フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

マルグリット・ユルスナール『夢とさだめ』(2)

2010年11月24日 | Weblog
 [注釈]
 
 * 夢の中で訪れるさまざまな re’gions のことが語られていますが、le cycle とも言い換えられています。これも共通の色合いを帯びた一連の夢を指しています。まとめると、
 1) la re’gion des du souvenir 2) le cycle de l’ambition et de l’orgueil 3) le cycle de la terreur 4) le cycle de la recherche 5) le cycle de la mort
 となります。
 
 * le cycle de la mort (...) et qui d’ailleurs contient tous les autres, : car 以下の文脈からすると、この tous les autres は、tous les autres re^ves と考えられます。というのも、cette grande incertitude noire とは、la mort のことだからです。死と向きあうことなく、夢を見ることも、その夢に促されて思考をめぐらせることもできない、と述べられています。
 
 * quand meutre : これも註のある文章との対比を踏まえて au moment du meutre と解しました。

 [試訳]
 
 思い出で織りなされた夢の地方があります。そこでは亡くなった父の姿が際立っています。野心や矜持の色濃い一連の夢もあります。もっとも、そこには二十歳の頃の幾夜のみ駆け回ったことがあるだけですが。またあらゆる夢の中でもっとも素朴な恐怖もの。牢獄、癩病者、竜、えぐられた心臓などが、そこにはひしめいています。けれどもかつてのようにその地方に足繁く通うことはなくなりました。それは歳を重ねるにしたがって、希望とともに恐れも減退するからでしょうし、老いとともに思い煩うことも少なくなるからでしょう。丁度、貧者が自身の不如意が盗まれることを怖れるはずもないのと同じように*。またなにかを探し求めるという夢もあります。そこでは、姿を消して幽霊となった女の跡を追わなければならないのです。そしてそこここに庭が広がる、死の夢。もっとも死の夢は、他のすべての夢をその内に含んでいます。この黒い不安の塊にぶつかることなく、私たちは、深く夢見ることも、思惟をめぐらせることも出来はしないからです。 
 
 * あるいは、財宝を山ほど蓄え、たとえ殺されようとも人生を肯定する大金持ちのように、と言うべきか。物事には常にそれぞれ両面がある。
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 このあとも夢の「目録」が続きます。もう少し辛抱しておつき合い下さい。
 shoko さん、励ましの言葉ありがとうございます。残念ながら、こうしたテキストを二十歳前後の学生たちと読むことはほとんどありません。「情報だけを伝える新聞記事」のようなものばかり扱っています。
 ふと、荒川洋治が書いた「文学は実学である」という、力強い一文を想い出しました。室生犀星、梅崎春生、色川武大などの作品を挙げたあと、荒川はこう書いています。「こうした作品を知ることと、知らないことでは人生がまるっきりちがったものになる。/それくらいの激しい力が文学にはある。読む人の現実を一変させるのだ。文学は現実的なもの、強力な『実』の世界なのだ。」(『忘れられる過去』みすず書房)
 こんな世の中にあっても文学にひかれる数少ない学生たちのことも忘れてはいけません。教員の端くれとして、日々考えさせられています。
 次回は、12月8日に une inoubliable couleur bleue. までの試訳をお目にかけます。
 

マルグリット・ユルスナール『夢とさだめ』(1)

2010年11月10日 | Weblog
 [注釈]
 
 * Ces re^ves se subdivisent en groupes, en familles (...) pareilles aux provinces d’un pays myste’rieux... : Ces re^ves > groupes, familles = un pays > provinces 。groupes, familles は、いづれも夢の下位区分として同列に扱ってよいでしょう。あたかも、神秘の国という夢が様々な地方に分割されうるように、と述べられています。
 * La re’apparition d’un me^me personnage, d’un objet (...) permettent... : ここは、misayo さんが指摘されるように、文法的には permet としなければならないところですね。でも、ぼくは何の不自然も感じませんでした。permettent に違和感を感じなかった人は多いのではないでしようか。それというのも、夢の中でふたたび姿を見せるもの、un me^me personnage, un objet, un de’tail, une me^me sensation と、いくつもの名詞が列記よされているためでしょう。
 * mais que je ne suis jamais su^re de revisiter dans l’avenir. : que の先行詞は re’gion nocturne です。

 [試訳]
 
 ここでいくつか夢の話をすることにします。特にたくさん夢を見て来た人は、それによって困惑したり、あるいは勇気づけられるかもしれません。眠りの生涯を通して、若い頃から(二三の例外を除いて、子供のころの夢はほとんど覚えていません)、私は十余りの不安な、あるいはありがたい夢につきまとわれて来ました。それは音楽のモチーフのように無限のヴリエーションをもっていても、それと見分けられのです。そうしたいくつもの夢はまた、目を閉じている時にしかたずねることの出来ない神秘の国がいくつもの地方に分かれているように、それぞれに別のグループや系に別れています。眠っている私の頭の中にふたたび姿を見せる同じ人物や物、背景の細部や感覚によって、ああ、これこれの夜のあの地方だと見当をつけることが出来ます。そこには以前夢の中で何度か運ばれて来たことがあるからですが、これから先またそこを訪れることが出来るかどうかは、まったく定かではありません。
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 いかがでしたか。songes inquie’tants ou propices のpropices の訳を考えあぐねていたのですが、shoko さん、Moze さんの「ありがたい」という訳に感心させられて、そのまま使わせてもらいました。
 思いがけなく降って沸いたような引っ越し騒ぎで、猛暑以来中断していますが、それまで夢・鏡にまつわる様々な文章を読んでいました。フロイト、ベルクソン、ラカン、メルロ=ポンティ、バタイユ、ヴァレリー、そしてユルスナール。ヴァレリーの夢にまつわる思索の断章もなかなかいいのですが、肩を凝らさず読めて、なおかつけっして格調も失わないユルスナールの文章がこの「教室」での格好の教材になると思い、ここで取り上げた次第です。もう少し読み進めてもらえば、この文章の魅力も判っていただけると思います。それでは次回は、cette grande incertitude noire ; までとしましょう。Shuhei