フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

フレドリック・ルノワール「イエスも破門されるべきではなかったのか」(3)

2009年04月29日 | Weblog
 [注釈]

 * tenir compte du " moindre mal " : tenir compte de... = prendre en conside'ration, accorder de l'importance 平たく言えば、人の弱さを糾弾するのではなく、その弱さに寄り添うべきだ、という文脈ですから、mal は「痛み」の意味でしょう。その「痛み」を汲み取った上で、道徳を説くべきだ、ということなのでしょう。
 * Les pre^tres africains en savent quelque chose. : quelque chose は、アフリカの現実に対して持つ、避妊具の効用のこと。

 [試訳]

 騒ぎは納まらず、何人ものフランスの司教が自ら立ち上がり、一般道徳ばかりか福音の教えにも背く不公平な今回の決定を糾弾した。姦淫を犯した女を断罪することをイエスがあえてしなかった逸話を紹介するだけで十分だろう。律法に従えば女は投げられた石で打たれるべきであったが、イエスは厳格な律法主義者たちに問うた。「一度も罪を犯したことのない者が最初の石を投げてみよ」(ヨハネ8章)。イエス自身が何度も宗教の教えに背いていた。ドストエフスキーはこんな想像をしていた。もしイエスが、異端糾問が激烈であったトルクマーダのスペインに帰って来たとしたら、信教の自由を説いたことによって火刑に処せられたことであろうと。イエスが、ベネディクト16世のキリスト教界に生きていたのなら、愛による律法の超越を説いたことによって破門されていたのではないだろうか。
 なにも、その確固たる教えを広めることを教会に断念せよと言っているのではない。見過ごせないのは、問題はそれぞれに具体的で複雑であるにもかかわらず、その戒律を再確認させるために、教会の位階性によって用いられた時に乱暴な理屈だ。フランス布教団の司教、イヴ・パトゥノートル猊下が強調しているように、レシフェ大司教によって宣告され、教皇庁が認めた破門の決定は、「カトリック教会の伝統的な司牧の務めを無視するものである。窮状にある人々の声に耳を傾け、寄り添う。また道徳に関しては、どんな小さな苦悩にも配慮するのが、その務めではなかったか。」エイズとの闘いのおいても同じことが言えるだろう。コンドームの使用は、なるほど理想的な解決策ではないであろう。それでも事実それは、感染の拡大を阻止する最良の砦であることに変わりはない。教会の説く禁欲を人々が従順に生きることは容易ではないのだから。アフリカの司祭たちはことの本質をつかんでいるのだ。
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 ぼくは SMAP に特別な思い入れはまったくありませんが、「逮捕」までする必要があったのかな、と疑問に思いました。交番でお灸を据えるぐらいでよかったはずです。それにしても、酔ってハメを外したひとりの青年のことを一国の大臣が「絶対に許さない」と、ここぞとばかりに見得を切る姿をテレビで見ていましたが、その姿の醜悪だったこと。映像を通してしか存じ上げませんが、法務大臣時代からあの人の軽さが気にかかって仕方なかったのですが、その軽薄さが「許さない」という厳しい言葉になんとそぐわなかったことでしょう。ぼくはあのひと言ですっかり嫌な気持にさせられました。その反動でしょうか。青年には同情の気持ちを禁じえません。
 さて、次回はこのテキストを最後まで読むことにしましょう。

フレドリック・ルノワール「イエスも破門されるべきではなかったのか」(2)

2009年04月22日 | Weblog
 [注釈]

 * un processus de re'inte'gration dans l'Eglise : 先に触れられていた quatre e've^ques inte'gristes の教会への復帰の地ならし、ということでしょう。
 * constamment nie'es par les inte'gristes : nie'es は valeurs にかかっています。
 * le pape reconnai^t des erreurs (...) et tente de se justifier : ここの et はその前後の流れを慎重に読み取って訳出する必要があります。 「その上で」という訳もよく考えられた訳だと思います。
 * Qui annoce Dieu comme amour pousse' (…) : Qui は celui qui... 「...する者は」comme は「…としての」という資格を意味しています。
 * qui plus est effectue' a` des fins vitales ? : plus は、bien plus 「さらに」と同じことでしよう。
 
 [試訳]
 
 しかし教会への復帰を進めるための、こうした「条件なき」破門の解除は、第二ヴァチカン公会議 (1962-1965年)の取り決めに従い、宗教の自由と他宗教との対話を大切にして来た多くのキリスト教徒をも、一方で深く当惑させた。原理主義者たちはいずれの取り決めをも常々否定して来たからである。3月12日に公開された、教皇から司祭に宛てた書簡の中で、教皇はウィリアムソン事件の処理に関して数々の過ちがあったことを認めながらも、破門の解除については、憐れみの教えを援用しながら自身の正当化を図ろうとしている。「究極の愛としての神の到来を報せる者は、愛の証を与えなければならない。苦しむ人々のために、愛を持って身を捧げなければならない」
 福音書の教えに従って、何年ものあいだ過激で不寛容な言葉を吐き続けて来た迷える子羊を、それでも教皇は許し、あらたな機会を与えようとしていることは理解されるかもしれない。それでも、ではなぜ、教会は再婚者に対する聖体拝領を拒み続けているのだろうか。強姦された女の子の命を中絶によって救った関係者を、教会はあれほど厳しく断罪するのだろうだろうか。憐れみはキリスト教原理主義者にのみ向けられなければならないものなのだろうか。またどのように考えれば、少女への暴力は中絶ほど罪深いものではないとみなせるのだろうか。それも命を救うための中絶だったというのに。
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 それでは、次回は en savent quelque chose. までとしましょう。
 
 阪和自動車道という高速道路の沿線に越して来たことと無関係ではないと思うのですが、今年の春は花粉症の症状がさらにひどくなっているようです。もうしばらくの辛抱なのでしょうが、どうにか身体を宥めながら新学年を迎えています。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
 
 昨年度にひき続き、『失われた時を求めて』のお話を人前でする機会に恵まれました。それで以前から気にかかっていた古井由吉『眉雨』を読み返しました。というのも、ぼくがプルーストを読みはじめたちょうど同じ頃に、同作品集に収録されている「秋の日」という短編に出会い(初出は「文学界」だったと記憶しています)、すっかり氏の文章に魅せられたからです。人の生理と意識のたゆたいを精妙に捉え描き出す氏の文体の力技はいうまでもなく、その主題は、眠りと時間でした。プルーストとの親近性をあらためて確認し、随分と若い頃に出くわした偶然の巧緻にも少し驚いています。
 smarcel


フレドリック・ルノワール「イエスも破門されるべきではなかったのか」(1)

2009年04月15日 | Weblog
 [注釈]
 
 * la triple faute du Vatican, qui n'a pas informe' le pape de paroles : informer quelqu'un de quelque chose 「~に…を知らせる」という動詞の用法に注意して下さい。
 * paroles connues des milieux averstis : 「その筋においては周知の言葉」似た言いまわしに、des milieux bien informe's というのもあります。
 * enfin par la lenteur de leur condamnation : 文脈から言って、ウィリアムソン司教の言葉を教皇庁側が非難するのが遅かった、ということです。

 [試訳]
 
 カトリック教会はここ何十年来経験したことのない危機のただ中にいる。事態が深刻なのは、カトリック教会への信頼が、非カトリック教徒のあいだで、あるいは文化的なカトリック教徒なのか、敬虔な信徒であるのかを問わず、あらゆる領域で揺らいでいるためだ。
 教会は外からの攻撃にさらされているわけではない。現下の困難は、「信仰の敵」や反教権主義者の仕業ではない。教会の階層性の問題を問う二つの深刻な出来事が、教会の抱える矛盾を白日の下にさらしたのだ。4人の司教の破門が解除されたのだが、いずれも原理主義者で、そのうちの一人はホロコーストの存在を否定するものであった。もうひとつの出来事は、レシフェの大司教がほとんど同じ時期に、一人の少女の母親と、女の子を診た医師団を破門したのだった。9才の少女は強姦され双子を妊娠し、生命の危険もあったため中絶手術を受けていた。
 さらに機内でのベネディクト16世の発言。飛行機はアフリカに、もっともエイズ被害が広がった大陸に向かうところであった。「コンドームを配布してもエイズの問題は解決できません。それどころか、コンドームの使用は問題を深刻にしています。」
 最初の出来事は、ウィリアムソン猊下の聞くに堪えないホロコースト否定の言葉によって特に問題を大きくした。加えて、ヴァチカンの三つの失策。ヴァチカンは法王に、2008年来さまざまな場所では知られていた問題の発言を伝えていなかった。さらに件の発言が、1月22日以来全世界のメディアのトップを飾っていたにもかかわらず、同月24日に破門解除の教令が公表されたのだった。おまけに、こうした発言を糾弾するまでに随分と時間もかかってしまった。
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 宗教関連の言葉は、ぼくも幾度か辞書のお世話になりました。専門家から見れば、ひょっとしたら、訳語が適切でないものもあるかもしれません。言葉は難しいものもありますが、新聞に載った文章ですから構文はそう込み入ったものはありません。いつも通り、文脈を丁寧に追うことを心がけていれば難しい文章ではないと思います。
 manekineko さん、フランス語の力、少しも落ちていませんね。勉強は他でも続けられているようですね。またおつき合い下さい。
 それでは、次回は ... a' des fins vitales ? までとしましょう。

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(8) 注釈と試訳

2009年04月08日 | Weblog
 [注釈]

 * l'entreprise est passe'e sur le plan international, : l'entreprise とは、la lutte contre l'analphabe'tisme と le renforcement du contro^le des citoyens を意味しています。つまり、言語教育による市民の管理、支配のことです。
 * des proble'mes qui furent les no^tres : 近代国家の設立が、学校教育を通しての「国語」の確立と、その「国語」によって統制された軍隊の組織化と不可分であったことを思い出してみて下さい。Moze さんが紹介された「Japan の軌跡」は見逃しましたが、おそらく台湾に強いたのも同じ構図だったのでしょう。
 * peuples mal entrai^ne's par la parole e'crite : そうした近代を迎えるはるか以前にも、書き言葉による統率に従順に従わなかった人々がいたのです。けれども、彼らとて、図書館に代表される「知の組織化」には、抗えなかった
( vulne'rables )のです。

 [試訳]

 文字習得の企ては、若い国家の間で結ばれたこうした共闘によって、国家レベルから国際的なレベルに移りました。そうした国々は、一世紀か二世紀前に私たちが直面していたのと同じ問題に向き合っていたのです。 - 経済的に潤った国際社会は、意志によって変更可能ながらもある型によって思考することや、教化の努力を促すきっかけを与えることが、書かれた言葉による訓練によっても難しい人々の反動が、自分たちの安定にとって脅威となることを恐れていました。知識が貯えられた図書館に足を運ぶことで、そうした人々は、印刷された文書がさらに大きな規模で広めるデタラメに騙されやすくなっているのです。おそらく、賽は投げられてしまったのです。一方、私のナンビクワラ村では、石頭の人々が、結局は最も賢明だったのです。自分たちの首長が文明化のカードを切った後に、その元を去った人々(私の訪問の後、彼は多くの仲間に見捨てられてしまった)は、おぼろげながらも、書くことと裏切りが、ともに自分たちの元に入り込んで来ることを理解してたのでしょう。少し離れた奥地に身を寄せて、彼らは、書かれた言葉にさらされるまでの猶予を得たのです。けれども、書くことが自身の権力の支えとなることを一瞬に見抜き、書くという手段を使わないながらも、その制度の根幹に触れえた首長の慧眼は、見事なものでした。
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 さて、次回からは おなじみ Le Monde に掲載された Fre'de'ric Lenoir の論考を読みます。ここ最近、ローマ法王ベネディクト16世の言動が、フランスのみならず、広く西洋社会に大きな波紋を拡げることが何度か続きました。その内容は、日本の新聞でも比較的詳しく報じられいます。
『哲学者キリスト』という大変話題になった本を記したルノワール氏が、それらの出来事をめぐって同紙に寄せた文章を、何回かに分けて読むことにします。週末までにはテキストをお届けするようにします。


レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(7) 注釈と試訳

2009年04月01日 | Weblog
 [注釈]
 
 * l'empire des Inca s'est e'tabli aux environs XIIe sie`cle : ローマ数字が文字化けしていました。
 * Si mal connue que nous soit l'histoire ancienne de l'Afrique : si... que 接続法で、「どれほど….であっても」ex. Si prudent que vous soiez, vous ne pourrez e'viter toutes les              erreurs.
 * Si l'e'criture n'a pas suffi a` consolider... , elle e'tait peut-e^tre indispensable... : ここの 接続詞 si も、譲歩を表しています。

 [試訳]

 しなしながら法則には例外がつきものです。アフリカの原住民は、数十万人の臣民を擁するいくつかの帝国を持っていました。またコロンブス以前のアメリカでも、インカ帝国は何百万人もの臣民を抱えていました。けれども、両大陸においてこうした帝国の試みは不安定なものでした。インカ帝国が12世紀に打ち建てられたことは知られていますが、もし、その 3世紀後、帝国が完全な崩壊状態になかったとしたら、ピザーレの一軍が容易に勝利を収めることは、間違いなく出来なかったでしょう。アフリカの古代史についてはよく知られていませんが、似通った状況であったことは察せられます。何十年かおきに大きな政治体制が生まれては消えていったのでしょう。そうすると、こうした例は、私の仮説を裏切るどころか、裏打ちするものであるかもしれません。書くことは、知識を確かなものにするには十分ではなかったとしても、おそらくは、支配を強固なものにするには不可欠だったのです。私たちにもう少し身近な過去を見てみましょう。19世紀を通じて、ヨーロッパの諸国家が組織的に義務教育を奨励したことと、兵役の拡張と国民の労働者化は対をなしています。そのように、文盲との闘いは、権力による市民の管理の強化と表裏をなすものです。当たり前のことですが、権力の側が、「何人も法を知らないとはみなされない」と言えるためには、全ての人々が読むことができなければならないからです。
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 雅代さんのお話を受けて、Greco も歌っていた << Il n'y a plus d'apre`s >> という古いシャンソンのことを思い出しました。France 2 が平日毎日放送している<< Un livre un jour >> という番組があるのですが、その番組で、サルトルを中心とする実存主義が隆盛を極めていた頃のサン・ジェルマン・デ・プレの歴史を綴った本を紹介する折に、BGMとして上記の曲が流れていました。ほんの短いフレーズを耳にしてとても気に入り、早速ネットで調べてみたところ、歌手とタイトルがわかりました。年配の友人に宛てたメールにそのことを書くと、自身の若かりし頃を彷彿とされる懐かしい歌だとの感想と、いつからかすっかり様変わりした街の雰囲気のことを嘆いていました。

 http://www.dailymotion.com/relevance/search/greco/video/xn9o9_juliette-greco-stgermaindespres_music

 で、当時の映像と歌が楽しめます。
 Moze さんは、随分と骨のある本をお読みですね。デリダに興味のある方には(以前に一度ここで紹介したこともあります)、高橋哲哉『デリダ』が最良の入門書だと思います。
 それでは、次回は、 Tristes tropiques の最終回としましょう。