[注釈]
* des yeux … commence`rent d’en voir de plus doux. : 現代フランス文法からするとen は不定冠詞のついたdes yeux を受け、それにde plus doux と形容詞が付加されている、ということになるでしょうか。ただ、続く文の ces nouveaux objets とのつながりも考え合わせて、ここのen はdes yeux も含めたobjetsと解釈しました。
* L’eau devint insensiblement plus ne’cessaire,… : ここは、現実に水がもっと入り用になったのではなく、異性との逢瀬がそう感じさせた、ということでしょう。
* l’amusement et l’ennui : ennuiが「退屈・倦怠」の意味で使用されるのは近代以降のことです。いずれにしても、ここでは時のリズムが早まる状態が 前者であり、遅くなるのが後者です。
[試訳]
水を得るのに井戸に頼るしかないような痩せた土地では、人々は寄り集まって井戸を掘るか、少なくとも井戸の使用を巡って意見の一致を見なければならなかった。これが温暖な地域での社会と言語の起源であったろう。
そこでこそ、家族の最初の絆が生まれ、男女のはじめての出会いがあった。娘たちは家事のための水を求めに、若い男たちは家畜の群れに水を飲ませるためにやって来ていた。子供の頃から同じものを見続けて来た目が、そこでもっと優しいものを目にしはじめる。心はそうした目新しいものに高鳴り、今まで知らなかった魅惑によってもっと細かになり、一人ではない楽しみを感じる。水はいつのまにかもっと必要となり、家畜もこころなしかもっと頻繁に水を欲しがった。いそいそと井戸に駆けつけ、後ろ髪を引かれるように井戸を後にするようになる。こうした幸福な時代においては、時間を刻むものは何もなく、時間を計る必要もなかった。ただ時間には、楽しみと悲しみの尺度があるだけだった。時の試練に耐えて来た樫の老木のもと、激しい若さは徐々に角を失い、お互いに少しずつ馴染んでくる。互に理解しようと努めるうちに、気持ちを伝え合う術を覚えるのだ。そこではじめての宴が催される。喜びにステップが踊り、気を魅こうとする挙措だけではもう十分ではなくなり、そこに情熱の調子を帯びた声が加わる。喜びと欲望が渾然一体となって同時に感じられる。つまりそこが市民の揺籃の地となるのだ。泉の清らかな流れから、愛の最初の炎が生まれる。
……………………………………………………………………………………….
ぼくも久しぶりに、啓蒙の時代を生きたルソーの文章を味読することとなりました。読み飛ばすようには活字を追えず、少し襟を正すような気持ちで文章を辿りました。試訳を読んで疑問点などあればまたお尋ね下さい。
それでは、次回は原註も含めてこの文章を最後まで読むこととしましょう。次回は、一週間遅れとなりますが、12月19日(水)に試訳をお目にかけます。
いよいよ初冬らしく朝晩は冷え込んできました。どうかみなさんもお身体には気をつけて下さい。Shuhei
* des yeux … commence`rent d’en voir de plus doux. : 現代フランス文法からするとen は不定冠詞のついたdes yeux を受け、それにde plus doux と形容詞が付加されている、ということになるでしょうか。ただ、続く文の ces nouveaux objets とのつながりも考え合わせて、ここのen はdes yeux も含めたobjetsと解釈しました。
* L’eau devint insensiblement plus ne’cessaire,… : ここは、現実に水がもっと入り用になったのではなく、異性との逢瀬がそう感じさせた、ということでしょう。
* l’amusement et l’ennui : ennuiが「退屈・倦怠」の意味で使用されるのは近代以降のことです。いずれにしても、ここでは時のリズムが早まる状態が 前者であり、遅くなるのが後者です。
[試訳]
水を得るのに井戸に頼るしかないような痩せた土地では、人々は寄り集まって井戸を掘るか、少なくとも井戸の使用を巡って意見の一致を見なければならなかった。これが温暖な地域での社会と言語の起源であったろう。
そこでこそ、家族の最初の絆が生まれ、男女のはじめての出会いがあった。娘たちは家事のための水を求めに、若い男たちは家畜の群れに水を飲ませるためにやって来ていた。子供の頃から同じものを見続けて来た目が、そこでもっと優しいものを目にしはじめる。心はそうした目新しいものに高鳴り、今まで知らなかった魅惑によってもっと細かになり、一人ではない楽しみを感じる。水はいつのまにかもっと必要となり、家畜もこころなしかもっと頻繁に水を欲しがった。いそいそと井戸に駆けつけ、後ろ髪を引かれるように井戸を後にするようになる。こうした幸福な時代においては、時間を刻むものは何もなく、時間を計る必要もなかった。ただ時間には、楽しみと悲しみの尺度があるだけだった。時の試練に耐えて来た樫の老木のもと、激しい若さは徐々に角を失い、お互いに少しずつ馴染んでくる。互に理解しようと努めるうちに、気持ちを伝え合う術を覚えるのだ。そこではじめての宴が催される。喜びにステップが踊り、気を魅こうとする挙措だけではもう十分ではなくなり、そこに情熱の調子を帯びた声が加わる。喜びと欲望が渾然一体となって同時に感じられる。つまりそこが市民の揺籃の地となるのだ。泉の清らかな流れから、愛の最初の炎が生まれる。
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ぼくも久しぶりに、啓蒙の時代を生きたルソーの文章を味読することとなりました。読み飛ばすようには活字を追えず、少し襟を正すような気持ちで文章を辿りました。試訳を読んで疑問点などあればまたお尋ね下さい。
それでは、次回は原註も含めてこの文章を最後まで読むこととしましょう。次回は、一週間遅れとなりますが、12月19日(水)に試訳をお目にかけます。
いよいよ初冬らしく朝晩は冷え込んできました。どうかみなさんもお身体には気をつけて下さい。Shuhei