フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

ヒロシマをめぐるル・モンドの論説記事(2) (Lecon 218)

2010年09月29日 | Weblog
 [注釈]

* deux jours d'horreur, en l'espace desquels... : ここの espace は先行する deux jours からすると、時間的な「隔たり」を意味しています。
* cette mosaique de souffrance et de drames individuels silencieux... : この部分最後の二つの形容詞は、「苦しみと悲劇」の両方を説明していると考えた方がいいようです。特に、individuels というあり方は、mosaique を形作る一齣ということでから。
* la plus grande porte'e symbolique... ne soit pas que " l'evenement d'un e'te'". : 最大の象徴的意義でさえも、「ひと夏の出来事」として忘れ去られてしまうことへのおそれが語られています。ここの最上級は、ですから、「譲歩」のニュアンスを含みます。ne... pas que ~で、「~でしかない、ということではない」という表現にも気をつけて下さい。
* Les Japonais ont, de leur co^te'… :「日本人の方は」ということですが、文脈を踏まえると、被爆の被害を記憶に留めなければならない、その一方で、日本は特にアジアにおいては加害者であった、というコノテーションも読み取るべきでしょう。

 [試訳]
 
 「ヒロシマの悲痛な声」
 
 ヒロシマとナガサキへの原爆投下は、22万人が殺戮された8月6日と9日の惨禍に「縮約」されるわけではない。その後何年にもわたって、被爆者たちは厳しい境遇に打ち捨てられ、アメリカが原爆の効果を秘匿していたがために実質的な治療も施されないままであった。長いあいだ、被爆者たちのひどい火傷をどう治療していいのか、生々しくはがれた皮膚からの出血をどうすれば止められるのか判らなかった。放射線には伝染性があるのではないかという恐れから、被爆者たちは人として認めたもらえず、近隣の人々からは疎まれ、職場を解雇されるものもあった。1957年まで、被爆者たちは一切の社会的支援を受けることができなかった。ヒロシマとナガサキの記憶とは、被爆者ひとり一人が静かに耐えて来た苦しみと悲劇とからなる、こうしたモザイクに他ならない。
 彼らの境遇は特異な悲劇であるにもかかわらず、被爆者たちは、戦争の犠牲となった他の多くの人々と痛みを分かち合う交流を続けて来た。朝日新聞が書くように、2010年のこの記念式典に与えられた象徴的な意味合いの大きささえもが、「ひと夏の出来事」にとどまってしまわないことを祈るばかりである。
 中国は、残念なことに、ヒロシマの記念式典に代表を送ることはしなかった。中国政府からは何の説明もなかったが、中国の不参加は、戦争加害者でもあった日本が、その軍国主義的な過去を、今にいたっても十分に再検討できていないことを思い出させる。アジアにおいて、日本の進軍の被害となった国々においても、戦火による傷は大きく口を開けたままである。
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 misayo さん、ウィルさん、明子さん、Moze さん、雅代さん、manon さん、訳文の「提出」ありがとうございます。
 夏休み前に、時々は頭を抱えながら成績をつけたばかりですが、みなさんのような学生ばかりなら成績評価はどんなに楽だろうと、ふと思わずに入られませんでした。こういうところで、on ne peut souhaiter que...という表現が使えそうですね。
 「試訳」を参考にしてもらって、また疑問点などがあれば、どうか気軽にその旨書き込んで下さい。
 さて、新しいテキストですが、かなり以前にこの「教室」で一度読んだことがある Roger-Pol Droit << 101 expe'riences de philosophie quotidienne >>の一編を読むことにします。週末までにはみなさんのところへお届けすることにします。
 shuhei
 

ヒロシマをめぐるル・モンドの論説記事(Lecon 217)

2010年09月15日 | Weblog
 [注釈]
* Le de'rangeant message... : このタイトルですが、適訳を見つけることは、なかなかに難しそうですね。これは、全文を検討してから考えることにしましょう。
* en faveur d'un de'sarment nucle'aire mondial : この de'sarment ですが、場合に応じて limiter les armements か、あるいは supprimer les armements なのかを考える必要があります。この記事では、後に abolition totale という表現もみられますから、ここでは「軍縮」とするのが適当ではないでしょうか。
* Ce geste fait suite a' la de'claration... : geste には具体的な身体の動きを指す場合と、une action remarquable を表現する場合があります。ここでは、後者、文中の言葉で言えば la pre'sence (...) aux ce're'monies を指しています。また、Mais il ne re'pond que partiellement... の il は、この geste を受けています。
* le re'alisme tempe're' d'aspirations au de'sarmement... : ここは、先ほど述べたように、 une abolition との対比を考えなければなりません。「核兵器の削減を希求する微温的なレアリスム」に対して、被爆者たちが望んでいるのは、核兵器の「全廃」です。
* le recours a` la bombe e'tait inutile. : この inutile は、広島・長崎への原爆投下はIndispensablesであったのか、という問いに対するひとつの答えとなっていることを踏まえて下さい。

 [試訳]
 今年初めて、国連事務総長をはじめ、アメリカ駐日大使ならびに英仏の代理大使が、1945年8月6日広島に原子爆弾が投下されたことを記念する式典に参列したことは、象徴的に大きな意味を持った。それは、世界的な核軍縮に向けての運動の盛り上がりを示している。
 これは、2009年4月にプラハでオバマ大統領が「核のない世界の構築」を呼びかけた宣言につづく動きであり、また同宣言は、その数ヶ月後の安全保障理事会の決議によってさらに確かなものとなった。しかしながら、こうした働きかけも、広島の、さらにはその3日後に被爆した長崎の犠牲者たちの期待には、部分的に応えるものでしかない。被爆者54万人のうちの生存者22万人の望んでいるのは、核軍縮に向けての微温的なレアリスム以上のものだ。つまり、彼らは、人を殺めるという狂気を増幅させて来た核兵器の全廃を訴えているのだ。
 ジョン・ルース、アメリカ駐日大使が広島にやって来たのは、被爆者たちのために祈るためではなく、「第二次世界大戦のすべての犠牲者を哀悼するため」だった。アメリカは原爆投下に対して謝罪を表明したことはない。それは戦争を早く終わらせるために「必要」だった考えられているからだ。「やむをえなかった」のだろうか。1945年8月日本帝国軍は打ち負かされ、海軍・空軍ともに壊滅していた。合衆国大統領であったドワイト・アイゼンハワー将軍は、その回想録の中でこう述べている。「原爆の使用は不要であった」と。…………………………………………………………………………………………………………………….
 今週になって秋のかすかな予感をようやく実感できるようになりましたが、まだまだ暑い中「コメント」ありがとうございました。
 8月は、みなさんもご存知のように、日本では「戦争」についての言葉がにわかに増幅する時期にあたります。そういえば、ぼくも昨年の8月、加藤陽子『それでも、日本は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)を読んでいました。もちろん、核兵器をめぐる言葉もこの時期そこらここらで見かけることになります。ただ、米・露・中に並ぶ「核大国」であるフランスの新聞が社説で、8月6日に「ヒロシマ」に言及したことは、ぼくの知るかぎり、初めてだったと思います。
 これもそんな「8月言説」のひとつですが、朝日新聞の特集記事「私たちの戦争・2010年夏」の3回目に映画監督の森達也さんが寄せた文章が、印象深く記憶に残りました。その一部をここに引用しておきます。
 - 戦場では「殺される」との恐怖が心を壊す。まして「殺す」ときの心理的負荷はすさまじい。だから加害の記憶が残らない。語りたくても語れない。なぜあれほど残虐なことができたのか、そのときの情動を思い出せない。-
 日本の「8月言説」が被害の記憶のみに偏っていないか、そのことが毎年気にかかります。
 それでは、次回は29日に、論説記事の残りの部分の試訳をお目にかけることにします。
 shuhei

フランス語読解教室・9月再開

2010年09月01日 | Weblog
 みんさん、日本気象史上記録に残るであろう2010年の酷暑をいかがお過ごしでしょうか。
 さて、このたび同教室を再開することになりました。新年度(フランスの暦)は、フランスの夕刊紙 Le Mondeが論説記事でおそらくはじめて触れた「ヒロシマの式典」についての文章を読むことにします。テキストをお望みの方は、
  smarcel@mail.goo.ne.jp
 までご一報下さい。
 従来より少しペースを落とすことになりましが、同記事についての「注釈・試訳」は、15日(水)にお目にかけます。
 smarcel