[注釈]
* C’est que la femme disparue e’tait (…) : c’est (parce) que... と同じで、前文の理由説明となっています。
* Pour donner une illustration plus concre’te (...) de ce que cela signifiait il avait oublie’ le nom (…) : une illustration... de ce que とつながっています。それから、 cela は、後出の、ある人物の名前やそのエピソードを指しています。ぼくも、初めこの cela につまづきましたが、くり返し読んでいるうちに、ああ、と了解できました。
[試訳]
「ねえ君」、時として彼は誰にも聞かれないように通りでつぶやく。あたかもこう呼びかけると魔法の力が働き、失った妻が蘇り、呼び出せるかのように。けれども、彼のなかではやさしい愛のほとばしりと一致していたはずの言葉の下には、失った女たちの、これから失うかもしれない女たちのさまざまな顔が次々と過ぎてゆく。この辛い気持ちを噛みしめながら、彼は思った。愛とは、こうした喪失感の別の名ではなかったか、と。
なぜなら、亡くなった妻は、彼の思いのなかに、行為のなかに、ある時、あるいはいつも存在していたのだから。彼には重宝だった、あるいは重宝であったであろう多くの知識を、彼女は手にして。彼の人生の正確な見通しや変化を手にしていたのは、潜在的な極としての彼女であった。彼には自分の人生のことなど、ほんの一部分しか分からないのだった。
あることが一体何を意味するのかを、言葉で、あるいは精神的な信号で、もっと具体的に示してもらおうとして、彼はかつて親しかったある人の名前や、その人物の細かなエピソードなどは忘れてしまった。そんなことは彼女が知っていただろうから、と彼は考えていた。もっと言えば、そんなことは今でも彼女が知っているだろうから。ただ残念ながら、彼女のところまで行って、それを尋ねることは出来ない。こうしたことは、扉の向こう側に行けば分かるだろう。ただ夢だけが、その扉をわずかに開けるすべを知っているのだけれど。
...........................................................................................................
それでは、次回は文章のおしまいまで読むことにしましょう。
明子さんのように、デュラスがフランス文学の入り口となった方は多いようですね。そう言えば、少女時代に『モデラート・カンタービレ』を手にしたときの鮮やかな印象を、川上弘美が書き留めていました。ぼくの好きなエッセ集『ゆっくりとさよならをとなえる』(新潮文庫)に収録されていたと記憶しています。たしか、堀江敏幸も川上の同書を愛読していたとどこかで書いていました。今残念ながら手元にありませんが(たぶん学生にやってしまったのでしょう)、よかったら読んでみて下さい。
* C’est que la femme disparue e’tait (…) : c’est (parce) que... と同じで、前文の理由説明となっています。
* Pour donner une illustration plus concre’te (...) de ce que cela signifiait il avait oublie’ le nom (…) : une illustration... de ce que とつながっています。それから、 cela は、後出の、ある人物の名前やそのエピソードを指しています。ぼくも、初めこの cela につまづきましたが、くり返し読んでいるうちに、ああ、と了解できました。
[試訳]
「ねえ君」、時として彼は誰にも聞かれないように通りでつぶやく。あたかもこう呼びかけると魔法の力が働き、失った妻が蘇り、呼び出せるかのように。けれども、彼のなかではやさしい愛のほとばしりと一致していたはずの言葉の下には、失った女たちの、これから失うかもしれない女たちのさまざまな顔が次々と過ぎてゆく。この辛い気持ちを噛みしめながら、彼は思った。愛とは、こうした喪失感の別の名ではなかったか、と。
なぜなら、亡くなった妻は、彼の思いのなかに、行為のなかに、ある時、あるいはいつも存在していたのだから。彼には重宝だった、あるいは重宝であったであろう多くの知識を、彼女は手にして。彼の人生の正確な見通しや変化を手にしていたのは、潜在的な極としての彼女であった。彼には自分の人生のことなど、ほんの一部分しか分からないのだった。
あることが一体何を意味するのかを、言葉で、あるいは精神的な信号で、もっと具体的に示してもらおうとして、彼はかつて親しかったある人の名前や、その人物の細かなエピソードなどは忘れてしまった。そんなことは彼女が知っていただろうから、と彼は考えていた。もっと言えば、そんなことは今でも彼女が知っているだろうから。ただ残念ながら、彼女のところまで行って、それを尋ねることは出来ない。こうしたことは、扉の向こう側に行けば分かるだろう。ただ夢だけが、その扉をわずかに開けるすべを知っているのだけれど。
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それでは、次回は文章のおしまいまで読むことにしましょう。
明子さんのように、デュラスがフランス文学の入り口となった方は多いようですね。そう言えば、少女時代に『モデラート・カンタービレ』を手にしたときの鮮やかな印象を、川上弘美が書き留めていました。ぼくの好きなエッセ集『ゆっくりとさよならをとなえる』(新潮文庫)に収録されていたと記憶しています。たしか、堀江敏幸も川上の同書を愛読していたとどこかで書いていました。今残念ながら手元にありませんが(たぶん学生にやってしまったのでしょう)、よかったら読んでみて下さい。