雅代さんの質問に関して。ぼくがここの部分で思い出したのは、Bad money drives out good. という諺です。ただ、ここで使われているのは、それこそ usage consacre' ではないようです。これはよく知られていることですが、大部分の夢は、日中の記憶のおぼろげな残滓で、夢見るものの personnalite'を語るようなものにはそう滅多にはお目にかかることはない、ということなのです。それで、「残念ながらそうした夢が大多数」と、思い切って意訳しました。Shuhei
[注釈]
* aussi indignes d’ordinaires d’avoir la veille,(…) : aussi とあるのは、前行の ces songes embrouille’s et vagues, をさらに説明していることを示しています。そうした夢は、「さらによる見守るにも値しない」。なお misayo さんの「夢に見られるのにふさわしくない」という訳も、おもしろいと感じました。目を閉じているにもかかわらず夢を「見る」という出来事は、まさに la veilleと言えるからです。
* ces grands re^ves communs a` tous ; le vrai sens des beaux re^ves : grand,beau いずれにも反語的な意味が込められていることに注意して下さい。
* l’homme qui la prononce apre`s dix mille autres. : autres は、autres personnes ということです。また ne pas plus... que の構文であることにも注意して下さい。
[試訳]
お気づきかと思いますが、私はあらかじめ注意深く、生理的な夢は除いています。胃や心臓の具合が悪かったために引き起こされたのが明らかな夢のことです。さらに注意して遠ざけたのは、記憶の消化不良から生じた、錯綜だけしていて、漠然とした夢です。それらは日々のちょっとした苦労のかたちをなさない残りかすで、ふつうは見守るには値しないものですが、残念ながらそうした夢が大多数です。
また、眠っている男の、あるいは女の欲望(や快楽)を確かめるだけの純粋に性的な、あるいはそれに準ずる夢も顧みないことにします。もうひとつ外したのは、すべての者に共通するあのお決まりの夢です。その解釈は不確かなままですが、わたしたち一人ひとりにほとんど決まった形であらわれ、眠る者たちすべてにあてはまる感情しかもたらさない夢。それは夢の国の国道や公園のようなものでしょうか。たとえば空を飛ぶ夢や、なにかに追われているのに、ベッドの上で横になったまま逃げ惑う者のまわりで、ドアが開いたり、閉じたりしているつらい夢。それから、奇妙な露出症の夢。夢見る者が裸で歩き回っているのにまったく騒ぎにならないことに驚く夢。これらのお決まりの夢の本当の意味が何であれ、そうした夢はそれだけでは眠る者の人となりについて私たちになにも教えてくれません。ちょうど一般に広まった比喩が、それを万人に連なって使用した者のひそかな魂ついては、なにも明かしはしないように。
****************************************************************
この週末に un petit cadeau として、ユルスナールが「至福の」と形容する「 青の夢」のテキストをお送りします。どうかお楽しみに。
ところで、もう読まれた方もいらっしゃると思いますが、佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』(河出書房新社)、世評に違わず、大変刺激的な本でした。ぼくが今年手にした数少ない書籍の中の、ベスト3には入ると思います。同僚に同書を薦めたメールの一部をここに転載します。
…………………………………………………………………………………..
こんばんは、藤澤です。今日はおだやかな日曜でしたね。いかがお過ごしでしたか。
今日は、もう読み終わろうとしている本が非常に刺激的だったので、ちょっとご紹介。
もう既に読まれたかもしれませんが、佐々木中の上記の新著です。本来は広大な射程を持った広義の「文学」(この場合、キリスト教・イスラム教・ローマ法の文献などが対象ですが)を、読み、読み変え、書き・書き変えることによって、中世以降近代に連なる時代は開闢された。それぐらいの「革命」を「文学」は成し遂げたのだ、という事実を、ルター、ムハマンド、中世解釈革命に沿って、力強く、文字通りに「語った」書物です。
こんな調子です --
「いいですか、革命は子供の生を『守護する』ことでなくてはならないのです。/
ピエール・ルジャンドルの思想の核心はここにある。(...)だって、子供を生み育てられなければ端的に絶滅してしまいますからね。こういうことを『少子化問題』と呼ぶことは、すでに問題を卑小化し、もっとも重要な問題から目を逸らしていることになる。逆に言うと、子供を生み育てられないような国家の形式のほうが、真っ先に滅びるべきだし、われわれが長く語って来たような意味での『文学』における革命によって転覆されるべきだということになります。」(p.140)
どうですか。なかなか魅力的な語り口でしょう ? 世評を裏切らない、おもしろさでした。是非、もしまだ手に取っていなければ、この冬休みにでも読んでみて下さい。
………………………………………………………………………………………
なお佐々木の師匠の Pierre Legendre が自身の知的遍歴を語ったラジオ放送を以下で聴くことが出来ます。
http://www.paris4philo.org/ext/http://www.paris4philo.over-blog.org/article-14600902.html
話は前後しますが、le’vitation に関しては、二度ここで紹介したと記憶していますが、新宮一成『夢分析』(岩波新書)を是非一読下さい。おもいろいことに、この書物は、佐々木のもう一つの大切な参照点ジャック・ラカンの思想への最良の入門書ともなっています。
明子さん、もう風邪もすっかりよくなられていることと思いますが、押し迫って、いよいよお忙しくご活躍でしょうか。ぼくは、今年は残暑がようやく収まった頃から、転居も含めて、色々落ち着かないことがありました。来年は、もう少し腰を据えて、読み、考え、書ける年にしたいものです。そう、佐々木のいう広義の「文学」の力を、ひとりでも多くの人が見直せる年になることを祈っています。
次回は、1月12日(水)としましょう。テキストの残りの訳文と、「青の夢」についての疑問点などを書いて下さい。
みなさん、どうか静かな新年をお迎え下さい。Shuhei
* aussi indignes d’ordinaires d’avoir la veille,(…) : aussi とあるのは、前行の ces songes embrouille’s et vagues, をさらに説明していることを示しています。そうした夢は、「さらによる見守るにも値しない」。なお misayo さんの「夢に見られるのにふさわしくない」という訳も、おもしろいと感じました。目を閉じているにもかかわらず夢を「見る」という出来事は、まさに la veilleと言えるからです。
* ces grands re^ves communs a` tous ; le vrai sens des beaux re^ves : grand,beau いずれにも反語的な意味が込められていることに注意して下さい。
* l’homme qui la prononce apre`s dix mille autres. : autres は、autres personnes ということです。また ne pas plus... que の構文であることにも注意して下さい。
[試訳]
お気づきかと思いますが、私はあらかじめ注意深く、生理的な夢は除いています。胃や心臓の具合が悪かったために引き起こされたのが明らかな夢のことです。さらに注意して遠ざけたのは、記憶の消化不良から生じた、錯綜だけしていて、漠然とした夢です。それらは日々のちょっとした苦労のかたちをなさない残りかすで、ふつうは見守るには値しないものですが、残念ながらそうした夢が大多数です。
また、眠っている男の、あるいは女の欲望(や快楽)を確かめるだけの純粋に性的な、あるいはそれに準ずる夢も顧みないことにします。もうひとつ外したのは、すべての者に共通するあのお決まりの夢です。その解釈は不確かなままですが、わたしたち一人ひとりにほとんど決まった形であらわれ、眠る者たちすべてにあてはまる感情しかもたらさない夢。それは夢の国の国道や公園のようなものでしょうか。たとえば空を飛ぶ夢や、なにかに追われているのに、ベッドの上で横になったまま逃げ惑う者のまわりで、ドアが開いたり、閉じたりしているつらい夢。それから、奇妙な露出症の夢。夢見る者が裸で歩き回っているのにまったく騒ぎにならないことに驚く夢。これらのお決まりの夢の本当の意味が何であれ、そうした夢はそれだけでは眠る者の人となりについて私たちになにも教えてくれません。ちょうど一般に広まった比喩が、それを万人に連なって使用した者のひそかな魂ついては、なにも明かしはしないように。
****************************************************************
この週末に un petit cadeau として、ユルスナールが「至福の」と形容する「 青の夢」のテキストをお送りします。どうかお楽しみに。
ところで、もう読まれた方もいらっしゃると思いますが、佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』(河出書房新社)、世評に違わず、大変刺激的な本でした。ぼくが今年手にした数少ない書籍の中の、ベスト3には入ると思います。同僚に同書を薦めたメールの一部をここに転載します。
…………………………………………………………………………………..
こんばんは、藤澤です。今日はおだやかな日曜でしたね。いかがお過ごしでしたか。
今日は、もう読み終わろうとしている本が非常に刺激的だったので、ちょっとご紹介。
もう既に読まれたかもしれませんが、佐々木中の上記の新著です。本来は広大な射程を持った広義の「文学」(この場合、キリスト教・イスラム教・ローマ法の文献などが対象ですが)を、読み、読み変え、書き・書き変えることによって、中世以降近代に連なる時代は開闢された。それぐらいの「革命」を「文学」は成し遂げたのだ、という事実を、ルター、ムハマンド、中世解釈革命に沿って、力強く、文字通りに「語った」書物です。
こんな調子です --
「いいですか、革命は子供の生を『守護する』ことでなくてはならないのです。/
ピエール・ルジャンドルの思想の核心はここにある。(...)だって、子供を生み育てられなければ端的に絶滅してしまいますからね。こういうことを『少子化問題』と呼ぶことは、すでに問題を卑小化し、もっとも重要な問題から目を逸らしていることになる。逆に言うと、子供を生み育てられないような国家の形式のほうが、真っ先に滅びるべきだし、われわれが長く語って来たような意味での『文学』における革命によって転覆されるべきだということになります。」(p.140)
どうですか。なかなか魅力的な語り口でしょう ? 世評を裏切らない、おもしろさでした。是非、もしまだ手に取っていなければ、この冬休みにでも読んでみて下さい。
………………………………………………………………………………………
なお佐々木の師匠の Pierre Legendre が自身の知的遍歴を語ったラジオ放送を以下で聴くことが出来ます。
http://www.paris4philo.org/ext/http://www.paris4philo.over-blog.org/article-14600902.html
話は前後しますが、le’vitation に関しては、二度ここで紹介したと記憶していますが、新宮一成『夢分析』(岩波新書)を是非一読下さい。おもいろいことに、この書物は、佐々木のもう一つの大切な参照点ジャック・ラカンの思想への最良の入門書ともなっています。
明子さん、もう風邪もすっかりよくなられていることと思いますが、押し迫って、いよいよお忙しくご活躍でしょうか。ぼくは、今年は残暑がようやく収まった頃から、転居も含めて、色々落ち着かないことがありました。来年は、もう少し腰を据えて、読み、考え、書ける年にしたいものです。そう、佐々木のいう広義の「文学」の力を、ひとりでも多くの人が見直せる年になることを祈っています。
次回は、1月12日(水)としましょう。テキストの残りの訳文と、「青の夢」についての疑問点などを書いて下さい。
みなさん、どうか静かな新年をお迎え下さい。Shuhei
今回扱う箇所で les purs re^ves sexuels ou poli-sexuels... とあるのは、les purs re^ves sexuels ou post-sexuels の間違いです。お詫びして、訂正いたします。
Shuhei
Shuhei
[注釈]
* comme la tombe... : formidable et rassurante という印象を与える事例が列挙されていますが、「試みに」以下のように訳してみました。
* les seuls profonds exe’ge`tes (...) l’orgue et le violoncelle. : d’inutiles commentaires を加えない、という文に続くところですから、これも以下のように訳出しましたが、適当であったのか、自信はありません。
[試訳]
教会をめぐる夢もあります。そこには、壮麗であるとともに、どこかほっとする大聖堂がいつも姿を見せます。星が輝く夜、窪地がそこここにあって、いくつか亡骸も見えるお墓にも、そんな風情がないでしょうか。その仄暗い教会堂を、ある時は内側から眺めています。灯明がいくつも灯されていて、荘厳な響きにも似た沈黙があたりを満たしています。また外側からお堂を眺めていることもあります。お堂の扉は、鍵を持たない巡礼者には固く閉ざされていて、内陣深く入って行くことを許してくれません。くわえて、池の夢。これは唯一子供時代にさかのぼる夢で、しかも寸分違わず年ごとにくり返される唯一の夢です。そして恋の夢もあります。私から余計な注釈はあえて加えないことにします。恋が今までに生み出して来た解釈者の深い洞察だけが、ふさわしい伴奏を果たしてくれるでしょうから。こうしたさまざまな夢はまた、その間でおたがいに結びつきもするのです。野心の、恋の、死の夢は、しばしば大聖堂の内部に位置づけられます。また池の夢は、神々しい畏怖の夢でもあります。うら哀しい幸福の夢は、きまってどこかのバラ色の空のもとでくり広げられるので、それとわかるのです。そして至福の夢。まだたった一度しか見たことがありませんが、一度目にしたら忘れられない青だけが目蓋に残っています。
…………………………………………………………………………………………………….
実はかなり長いこの序文が締めくくられる直前で、こうして夢という、ある意味でかなり個人的なものを公表する理由を、ユルスナールはこんなふうに述べています。そうした夢の核心は << n’e^tre perceptible que pour moi seule. >>。 ですから、註で取り上げた箇所などが難しく感じられるのも無理もないことと思います。
それでは、次回は dix milles autres. まで(ただし* の原文註は含まない)としましょう。テキストわずかながら残ってしまいますが、目をつぶることにします。終了時間を過ぎて授業を続けることほど、今時の学生に不評を買うことはないのです。
ここ大阪はまだ比較的おだやかな初冬を迎えていますが、フランスでは先週から、ニュースのトップ項目が厳しい寒波による被害・影響などであることが続いています。そんな関西も、来週半ば頃からはかなり冷え込むそうです。みなさんも、どうかお風邪など召しませんように。
Shuhei
* comme la tombe... : formidable et rassurante という印象を与える事例が列挙されていますが、「試みに」以下のように訳してみました。
* les seuls profonds exe’ge`tes (...) l’orgue et le violoncelle. : d’inutiles commentaires を加えない、という文に続くところですから、これも以下のように訳出しましたが、適当であったのか、自信はありません。
[試訳]
教会をめぐる夢もあります。そこには、壮麗であるとともに、どこかほっとする大聖堂がいつも姿を見せます。星が輝く夜、窪地がそこここにあって、いくつか亡骸も見えるお墓にも、そんな風情がないでしょうか。その仄暗い教会堂を、ある時は内側から眺めています。灯明がいくつも灯されていて、荘厳な響きにも似た沈黙があたりを満たしています。また外側からお堂を眺めていることもあります。お堂の扉は、鍵を持たない巡礼者には固く閉ざされていて、内陣深く入って行くことを許してくれません。くわえて、池の夢。これは唯一子供時代にさかのぼる夢で、しかも寸分違わず年ごとにくり返される唯一の夢です。そして恋の夢もあります。私から余計な注釈はあえて加えないことにします。恋が今までに生み出して来た解釈者の深い洞察だけが、ふさわしい伴奏を果たしてくれるでしょうから。こうしたさまざまな夢はまた、その間でおたがいに結びつきもするのです。野心の、恋の、死の夢は、しばしば大聖堂の内部に位置づけられます。また池の夢は、神々しい畏怖の夢でもあります。うら哀しい幸福の夢は、きまってどこかのバラ色の空のもとでくり広げられるので、それとわかるのです。そして至福の夢。まだたった一度しか見たことがありませんが、一度目にしたら忘れられない青だけが目蓋に残っています。
…………………………………………………………………………………………………….
実はかなり長いこの序文が締めくくられる直前で、こうして夢という、ある意味でかなり個人的なものを公表する理由を、ユルスナールはこんなふうに述べています。そうした夢の核心は << n’e^tre perceptible que pour moi seule. >>。 ですから、註で取り上げた箇所などが難しく感じられるのも無理もないことと思います。
それでは、次回は dix milles autres. まで(ただし* の原文註は含まない)としましょう。テキストわずかながら残ってしまいますが、目をつぶることにします。終了時間を過ぎて授業を続けることほど、今時の学生に不評を買うことはないのです。
ここ大阪はまだ比較的おだやかな初冬を迎えていますが、フランスでは先週から、ニュースのトップ項目が厳しい寒波による被害・影響などであることが続いています。そんな関西も、来週半ば頃からはかなり冷え込むそうです。みなさんも、どうかお風邪など召しませんように。
Shuhei