フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Danie'le Sallenave <<Le Don des morts Sur la litte'rature>>について

2011年06月29日 | Weblog
Chers amis,
本日水曜日は上記テキストの試訳をお目にかける日なのですが、申し訳ありません、PCの具合が悪く、思いにまかせません。週末には、文章が作成出来る状態になると思います。もうしばらくお待ち下さい。
 とくに、暑い中訳文を送って下さったMisayo さん、ウィルさん、明子さん、Mozeさんにはお詫びしなければなりません。ごめんなさい。今しばらくお待ち下さい。
 Shuhei

ロラン・バルト『明るい部屋』(2)

2011年06月15日 | Weblog
[注釈]
 
 * convertie a` quoi que ce soit : ここは、convertie と女性形になっていますから、私の「教育」によって母が「なのものに転向させられようとも」という譲歩の表現となっています。
 * l’espace me^me de l’amour, sa musique. : 後者は「愛の音楽」ととりました。そういえば、この写真は、シューマンの「曉の歌」にも喩えられていました。
 * Si, comme l‘ont dit tant de philosophes...si le particulier...si, apre`s..., moi qui n’avais pas procre’e’...: これらの si は、対比を表現しています。まとめると、こうなるでしょうか。
 la Mort ; l’espe`ce ; l’universel ; dialecque <--> engendre ma me`re dans sa maladie ; particuralite’ ; indialeque
 * apre`s s’e^tre reproduit comme autre que lui-me^me : ここは、個人はその誕生前にすでに「転生」を果たしているのであるから、その個人は死によってその「個体性」を乗り越えてゆく、つまり、「普遍化」される、ということでしょう。
 * ma mort totale, indialecque. : 死によって個体性が普遍性に止揚されるのが「弁証法的な死」そのような死と対極をなすのが「全的な、非弁証法的な私の死」。

 [試訳]

 ブレヒトにあっては、かつて私が高く評価していた逆転によって、母親を(政治的に)教育するのは、息子であった。けれども母がどんな教えに転向しようとも、私は一度として母を導いたことなどなかった。ある意味では、私は一度も母に「話を向けたこと」など、母を前にして、母に向かって「議論をした」ことなどなかった。母と私は、口にこそ出さなかったが、言葉が軽やかに無意味であること、イメージが宙づりにされていることが、愛の、愛の音楽の空間そのものであるべきだと考えていた。私の内面を司る強力な「法」であった母を、私は最後には、女の子として生きていた。私はそんなふうに、私なりのやり方で「死」を解決した。多くの哲学者が言ったように、「死」が種の厳然たる勝利であろうと、個は普遍の充実のために死すのだとしても、元の存在とは別のものに生まれ変わった後に、個人が死んでも、そのことによって個は否定され、乗り越えられたのだとしても、子供を生むことのなかった私は、母の病において、私の母を生んだのだった。母が死んで、私には上位の(種の)生けるものの歩みに歩調を合わせる謂れはなかった。私の個別性はけっして普遍化されることはないであろう(理想を言えば、書くことによって以外は。以後それを書く計画が、私の人生の唯一の目的となるはずであった)。私は自分の全的な、非弁証法的な死を待つばかりであった。
これが「温室の写真」に私が読み取ったことである。
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 先日、橋爪大三郎・大澤真幸『ふしぎなキリスト教』(講談社新書)を大変興味深く読みました。仏文学を少し勉強して来たものとして、キリスト教のある程度の理解は欠かすことはできません。それで、「キリスト教入門」の類いの書物をあれこれ読んできましたが、「あまりにもキリスト教とは関係のない文化的伝統の中」(p.4)で生きて来た日本人にとっての「躓きの石」を的確に捉え、これほど明快に解き明かしてくれた書物には、これまで出会ったことがありませんでした。
たとえば、「隣人愛について」―、
[大澤](...)律法のゲームから愛のゲームへの転換が、新約とともに実現するわけです。
  その愛のことを、「隣人愛」という。(...)罪深い人とかダメな人とかよそ者とか嫌な奴、そういう者こそが、「隣人」の典型として念頭に置かれていて、彼らをこそ愛さなくてはならない。(p.195)
[橋爪](...)隣人愛のいちばん大事な点は、「裁くな」ということです。人が人を裁くな。
なぜかと言うと、人を裁くのは神だからです。(...) 律法はね、人が人を裁く根拠に使われたんですよ。だから、なくした。イエスが言っているのはそういうことでしょう? (p.198-199.)
 そのほかにも、「原罪」「預言者」「贖罪」「精霊」など、こうしたキリスト教理解の上で外せないテーマを、それぞれ明快に論じあっています。
 また、キリスト教と、政治体制・資本主義・自然科学との関係などにも話は及んでいて、射程の広い西洋文明論としても堪能出来ます。
 文学、哲学、絵画、音楽に興味のある方のみならず、「近代社会」をこの島国で生きているわたしたち一人ひとりにとっても、とても有意義な書物です。
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 Moze さん、「君が代条例」についてのご意見、ありがとうございました。大変心強く思いました。フランス語を読むことを楽しみとしているわたしたちも、そう言えば、立派な「マイノリティー」。そうした存在を邪険にしないことは、生物多様性を保護する観点からも、この社会にとって、そう悪いことではないはずですよね。
 過日ご紹介した放送の中で辺見さんが、大震災で被災した高齢者こそ手を尽くして救わなければならない。「もう十分生きたのだからいいだろう」ということには断じてならない、と語気を強めて語っている姿が印象的でした。明子さんはいかがでしたか。
 それでは、次回からは、先日フランス・アカデミー入りを果たした作家・評論家 Danie`re Sallenave <<Le Don des morts. Sur la litte’rature>>(1991)を読むことにします。今週末にはテキストをお届けします。Shuhei

ロラン・バルト『明るい部屋』(1)

2011年06月01日 | Weblog
 [注釈]

 * dans la Mort a` reculons : a` reculons は、文字通り「あとずさりして」ということです。だから、過去を遡って死を控えた人間の前方には、自らの過去が伸び広がっているわけです。
 * c’est alors aussi que tout basculait...: ここの basculer ですが、プルースト『ソドムとゴムラI』「心の間歇」の <<Bouleversement de tout ma personne>>を踏まえていると考えられます。
 * (de l’ordre des photos) : ordre は、なかなか厄介な多義語なのですが、ここはParti de sa dernie`re image (...) arrive’(...) a` l’image d’une enfant とありますから、「順番」のことでしよう。
 * elle e’tait devenue ma petite fille : 写真の中の5歳の女の子のように、ということでしょう。

[試訳]

 つぎのことも私の思索から外すことは出来なかった。つまり、時間を遡ることによって、私がこの写真を発見したということ。古代ギリシア人たちは後ずさりながら死の世界に入っていった。彼らの前に横たわっていたのは、彼らの過去だったということになる。そんなふうに私も一生を、私のではなく、私が愛していた人の一生を遡ったのだった。死を控えた夏に撮った母の最後の写真(ひどく憔悴していたが、凛として、私の友人たちに囲まれ、家の玄関の前で座っている)から始めて、75年を遡り、私はひとりの女の子の写真に辿り着いた。子供の持つ、あるいは母の、子供でもある母の、至高善に向けて私は目を凝らす。確かに、私は母を二度失った。最後の疲れ果てた母と、母の初めての写真、私には最後の写真に写った母と。けれども、まさにその時すべてが転倒し、ついにその存在そのままに、私は母を見出したのだった。
「写真」のこうした(写真の新旧による)運動を、私は身を以て体験した。母は晩年、私が母の写真を見つめ、温室の「写真」を発見する少し前、とても衰弱していた。私も母の衰弱を共にしていた(活動的な世界に加わったり、夜外出することも出来なかった。どんな社交もうんざりだった)。母が伏せている間、私は母を見守り、母のお気に入りのお茶用のボールを口元の運んで上げた。母が飲むには、カップよりも具合が良かったからだ。母は私の小さな娘となっていた。母が初めて撮った写真のままの、本質的な子供とひとつになっていた。
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 今日は、少しフランス語とは直接かかわりのない話題に触れることにします。こうした「政治的」なお話を好まない方もいらっしゃると思いますが、どうかご勘弁下さい。
 元タレント弁護士の橋下徹さんのことはみなさんも多分ご存知だと思います。今大阪府民の強い支持に支えられている大阪府知事です。彼がトップを務める「大阪維新の会」という地域政党が、今その多数を占める府議会で「国旗掲揚・国歌斉唱時に公務員に起立・斉唱を義務づける条例」を制定しようとしています。「君が代を歌わないことは許されない」ということを条例で定めようというのは、全国初めての取り組みだそうです。ぼくは、政治的にはまったく微温的な態度しか取れない軟弱フランス屋ですが、大阪維新の会のこの取り組みをただ黙って見過ごすことはできませんでした。
 先日、教職員労働組合の方が多数を占めると思しき集会に、生まれて初めて参加しました。その場では、「日本人を止めろ! 日本から出て行け! 北朝鮮で教師をやれ!」と、割れんばかりの大音響で右翼団体からたっぷり罵声も頂戴しました。帰り際、ディドロを専攻しているK先輩とばったりお会いして、夕食をご一緒してもらいました。
 以下は、地域政党大阪維新の会に宛てたぼくの「ご意見」です。ちょっとためらいはしましたが、実名で小文を送りました。どうか「非国民」だといじめられませんように。
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 音の調べに声を預ける、本来はどこまでも自発的であるべき「歌う」という行為を、その人の身分を奪ってでも強制する。こんな粗暴な権力の行使があるでしょうか。それを知事は子供たちが主体であるべき、教育の場で行おうとしている。そんなことは、許るされるべきではありません。
 公立学校の教師たちは、市民からの税金によって給与を得ている公務員であるから、組織の論理にしたがうべきだ、そう仰るでしょうか。先生たちの主体性が、組織の論理の前で踏みにじられる。知事、ことは教育にかかわることです。教育は、マネイジメントの論理だけで機能する人間の営みではないことぐらいは、知事もお分かりのことと存じます。健全な批判精神を持って大勢に順応しない、そんな、数少ない先生方の主体性を「数の、組織の論理」によって潰してゆけば、教育の本質は蝕まれ、ただ円滑に機能するだけの空虚な組織体だけが残ることになります。そんなところからは、「空気」だけには敏感に反応出来でる、ロボットのような臣民が生まれても、健全な公共意識を持った子供は育ちはしないでしょう。
 たしかに近代国家の誕生に際して、教育と軍隊が手を携えて「臣民」を育成して来たことは歴史的な事実です。けれども、あの悲惨な戦争を経験した私たち日本人は、軍に代表される組織の論理を、時には相対化し、批判する、聡明な子供たちを育む教育を、戦後実践して来たはずです。
 「長いものには巻かれろ」、そんな小賢しい論理が大手を振る場に、学校をしてはなりません。今では少数となり、それでも苦悩しながら「立たない、歌わない」大人の姿を見て、歴史とは、公共とは、個人とはどうあるべきなのか、そうしたことをめぐって考えを深める子供たちをこそ、私たちは育てなければならないのではないでしょうか。
 橋下知事、どうか多勢の力に溺れずに、風通しのよい社会で育つべき子供たちのことを考えて下さい。
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 あの国際的な学習到達度調査(2002)で明らかになった「学力低下」騒ぎに触れてのこんな一文に、深く頷かずにはいられませんでした。「『みんなと同じことを最優先に配慮し、みんなと違うことを心から恐怖する子供』を作り出すシステムを徹底に精緻に高度化して来た長年の努力の成果が『世界一勉強しない子供たち』なのである。(...)みんながそうしているからそうしている(...)そういう骨の髄まで他者志向の子供たちを日本社会は作り出して来た。」(p.34,38. 内田樹『街場の大学論』角川文庫)
 今朝大阪も肌寒い水無月を迎えました。明子さん、misayoさん、Mozeさん、雅代さん、それから「教室」をのぞいてくれているみなさん、どうか体調を崩されないようお身体には気をつけて下さい。それでは、次回6月15日に断章29を最後まで読むことにします。
 Shuhei