フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

「戦争の世紀からの教訓」(Le Monde)(1)

2013年11月20日 | Weblog

[注釈]
 

 *On comprend...en creux, de cette phrase : dessigner en creux で「裏返しに示す、浮き彫りにする」という表現を参考にしました。
 * a` l'aune de...「…を尺度とする」
 * le jour o`u le citoyen passe... : quand, あるいはau moment o`u...と書き換えられそうです。  

[試訳]

戦争の世紀からの教訓
 「戦争は事のそのあまりの重大さに鑑みて、軍人に委ねることは出来ない。」ジョルジュ・クレマンソーのものとされるこの言葉は、一般的には以下のように穿った読み方がされている。つまり、戦争を指導すべきなのは、戦場で戦うことを仕事とする人々よりも、むしろ政治家であると。前世紀、とくに、1914年以降の歴史にあてがってこの言葉を考えてみると、こうも言えるかもしれない。戦争はあまりに重大な出来事であるがために、時を経るに従って、とりわけ市民を巻き込んだ有事となったと。「市民が戦闘服を着る一方で、非正規戦闘員であるパルチザンが戦闘服を捨てもなおも戦い続ける今日、市民が兵士に勝利することの、そのことの重大さを、なにものも考えてこなかった。」とカール・シュミット(1888-1985)は書いた。ドイツの法学者・哲学者はなおこう続ける。「非正規の戦争の蔓延がいったい何を意味するのか。そのことに何ものも思いいたらなかった。」その著作『パルチザンの理論』において自身の思想を明確にしながら、シュミットは説いている。パルチザン、すなわち非正規戦闘員によって、国家は戦争遂行の独占権を失ってしまったと。シュミットは正しかった。この戦争の百年(1914-2014)とは、非正規戦闘員といわゆる軍人との対決であり、時には戦場で、または多くは政治という場で、それは常に前者の勝利で幕を閉じている。
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 いかがったでしょうか。文章の後半を読めば、前半の文意はもっと明確になると思います。次回は、テキストの最後まで読み通すことにしましょう。12月4日に試訳をお目にかけます。
 misayoさん、もう『イン・レイト・スタイル』読まれたのですね。ぼくもどこかで大江の最新作と縁が出来るといいのですが…。
 midoriさんが「歴史」に言及されていましたが、ぼくは今、以前から気にかかっていた黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社文庫)を読んでいます。幸徳秋水、内村鑑三らとともに「平民社」紙上で日露戦争に際し非戦論を訴えていた、ジャーナリスト、翻訳家、編集者でもあった堺についての浩瀚な評伝です。今この世相が暗く傾いてゆくからでしょうか。堺の生きた時代が、遠い時代の歴史の一コマとはまったく思えない親しさで迫って来るのが不思議です。こうした「歴史物」は元来は不得手とするジャンルなのですが、著者黒岩比佐子の上質の文章のためもあって、珍しく飽きることなく、600頁足らずの本書を読み進めています。
 今日は初冬の晴れ間に恵まれて、朝から布団をベランダに干しました。Bonne journe'e !


宮崎駿「風立ちぬ」(2)

2013年11月06日 | Weblog

 [注釈]

*il l'observe... : Tout le reste = l' で、la crise, le choma^ge...はその説明ですね。
*comme au Japon : フランスで「風たちぬ」が公開された折には、日本同様…と言うことです。

 [試訳] 
 

 宮崎の傑作、「となりのトトロ」や「もののけ姫」とはかけ離れた世界だ。それでもここでもまた、魔法がくり拡げられる。日本の田園風景、日々の暮らしの様子、地震に襲われた町並み、大雨に吹雪。それらを描き出す技量には並ぶものがない。そして、二郎が美しい飛行機を夢見はじめ、あるいは後年それを制作する姿は、空飛ぶものに心奪われる子供に返った宮崎その人であろう。
 映画の意図は明白だろう。飛行機は、大海原を越えて人々を運ぶ方が、敵国の都市を爆撃するよりもふさわしいものであることが見て取れる。二郎はトーマス・マンとシューベルトを愛しても、出会ったナチに親しみを感じているようにはけっして見えなかった。実際、二郎が心から情熱を感じる対象は二つしかない。菜穂子と自身が制作する飛行機だ。それ以外は、経済恐慌であろうと、失業や貧困であろうと眺めるだけだ。お腹を空かせた子供たちを可哀想に思っても、すぐに本分に返ってゆく。すなわち、飛行機を作ること。だがそれは、やがて日本の軍事拡張の最前線を担うこととなる。
 登場人物たちがくり返し煙草を燻らす「風立ちぬ」は、日本において同じく、嫌煙者たちの怒りを買うことだろう。そのためにこの映画を子供たちから奪うことがあるとしたら、馬鹿げたことだろう。こうした困難な時代に芽生えた平和への祈願は、悪いものであるはずがない。それにこんなにも美しいのだから。
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 いかがだったでしょうか。思い返してみれば、是枝監督作品「あるいても、あるいとも」他、Le Mondeに掲載された日本映画評も何度か取り上げて来ましたね。この夏フランスで黒沢清「贖罪」を見て来ましたが、日本映画に対するフランスに暮らす人々の関心には、相変わらず熱いものを感じました。
 さて、秋が深まってから、学生たちに紹介した新書をここでもご紹介しておきます。上野千鶴子『女たちのサバイバル作戦』(文春新書)。
 同書の「結びにかえて」で著者は、自身の三十年に及ぶ研究者生活を振り返って一種の懺悔を記しています。「女性の状況がこんなにも悪化するのを座視してしまいました。若い女性が子供を産む気になれない社会をつくってしまいました。(...)世の中が困った方向にすすむのを、とめられなかったから、防げなかったから、わたしも共犯者です - ごめんなさい。(...)本書を書くのは気が重い仕事でした。」(pp.334-335)
 雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法などが、当初の法的理念から後退し、社会・経済活動を支配しているオジサマ(少数のオバサマ)たちの意に添うようにいかに一部骨抜きにされてきたかなど、この30年の日本社会の変遷を、フェミニズムの最前線で活躍して来た上野が苦い思いをこめて、それでも明晰に、ときにユーモラスに描き出した快著です。もちろんそこからは、それでも、今後私たちがどんな社会を目指すべきであるのかも、見て取ることが出来ます。
 失望するに足る現状を確認した上で、それでも腐らないこと。「風立ぬ」の中で菜穂子が、あるいは二郎が生きたのもそんな日々だったのかもしれません。
 次回からは、今度は、これもLe Mondeに載った戦争論を読むことにします。テキストはこの週末にはみなさんのもとにお届けします。
 Akikoさん、初冬のフランス楽しんで来てください。Bon voyage !