった間は、おそらく必要でもあり,避けられなかったのでしょうが。ですから、神は存在しなかったのです。神が存在したとして,神がいつからか存在し始めたとして、今度はそれ以前はどうなるのでしょうか。
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今回はちょっと長過ぎましたね。ぼくも2時間ほどかかってしまいました。暮れのこの時期にみなさんしっかりした訳文をそれぞれありがとうございました。またどうか来年も懲りずにおつき合いください。
来年2月に転居を予定していて、今年は渡仏が理由でしたが,今回も2月からは少しまとまったお休みをもらうこととなりますが、新年初 Lecon は11日(金)から始めることとします。それでは、どうかみなさんよいお年を。
smarcel