フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Ecouter Haendel (3)

2012年07月25日 | Weblog

 [注釈]
 
 *deux semaines, plus longtemps que ne'cessaire ? : それからギャランスは2週間入院することになります。その期間が「必要以上に長くはなかったか」という疑問です。
 *Ou peut-e^tre : 乳児に特有のいくつかの不調はギャランスにも見られたが、「特別なものは何もなかった。たぶん。ただじっと見つめるその眼差しだけは...」ギャランスの眼差しに、特別な魅力を感じながらも、医師からはこれといった診断も下されない。何も心配することはない、と自分たちを納得させながらも抑えられない不安が 、Ou peut-e^tre に表されているように感じられます。
 
 [試訳]
 
 真冬に産まれたギャランスは、季節特有のいくつもの危険や病に耐えねばならなかった。すぐに細気管支炎を患い、呼吸が小刻みにされたようだった。世の親として、私たちも心配だった。ギャランスを包んで、大急ぎ病院の救急に向かった。あの子は真っ青で、じっと動かなかった。それから二週間入院することとなったが、必要以上に長くはなかったろうか。結局ギャランスが私たちのもとへ「返された」時には、何も告げられなかった。後に知ることになったのだが、生気のなさとじっと動かない様子は際立っていて、医師の目を引いていたようだ。それでも、なにも診断されることもなく、あるいは伝えらもしなかった。
 大きくなったギャランスは、食べ物を戻したり、腸の具合がよくなかったり、夜泣きをするなど、赤ん坊のちょっとした不調も経験した。でも、それもよくあることだった。おそそらく。ときに人を引きつける、何かをじっと見つめる様子は(「この子、私をじっーと見ている!」少なくともみんなは、彼女が見つめていると信じているのだが)、時にこちら側をどきまぎとさせ、いずれにしても私たちを驚かせた。私たちは、世の人並みの親として、注意深く医師の処方を読み、体重、身長、頭まわりの数値変化を追った。それらは心配するようなものではなかった。春が来た。3ヶ月で顔立ちはしっかりした。もちろん、ギャランスは愛らしく、とてもチャーミングだった。早熟な子にはなれそうもなかったけれども、そんなことは何でもなかった。
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 昔、吉行淳之介があるエッセのなかで「声柄」ということを言っていましたが、ぼくも人の声に魅せられることがままあります。でもその人の声の、どこが、どう魅力的なのかを人に説明するのはなかなか難しそうです。
 「文体の美しさ」も同じかも知れません。ただ、文章のリズムの心地良さは「文体の美しさ」に不可欠な要素でしょう。この文章も、長・短のセンテンスの織りなし方が巧みだと感じました。それから、比較的平易な語彙が的確に使われているところにも魅力でしょう。
 前回「距離」が話題になっていましたが、医療者の患者に対する距離ではないにしても、それでも、幼い、それも「人並みではない」わが子に対する情愛に溺れることなく綴られる文章の秘密の一端は、先の二点にあるような気がします。
 
 さて、昨年の春に書きっぱなしにしてある論文の編集、フランスでのお留守番、そして引っ越し準備と、この夏はなにかと慌ただしいものとなりそうです。ですが、よく歩き、食べ、眠ることでなんとか乗り切りたいものです。どうかみなさんも、お身体に気をつけて、厳しくなりそうな夏をお過ごし下さい。ようやく残暑も収まる頃にまたお目にかかれることを楽しみにしています。Smarcel

<<Ecouter Haendel>>(2)

2012年07月18日 | Weblog
 [注釈]

* Mais lorsque nous tenons... lorsque nous emmaillotons... les jours et les anne'es... fastes, re^ves et poe'sies. : 産みの苦しみにもかかわらず、幸福な日々が待っているはずであった。le bonheur du corps...des yeux...は、le petit enfant を説明する言葉の連なりと考えられます。
* comme la passion, la passion qui l'avait fait concevoir, nai^tre. : garance という植物が鮮烈な赤を生み出す染料となり、その赤はまた、この女児の生誕を導いた情熱を思い起こさせる。
* Pour Garance, nous aurions les yeux de ….以下は
http://www.cinemafrancais-fle.com/Dialogues/enfants_du_paradis.php
を参照してください。また著者ご夫妻への短いインタヴューも以下で視聴できます。
http://www.youtube.com/watch?v=-7sQOtbr5Hw

 [試訳]
 
 苦悩の誕生
 
 ギャランスは1月6日晴れた日に生まれた。エピファニイー(公現祭)だった。すばらしい日付で、覚えやすいし、お祝いをするにもうってつけだ。お産は軽いどころか、むしろ長くかかり大変だった。私たちがこの腕に赤ん坊を、新生児のぬくもりに満ちたからだ抱くと、助産師さんが、こんなに目が青いのだから、髪はブロンドになるだろうと教えてくれた。私たちは待ちに待ったギャランスを産着に包んだ。その時、来る日々は幸福で、夢と詩情に満ちたものでしかあり得なかった。
 私たちがこのギャランスという名を選んだのは、それが植物を、花を思い起こさせるからだった。「ギャランス、それは花の名」花というより、草木だろうか。その赤い根は染め物に使われている。鮮烈な赤、情熱のような赤が生まれる。そんな情熱のためにギャランスを授かり、生んだのだった。それに、好きで、数えきれないほどくり返し観た、二人でも観た、映画の思い出もあった。私たちも、ギャランスを、ピエー=フランソワ・ラスネール、「美しい君」と優雅にギャランスを呼び止めるラスネールの目でみつめるだろう。また、ギャランスに近づき、「間違いなく、あなたは笑いましたね」と言葉をかけるフレデリック・ルメートルの目をすることだろう。ギャランスに再会することをルメートルは確信していた。「大いなる愛で愛し合う二人には、パリは狭すぎますから」そしてとりわけ、あのバティストの目でギャランスをみつめることだろう。恋に不器用なパントマイム、ギャランスのためにすべてを投げ出すバティストは、ギャランスを手に入れることなく、彼女を夢見る。そんなことをなし得るのは、詩人だけだ。
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 まるで気象情報で梅雨明けを確かめたかのように、団地裏の桜木でシュン、シュン、シュン、シュンと蝉が鳴き始めました。misayo さん、midoriさん、Mozeさん、shokoさん、酷暑の中、訳文ありがとうございました。今回はいかがだったでしょうか。
 次週が、勝手ながら、夏休み前最後のLeconとなりますが、p.17 cela n'a pas d'importance. までを読むことにします。来週、25日(水)に試訳をお目にかけます。
 暑中お見舞い申し上げます。どうかみなさんもお身体には気をつけて下さい。
 Smarcel

<<Ecouter Haendel>> (1)

2012年07月04日 | Weblog
 [注釈]
 
 *une fixite' du ragard qui surprend. : 何かをじっと見つめるギャランスの目が私たちを驚かすのでしょう。
 *Mais pas de quoi s'alarmer : s'alarmer de ….…を心配する。ですから、「心配することはなにもない」 
 *ce ne saurait e^tre avec la prise de distance...: ne +条件法 savoir + inf. 「…できない」

 [試訳]
 
 スカーレット&フィリップ・ルリケ『ヘンデルを聴くよ !』
 
 女の子の名はギャランス。おそらくその両親、この本の著者たちは「天井桟敷の人々」に思い出があったのであろう。
 娘のギャランスは明るい眼の色を、ほとんどワスレナグサのような、あまりにも明るい眼の色をしている。じっと見詰めるその眼は私たちをドキマギさせる。おとなしい、ひょっとすると、おとなしすぎる女の子。けれども心配するようなことはなにもなかった。少し発達が遅れていることをのぞけば。
 それからさまざまな検査や、有名な専門医の診察が続く。それでも診断は曖昧なまま。ただ困惑し、多くも語られない。ギャランスは他の子どもたちとは違う、普通ではない。ギャランスは特別だし、きっとこれからも特別なままなのだ。「広汎性発達障碍」というのが最終的な診断であった。
 こうした障碍を、ギャランスのふた親は観察するだけではなく、日々生きることとなる。二人は娘の振る舞い、言葉、反応、激しい発作などをノートに記すのだが、それは距離をおいた医療者の観察となるはずもない。二人は驚き、ときに娘の発見を、飛躍を喜び、また不安に沈む。絶望と希望が交錯する。
 十余年に及ぶ、ギャランスと共にした生活からこの希有な証言は生まれた。その短い各章を通じて、多くの専門書にも増して、私たちは「障碍」について教えられる。なによりも、この普通ではない女の子、くり返し「ヘンデルを聴くよ !」とせがむギャランスを、私たち読者は愛さずにはいられない。
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 それでは、次回より<<Ecouter Hanendel>>の本文を読むことにします。
 
 この書物に興味を持ったのは、前回もお話ししたように、なによりもその文体が魅力的だったからですが、実はもうひとつ、ちょっとしたきっかけがありました。
 この春フランスで<<Oslo, le 31 aou^t>>というノルウェーの映画を二度見ました。薬物患者の更生施設からの退院を許可された文学青年が、ふたたび大量の薬物の摂取に因って死に至るまでの数日を追った作品です。その作品のラスト、廃墟のようなアパルトマンで青年は薬物に再び手を染めるのですが、その直前に、調律もあやうい、打ち捨てられたようなピアノの前に座り、ヘンデルの旋律を奏でるのでした。その短い一節にすっかり魅せられたのですが、音楽に疎いぼくは、それが誰の、どんな古典音楽かもわからず、エンド・ロールを最後まで確かめてようやく、それがヘンデルの作品であることを知ったのでした。
 後日ピアノに詳しい友人に聴いてみたところ、ヘンデルはピアノの独奏曲は作っておらず、なにかの作品を編曲したものだろうということでした。
 そんなこともあって、<<Ecouter Haendel>>を手に取ってみました。
 
 さて、実はひょんなことから9月の初旬に大阪を離れることになりました。またそれ以前に、毎夏トゥールーズで一月余りの休暇を過ごす高齢の恩師からパリ近郊のご自宅のお留守番を頼まれ、その役目を果たすべく、8月はお盆の頃までIssy-les-Moulineauxという街で過ごすことになっています。
 それで、今後ですが、新しいテキストの試訳を7月18, 25日の両日お目にかけ、そのあと勝手ながら夏休みとさせて下さい。<<Ecouter...>>は夏休みを挟んで読むことになりますが、Rentre'e scolaire,は、転居先での生活が落ち着くだろう9月半ば頃を予定しています。
 テキストはこの週末までにはみなさんのもとをお届けします。
 Smarcel