[注釈]
*Et de me^me, ...de me^me Bonnard, qui … :「…と同じく、...」と言うことですが、カレンダーで示される出来事とお天気のどちらに関心が向いているかは、私たちとボナールでは対照的なところに注意して下さい。
*un e'te' aussi pourri : pourrirは「腐る、朽ちる」ことですが、フランス人の季節感から言うと、雨が多く、肌寒い夏のこととなります。
*perdu dans ses nuages, notait imperturbalement : se perdre dans ses nuages 「うわのそらである」ですが、ここは、文字通りにとりました。
*Si bien que l'on comprend que de ce monde, ...Bonnard se soit fait le guetteur attentif... : ここのつながり具合は確かにわかり辛いですね。試訳もご参照下さい。
[試訳]
実際のところ私たちは、昨年の今頃何をしていたかはちゃんと思い出せますが、そのかわりその頃どんなお天気だったかはほとんど思い出せません。それでこんなふうに言う始末です。こんなに夏らしくない夏は経験したことがない、とか、逆に、こんなに晴れやかな夏は初めてだなどと。この今の時の太陽、風、雨、その初々しさと深さに、すっかり忘れてしまっているのです、昨年の夏も本当はひどい夏だったり、すばらしい夏だったりしたことを。それと同じように、でも逆に、ボナールは手紙に日付を記すことはしないのに、雲に夢中になって、倦むことなく毎日、曇りがちから、晴れ渡った空へ、どんよりした空から、風を孕んだ空へと、くり返される空の状態の変化を記していました。彼が描いた数々の風景は、初めての朝を迎えたように、朝露がまだ煌めいているように、洗い清められ、あらゆる惰性は取り除かれて、目に飛び込んできます。そしてすべては、そのままそっくりその独自の生成の輝きにゆだねられているのです。ですから、私たちにはわかるのです。この世界、ただ一度だけ創造されて、あとは時計の規則正しい流れに従うだけなのではなく、目が世界の新しさを見据えるその度毎に創造されるこの世界の(神学において神が視線を注ぐごとに世界は再創造されるように)、ボナールは注意深い観察者となったのであり、マチスが彼に宛てた最後の手紙の、最後の言葉が「すばらしいお天気だ、すばらしい仕事を」であっことが。
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このテキストの出典は<<Les plus beaux textes de l'histoire de l'art>>(Beaux Arts e'dition 2009)です。実は、この同じ美術批評のアンソロジーからクローデルのフェルメール論を扱おうとして、前回断念したのでした。このテキストもけっして易しくはないですね。ですが、この文章がかなり難関の大学院の入試問題として出題されたとして、今回コメントしていただいたみなさんの訳文は、それぞれに十分、間違いなく合格点でした。本当をいえば、フランス語で書かれた文章をどこまで正確に読めているか心もとないぼくのような者のもとで学んでもらうのは、なんだか申し訳ないような気さえします。みなさんひとり一人の語学力は確かなものですから、どうか、それぞれの関心にそって、様々なフランス語の文章をどんどん味読していって下さい。
それでは、しばらく春休みを頂きますが、新しいテキストは、3月最終週の週末までにはみなさんにお目にかけます。Bonne continuation, et bonne lecture !