[注釈]
* deux jours d'horreur, en l'espace desquels... : ここの espace は先行する deux jours からすると、時間的な「隔たり」を意味しています。
* cette mosaique de souffrance et de drames individuels silencieux... : この部分最後の二つの形容詞は、「苦しみと悲劇」の両方を説明していると考えた方がいいようです。特に、individuels というあり方は、mosaique を形作る一齣ということでから。
* la plus grande porte'e symbolique... ne soit pas que " l'evenement d'un e'te'". : 最大の象徴的意義でさえも、「ひと夏の出来事」として忘れ去られてしまうことへのおそれが語られています。ここの最上級は、ですから、「譲歩」のニュアンスを含みます。ne... pas que ~で、「~でしかない、ということではない」という表現にも気をつけて下さい。
* Les Japonais ont, de leur co^te'… :「日本人の方は」ということですが、文脈を踏まえると、被爆の被害を記憶に留めなければならない、その一方で、日本は特にアジアにおいては加害者であった、というコノテーションも読み取るべきでしょう。
[試訳]
「ヒロシマの悲痛な声」
ヒロシマとナガサキへの原爆投下は、22万人が殺戮された8月6日と9日の惨禍に「縮約」されるわけではない。その後何年にもわたって、被爆者たちは厳しい境遇に打ち捨てられ、アメリカが原爆の効果を秘匿していたがために実質的な治療も施されないままであった。長いあいだ、被爆者たちのひどい火傷をどう治療していいのか、生々しくはがれた皮膚からの出血をどうすれば止められるのか判らなかった。放射線には伝染性があるのではないかという恐れから、被爆者たちは人として認めたもらえず、近隣の人々からは疎まれ、職場を解雇されるものもあった。1957年まで、被爆者たちは一切の社会的支援を受けることができなかった。ヒロシマとナガサキの記憶とは、被爆者ひとり一人が静かに耐えて来た苦しみと悲劇とからなる、こうしたモザイクに他ならない。
彼らの境遇は特異な悲劇であるにもかかわらず、被爆者たちは、戦争の犠牲となった他の多くの人々と痛みを分かち合う交流を続けて来た。朝日新聞が書くように、2010年のこの記念式典に与えられた象徴的な意味合いの大きささえもが、「ひと夏の出来事」にとどまってしまわないことを祈るばかりである。
中国は、残念なことに、ヒロシマの記念式典に代表を送ることはしなかった。中国政府からは何の説明もなかったが、中国の不参加は、戦争加害者でもあった日本が、その軍国主義的な過去を、今にいたっても十分に再検討できていないことを思い出させる。アジアにおいて、日本の進軍の被害となった国々においても、戦火による傷は大きく口を開けたままである。
………………………………………………………………………………………….
misayo さん、ウィルさん、明子さん、Moze さん、雅代さん、manon さん、訳文の「提出」ありがとうございます。
夏休み前に、時々は頭を抱えながら成績をつけたばかりですが、みなさんのような学生ばかりなら成績評価はどんなに楽だろうと、ふと思わずに入られませんでした。こういうところで、on ne peut souhaiter que...という表現が使えそうですね。
「試訳」を参考にしてもらって、また疑問点などがあれば、どうか気軽にその旨書き込んで下さい。
さて、新しいテキストですが、かなり以前にこの「教室」で一度読んだことがある Roger-Pol Droit << 101 expe'riences de philosophie quotidienne >>の一編を読むことにします。週末までにはみなさんのところへお届けすることにします。
shuhei
* deux jours d'horreur, en l'espace desquels... : ここの espace は先行する deux jours からすると、時間的な「隔たり」を意味しています。
* cette mosaique de souffrance et de drames individuels silencieux... : この部分最後の二つの形容詞は、「苦しみと悲劇」の両方を説明していると考えた方がいいようです。特に、individuels というあり方は、mosaique を形作る一齣ということでから。
* la plus grande porte'e symbolique... ne soit pas que " l'evenement d'un e'te'". : 最大の象徴的意義でさえも、「ひと夏の出来事」として忘れ去られてしまうことへのおそれが語られています。ここの最上級は、ですから、「譲歩」のニュアンスを含みます。ne... pas que ~で、「~でしかない、ということではない」という表現にも気をつけて下さい。
* Les Japonais ont, de leur co^te'… :「日本人の方は」ということですが、文脈を踏まえると、被爆の被害を記憶に留めなければならない、その一方で、日本は特にアジアにおいては加害者であった、というコノテーションも読み取るべきでしょう。
[試訳]
「ヒロシマの悲痛な声」
ヒロシマとナガサキへの原爆投下は、22万人が殺戮された8月6日と9日の惨禍に「縮約」されるわけではない。その後何年にもわたって、被爆者たちは厳しい境遇に打ち捨てられ、アメリカが原爆の効果を秘匿していたがために実質的な治療も施されないままであった。長いあいだ、被爆者たちのひどい火傷をどう治療していいのか、生々しくはがれた皮膚からの出血をどうすれば止められるのか判らなかった。放射線には伝染性があるのではないかという恐れから、被爆者たちは人として認めたもらえず、近隣の人々からは疎まれ、職場を解雇されるものもあった。1957年まで、被爆者たちは一切の社会的支援を受けることができなかった。ヒロシマとナガサキの記憶とは、被爆者ひとり一人が静かに耐えて来た苦しみと悲劇とからなる、こうしたモザイクに他ならない。
彼らの境遇は特異な悲劇であるにもかかわらず、被爆者たちは、戦争の犠牲となった他の多くの人々と痛みを分かち合う交流を続けて来た。朝日新聞が書くように、2010年のこの記念式典に与えられた象徴的な意味合いの大きささえもが、「ひと夏の出来事」にとどまってしまわないことを祈るばかりである。
中国は、残念なことに、ヒロシマの記念式典に代表を送ることはしなかった。中国政府からは何の説明もなかったが、中国の不参加は、戦争加害者でもあった日本が、その軍国主義的な過去を、今にいたっても十分に再検討できていないことを思い出させる。アジアにおいて、日本の進軍の被害となった国々においても、戦火による傷は大きく口を開けたままである。
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misayo さん、ウィルさん、明子さん、Moze さん、雅代さん、manon さん、訳文の「提出」ありがとうございます。
夏休み前に、時々は頭を抱えながら成績をつけたばかりですが、みなさんのような学生ばかりなら成績評価はどんなに楽だろうと、ふと思わずに入られませんでした。こういうところで、on ne peut souhaiter que...という表現が使えそうですね。
「試訳」を参考にしてもらって、また疑問点などがあれば、どうか気軽にその旨書き込んで下さい。
さて、新しいテキストですが、かなり以前にこの「教室」で一度読んだことがある Roger-Pol Droit << 101 expe'riences de philosophie quotidienne >>の一編を読むことにします。週末までにはみなさんのところへお届けすることにします。
shuhei