フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Ph. Sollers <<L'ange de Proust>>(2)

2014年05月28日 | 外国語学習

[注釈]
* re'gle' comme du papier a` musique : これは「規則正しいこと」の喩えです。
*la guerre des mots contre le somnambulisme : 昼夜逆転の中での創作活動をこう表現したのでしょうか。
* hors du temps pour le retrouver. : le = le temps です。
* Dro^le d'inceste... : ここは、プルースト-セレストの関係をこう喩えていると読みました。二人は変則的な父と娘だったわけですから。

[試訳]
 セレストはくたくたになるまで働いていましたが、退屈することはありませんでした。プルースト氏との暮らしは五線譜のように几帳面なもので、それはどこまでも続く夢遊症に言葉で挑みつづけるようなものでした。彼女は過酷な仕事を「どこか嬉々として、枝から枝へ飛び跳ねる鳥のように、鼻歌まじりに」こなしていました。プルースト氏には自分なりの道理があり、いつもそれに適った生き方をしていました。それはひとつの精密機器でした。セレストは本質を言い当てています。「旦那様は時間の外に身を置いて時間を見出されたのです。」時としてこの夜行性の吸血鬼はセレストをからかうのです。彼女に日記を書くことを勧め、こう請け合います。「そうしたら将来きっとぼくの書くものより売れるよ」と。ただ素朴に、旦那様は、お殿様で、男爵様で、王様でもあるのにと考え、彼女は主人に尋ねました。どうしてご結婚なさらなかったのか、と。その返答は、「ぼくのことを理解してくれる女性がいればよかったんだけれど。それにそんな人は世界中でひとりしか思い当たらない。ぼくが妻に迎えることが出来たのは、あなたしかいなかったな。」セレストは、もちろん、母でもあり、おそらくそれ以上の存在でした。それというのも、「ぼくは自分の作品と一緒になった」のだから。さらにおかしいのはこんなエピソードでしょう。プルースト氏が両親の理想的だった夫婦仲を回想している時に、こんなことを聞いています。「プラトニックな愛と肉体でつながった愛を区別なさいますか」と。「旦那様はまじまじと私の顔を見て、お答えになりました。」「あなたの仰ることの意味が分かりません。」セレストはこうも語っています。「旦那様といて一番素敵だったのは、ときに私が旦那様のお母様のように感じられる時があるかと思うと、私がご旦那様の娘にようにも感じられる時があったことです。」
 おかしな近親相姦と言おうか、プラトニックなものとしてもかなり奇妙なものです。というのも、この父にして坊やは、しょっちゅう出歩き、悪所にも通い、セレストに報告するのでした。こともなげに、売春宿ル・キュジアで見た鞭打ちの話を。「あの変わり種の主人ときては !」とセレストは声を上げたのでした。でも一体どうして旦那様、あんなことをなさるのですか。プルーストはただひと言こうくり返したのです。「それが必要なんだ」「どうしても」「時間がないしね」ディテールが、もっとディテールが、いつもディテールが必要でした。「旦那様は新聞を通じてどんなことにでも通じていらっしゃいました。政治、株式、芸術、文学。」第一次世界大戦の殺戮についてはどうだろうか。「もしドイツとフランスがわかり合っていれば、欧州は何世紀にもわたって平和であるのに。」主人の参戦していた戦いにおいては、手紙が常に戦略的に重要な位置を占めていました。「モンテスキューからの手紙を私に読んで聞かせる時の旦那様の嬉しそうな様子は是非ご覧にいれたかった。“いいかいセレスト、これから重要な一節を読むからね。一言一言の間からあの男の憎しみを嗅ぎ取ってみて欲しい。たいした男だよ ! ”そう言って大きな笑い声を上げるのでした。」
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 今回も長かったですね。いい塩梅で区切りを付けるのはなかなか難しいものです。試訳を作っていて疑問に思ったのは、この文章は「です・ます」と訳すのが本当によかったのか、ということでした。もう少し別の訳し方をした方が、ソレルスの簡潔な、スピード感のある文体を上手く伝えられたかもしれません。
 昨日、ぼくが今最も注目している政治学者白井聡と経済学者の水野和夫の対談を下記で読みました。大変刺激的なものでした。よろしかったら、「立ち読み」してみて下さい。
http://shinsho.shueisha.co.jp/kotoba/tachiyomi/140303.html#6
 さて、次回は、最後まで読み切りましょう。今度は、短くて少し気が楽です。6月11日(水)に試訳をお目にかけます。
 Bonne lecture !


Ph. Sollers <<L'ange de Proust>>(1)

2014年05月14日 | Weblog

[注釈]
 *la moindre ve'rification concrete...: 最上級表現はときに譲歩の意味を帯びることがあります。ここでは「ごく些細なことでも具体的に確かめようとすると...」
 *bouleversant de ve'rite'. : de ve'rite' で「実に、確かに」
 * Il se renvoyait la balle sur moi. : se renvoyer la balle 「激しい言葉の応酬をする」ですが、高揚したプルーストが、家政婦のセレストも議論に巻き込んだ様子でしょうか。

[試訳]
 当然プルーストのことなど知っていると仰るでしょう。『失われた時求めて』は言わずと知れた名作だろう、と。そう、あのプルーストです。アルベルチーヌ、シャルリュス、コンブレー、バルベック、ソドムにゴモラ。そういうくだりを諳んじていらっしゃるかもしれません。誰もがそれがどんな作家かご存知でしょう。ところがまさにそこで何かを具体的に確かめようとすると、ひと苦労となり、お笑いぐさともなるのです。
 プルースト氏その人のことは、あいかわらず謎に包まれたままなのです。けれどもここにはあの伝説の生き物が描かれているのです。ひとりの天使が、夜昼となく、生涯にわたってあの奇妙な生き物に寄り添っていたのです。それは22歳の学のない田舎娘でセレストと呼ばれていました。もうその名が彼女の存在をつつんでいます。82歳となった彼女の証言はじつに驚くべきものでした。実はプルーストは相当風変わりな聖人だったのです。彼女は1914年から1922年まで作家の傍らにいて、くたくたになるまで、何から何までその面倒を見て、臨終の際その目を閉ざしたあとは、沈黙を守って来たのでした。そして、1970年代の初頭になってようやくセレストは語ったのでした。このたび彼女の証言が再版されることなったのです。私たちはプルーストについて何も知らなかったのです。彼女は違いました。ごく些細なことまで彼女は感じ取るのです。献身の人、唖然とするほど純朴なセレストは、なにひとつ知らなくとも、物わかりの悪い人々よりもはるかに物事を理解していました。
 はっきり言いましょう。プルースト氏は大変な暴君でした。深夜3時エレベーターの音が聞こえると同時にご主人様のもとへ駆けつけるには(主人は家の鍵を持ち歩いていませんでした)、昼間よりも夜働き、呼び鈴が鳴るのをじっと待っていなければならず、主人の朝のコーヒーは午後6時に運ばなければならなかったのです。つまり、ひと様とは逆転した生活を送らなければなりませんでした。カーテンを閉ざし、物音を遮るためにコルク張りした冷えきった部屋で、プルースト氏は何をしていたのでしようか。ひたすら書き物をしていたのです。そうです。何を言っても無駄で、この暴君は賞賛すべき男でした。ご主人様の手がちょっと動く。手順を記した紙の切れ端が渡される。プルースト氏がにこっとする。すると、超然と構えていたセレストは駆けつけ、飛ぶように書類を運び、電話連絡を取る。時には夫オディロンに会うこともあった。夫もいつも車の用意をしていて、プルースト氏を乗せて夜の街へ送り出すのだった(リッツでの夕食や男娼の館へ)。時には何時間も車で待つこともあった。セレストは信じられないようなことを言っています。「夜働くことはなんでもありませんでした。ご主人様が帰ってくると、まるでお日様が昇ったようににぎやかでしたし。」とくにプルーストがひと夜の様子を、即興を交え語り興じ、小説を書く肩ならしをしている時は、そうだったであろう。「私なんかに議論を吹っかけることもありましたよ。」
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 misayo さん、Akikoさん、midoriさん、Moze さん、訳文ありがとうございました。今回は少し欲張りました。長かったですね。それに、平易な文章ですが、ニュアンスを読み取るには苦労しました。それぞれ、みなさんの訳文も大いに参考になりました。
 さて、次回はEt il riait tant qu'il pouvait .>>までを読むことにしましょう。
 最近Radio France Cultureを通して韓国人女性ジャズ・シンガー Youn Sun Nah の歌声を知りました。彼女のカヴァーした La Chanson d'He'le`ne が気に入っています。よろしければ、以下でお楽しみください。
http://www.youtube.com/watch?v=GHuNpHVg-Q8