フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Annie Ernaux:Ecrire la vie (2)

2014年10月29日 | Weblog

[注釈]
*un travail exigeant, une lutte que je tente de cerner... : Moze さんも躓いたという箇所ですが、まず生きることをいわば「転写」する作業があり、その作業の困難さも、テキストにおいて明らかにし理解すること。そんなことを語っているのだと考えられます。
[試訳]
 生きることそれ自体は何も語ってくれない。何も書き記してくれない。生は言葉を持たず、とらえどころもない。そのありのままの姿に寄り添いながら、尾鰭をつけず、歪曲もせず、生きることを書き記すとは、それをある形式に、文章に、言葉において書き留めること。それは、困難な作業に、戦いに、年を追うごとに身を投げること。そんな仕事に打ち込みながら、その作業をテキストそのものにおいて明確にしよう、理解しようとも務めている。以下の言葉は、若い時から私を支えてくれたプルーストの言葉だ。「悲しみとは、暗鬱な、嫌われものの僕(しもべ)で、人は彼らに辛くあたるが、それでもますますその支配にひれ伏してしまう。恐るべき、それでも交替の効かない輩で、地下に埋もれた道を使って、私たちを真実へ、死へと導いてゆく。」気がついてみると私は次第に、「悲しみ」のかわりに「書くこと」を使うようになっている。あるいは「悲しみ」とともに。
 ここに収録した作品の並びは、書かれた順番でも、発表された順でもない。それは子供時代から成熟へと至る生の流れに沿っている。最初に『空っぽの戸棚』があり、最後に『歳月』が来るのは時の流れのままであり、二作品の間も年齢を刻む構成になっている。そうすると創作の変遷を乱し、ほんとうは様々な時期に書いたテキストを不自然にまとめあげることになるのだが、そうしてみるとかえって、形式が多様であること、それぞれの声や文体がまたそれぞれの視点に対応したものであることなどが、人生の様々な時期を何度も反芻するうちに、よりはっきりとしてくる。
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 いかがだったでしょうか。先日ノーペル文学賞を受賞した Patrick Modiano について以下のような記事が出ていました。
http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20141029org00m040004000c.html
 misayoさんはモディアーノの愛読者でもあったのですね。misayoさんのようにフランス語で書かれた小説を読む層は、上記の記事にもあるように、ほんとうに寂れてしまいました。これは道具としての英語学習に人々が駆り立てられていることと密接に関係がありそうです。globalisation という言葉に煽られる前に、外国語を学ぶことの広がりと深さを一人でも多くの人に思い出して欲しいものです。そう言う意味でも、『さよならオレンジ』おもしろそうですね。
 それでは、次回はp.9 trente-quatre ans. までを読むこととしましょう。
 Bonne lecture !   Shuhei


Annie Ernaux:Ecrire la vie (1)

2014年10月15日 | Weblog

[注釈]
 *une me^me couverture : 単数不定冠詞がついていますから、「同一の一冊」
 *regarder ses travaux derrie`re lui : 自分の背後に業績を見つめる、ということですから、今までの自分の仕事ぶりを振り返ることです。
 * traverse'e par les autres voix : 「わたし」というものが、ひとつの固定された同一性に収まるものではなく、多くの他者を含み持つものでもあることを表現しています。
 * il m'a e'te' donne' de connaitre : il は非人称主語です。ex. Il n'est pas donne' a` tout le monde d'avoir une maison de compagne. 「別荘を持つことは誰にでもできることではない」
 
 [試訳]
 アニー・エルノ『生きることを記す』

  書くという行為は、現在であり、未来であって、過去ではない。一冊の本にまとまった形で自分のいくつもの作品を眺めてみると、なんだか信じられない、現実のことではないような気がした。自分の主な仕事を振り返って見る者にかなり共通したこうした反応を越えて、私はこう問わずにはいられなかった。この千にも及ぶページは一体なにを意味しているのか。四十年にもわたる、この書くという企てをいかに定義したらいいのか。そしてこれは求められたことがだ、この企てを言い表すのにどんなタイトルが相応しいのか、と。突然、明白たる事実のように、私に降りてきたのは、『生きることを記す』だった。私の人生を、でも、誰か特定の人物のものでもなく、ある人生でもない。生きること。それは誰にとってもその内実は同じであっても、ひとり一人違った仕方で感受されるものだ。それは身体、教育、帰属や性的条件、社会的な来歴、他者の存在、病、喪の経験などによって、様々に経験されるものであろう。そうしたものを越えて、時間と大文字の歴史(物語)が、変化を絶えまなく促し、壊し、再び更新するままの生のあり方。私は自分のことを書こうとか、自分の人生を作品にしようなどとしたことは一度もない。ただこの人生を、人生を横切った、多くは人並みの出来事を、私にそれを知るべく与えられた様々な状況や感情を、用いただけだ。あたかもそれらを究明すべき物質のようにして利用し、感受されるべき次元の真実を捉え、明るみに出そうと務めてきた。自分についてと同時に、自分の外で、いつも私は書いてきた。書物から書物をめぐる「わたし」に、固定したアイデンティティーを宛てがうことはできない。その声には、他者たちの声が、私たちに棲みついている縁者の声、社会を通してつながっている者たちの声も、響き渡っているのだから。
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 misayoさん、Akokoさん、mozeさん、今回も訳文ありがとうございました。
 テキストに用いたのは、著名作家の主要作品を集めた Gallimard社の Quarto 叢書の一冊にAnnie Ernaux自身が寄せた序文でした。そのタイトルが Ecrire la vie です。Marcel Proust のものは A la recherche du temps perdu 一作品のみが収録されています。もちろん、Patrick Modiano の巻もあります。またいずれ彼の文章も読んでみましょう。
 それでは、次回はp.8 des moments de la vie. までを読むことにしましょう。10月29日(水)に試訳をお目にかけます。
 Bonne lecture, mes amis !   Shuhei


再び Patrick Modianoについて

2014年10月11日 | Weblog

 Chers amis,

 すでに10冊を越える日本語翻訳があるモディアーノですが、下記も彼の作家としての経歴の概要を知るのに便利です。

http://www.franceculture.fr/2014-10-09-patrick-modiano-prix-nobel-de-litterature-2014#xtor=EPR-32280591

Quand on a des souvenirs énigmatiques, on a besoin de les comprendre”との言葉も見られますが、これは彼の文学創造の本質を語った言葉だと考えられます。

 Shuhei

 

 


Patrick Modiano の紹介

2014年10月11日 | Weblog

Chers amis,

 みなさんもご存知のように、6年ぶり、Le Cle'zio についでフランスの作家Patrick Modiano氏がノーベル文学賞を受賞しました。村上春樹が今回も受賞を逃したのは残念ですが、モディアーノに対するテレビニュースなどの扱いがあまりにも通り一遍なものだったのには少しがっかりしました。

 最近同氏が新作<<Pour que tu ne te perdues pas dans le quartier>>を発表された時に、氏のアトリエで行われたインタヴューを見ることが出来ます。

http://culturebox.francetvinfo.fr/emissions/france-5/la-grande-librairie/dany-laferriere-annie-ernaux-patrick-modiano-sylvain-prudhomme-189547

 上記番組の後半部分40分前後に氏の話が聞けます。ちなみに番組冒頭に取り上げられるのはAnnie Ernaux の作品です。

 文学賞発表の日のフランスの夜8時のニュースでの扱いは大変控えめなもので、日本人二人アメリカ人一人(中村修二さん)の物理学賞受賞の際の日本の報道のお祭り騒ぎとは対照的でした。Shuhei

 


Lecon 301 トマ・ピケティ『21世紀の資本論』について(2)

2014年10月01日 | 外国語学習

[注釈]
 *une moindre mesure en Europe : さきのアメリカの例と比較して、ということです。
 *le graphique ci-dessous : ここは先にお断りするべきでしたが、この図表はどうしたわけかコピーできませんでした。
 *une <> : 国境を越えて収益を得ながらも、特定国での税を逃れているグローバル企業に対する課税をも可能にする、という意味で u-topie「場所を持たない」という言葉が使われているのでしょう。
 [試訳]
 「こうした問題がまさに今アメリカで議論されているとしても驚くにはあたらない。再び不平等な社会が回帰していることに、人々は不安を募らせているのだから。アメリカは伝統的に高い平等を実現した国であり、それはこうした問題をめぐり、階層と世襲から生まれた不平等に直面していたヨーロッパそのものと対立する中で建国された国であった。また、忘れてはならないのは、累進課税を考案したのは一世紀前のアメリカであり、それはまさしく自分たちの国がヨーロッパのように不平等な国となることを怖れていたからであった。」
 今のアメリカほどではないにしろ、ヨーロッバにおいても現下の問題はこうだ。グラフが示すように、欧州という古い大陸の1910年時における世襲財産の総計は、国民所得の6倍から7倍に相当していたが、1950年には2倍から3倍となり、2010年には、4倍から6倍に相当するまでになっている。
 新たなタイプの世襲社会が無視し得ないほどに隆盛していることに直面して、著者ピケティは、最も富めるものを着実に対象とできるよう累進課税を見直すことを、また「場所を問わずに有効な」、資本に対するグローバルな税の創設を提案している。
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 misayoさん, midoriさん、mozeさん、訳文ありがとうございました。今回も、みなさん正確に文章を理解していました。
 今回テキストとしたLe Mondeもフランスのキオスクで求めると2 euros。以前あまり意味のなかった「高級紙」という枕詞が本当になってきました。それでも一部はネット上で閲覧可能ですから、興味に任せてみなさんもいろいろ読んでみて下さい。
 さて、次回からはフランスで現在活躍中の作家Annie Ernaux が浩瀚な自身の作品集に寄せて序文を読むことにします。この週末にみなさんのお手元にお届けすることにしますが、初回はp.7 ...qui nous habitent. までを読みます。また、その部分の試訳は15日(水)にお目にかけることにします。お楽しみに。Shuhei