[注釈]
*On comprend...en creux, de cette phrase : dessigner en creux で「裏返しに示す、浮き彫りにする」という表現を参考にしました。
* a` l'aune de...「…を尺度とする」
* le jour o`u le citoyen passe... : quand, あるいはau moment o`u...と書き換えられそうです。
[試訳]
戦争の世紀からの教訓
「戦争は事のそのあまりの重大さに鑑みて、軍人に委ねることは出来ない。」ジョルジュ・クレマンソーのものとされるこの言葉は、一般的には以下のように穿った読み方がされている。つまり、戦争を指導すべきなのは、戦場で戦うことを仕事とする人々よりも、むしろ政治家であると。前世紀、とくに、1914年以降の歴史にあてがってこの言葉を考えてみると、こうも言えるかもしれない。戦争はあまりに重大な出来事であるがために、時を経るに従って、とりわけ市民を巻き込んだ有事となったと。「市民が戦闘服を着る一方で、非正規戦闘員であるパルチザンが戦闘服を捨てもなおも戦い続ける今日、市民が兵士に勝利することの、そのことの重大さを、なにものも考えてこなかった。」とカール・シュミット(1888-1985)は書いた。ドイツの法学者・哲学者はなおこう続ける。「非正規の戦争の蔓延がいったい何を意味するのか。そのことに何ものも思いいたらなかった。」その著作『パルチザンの理論』において自身の思想を明確にしながら、シュミットは説いている。パルチザン、すなわち非正規戦闘員によって、国家は戦争遂行の独占権を失ってしまったと。シュミットは正しかった。この戦争の百年(1914-2014)とは、非正規戦闘員といわゆる軍人との対決であり、時には戦場で、または多くは政治という場で、それは常に前者の勝利で幕を閉じている。
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いかがったでしょうか。文章の後半を読めば、前半の文意はもっと明確になると思います。次回は、テキストの最後まで読み通すことにしましょう。12月4日に試訳をお目にかけます。
misayoさん、もう『イン・レイト・スタイル』読まれたのですね。ぼくもどこかで大江の最新作と縁が出来るといいのですが…。
midoriさんが「歴史」に言及されていましたが、ぼくは今、以前から気にかかっていた黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社文庫)を読んでいます。幸徳秋水、内村鑑三らとともに「平民社」紙上で日露戦争に際し非戦論を訴えていた、ジャーナリスト、翻訳家、編集者でもあった堺についての浩瀚な評伝です。今この世相が暗く傾いてゆくからでしょうか。堺の生きた時代が、遠い時代の歴史の一コマとはまったく思えない親しさで迫って来るのが不思議です。こうした「歴史物」は元来は不得手とするジャンルなのですが、著者黒岩比佐子の上質の文章のためもあって、珍しく飽きることなく、600頁足らずの本書を読み進めています。
今日は初冬の晴れ間に恵まれて、朝から布団をベランダに干しました。Bonne journe'e !