フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Pierre Pachet << L'amour dans le temps >> (3)

2009年06月24日 | Weblog
 [注釈]

* C’est que la femme disparue e’tait (…) : c’est (parce) que... と同じで、前文の理由説明となっています。
* Pour donner une illustration plus concre’te (...) de ce que cela signifiait il avait oublie’ le nom (…) : une illustration... de ce que とつながっています。それから、 cela は、後出の、ある人物の名前やそのエピソードを指しています。ぼくも、初めこの cela につまづきましたが、くり返し読んでいるうちに、ああ、と了解できました。

 [試訳]

 「ねえ君」、時として彼は誰にも聞かれないように通りでつぶやく。あたかもこう呼びかけると魔法の力が働き、失った妻が蘇り、呼び出せるかのように。けれども、彼のなかではやさしい愛のほとばしりと一致していたはずの言葉の下には、失った女たちの、これから失うかもしれない女たちのさまざまな顔が次々と過ぎてゆく。この辛い気持ちを噛みしめながら、彼は思った。愛とは、こうした喪失感の別の名ではなかったか、と。
 なぜなら、亡くなった妻は、彼の思いのなかに、行為のなかに、ある時、あるいはいつも存在していたのだから。彼には重宝だった、あるいは重宝であったであろう多くの知識を、彼女は手にして。彼の人生の正確な見通しや変化を手にしていたのは、潜在的な極としての彼女であった。彼には自分の人生のことなど、ほんの一部分しか分からないのだった。
 あることが一体何を意味するのかを、言葉で、あるいは精神的な信号で、もっと具体的に示してもらおうとして、彼はかつて親しかったある人の名前や、その人物の細かなエピソードなどは忘れてしまった。そんなことは彼女が知っていただろうから、と彼は考えていた。もっと言えば、そんなことは今でも彼女が知っているだろうから。ただ残念ながら、彼女のところまで行って、それを尋ねることは出来ない。こうしたことは、扉の向こう側に行けば分かるだろう。ただ夢だけが、その扉をわずかに開けるすべを知っているのだけれど。
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 それでは、次回は文章のおしまいまで読むことにしましょう。
 明子さんのように、デュラスがフランス文学の入り口となった方は多いようですね。そう言えば、少女時代に『モデラート・カンタービレ』を手にしたときの鮮やかな印象を、川上弘美が書き留めていました。ぼくの好きなエッセ集『ゆっくりとさよならをとなえる』(新潮文庫)に収録されていたと記憶しています。たしか、堀江敏幸も川上の同書を愛読していたとどこかで書いていました。今残念ながら手元にありませんが(たぶん学生にやってしまったのでしょう)、よかったら読んでみて下さい。

Pierre Pachet << L'amour dans le temps >> (2)

2009年06月17日 | Weblog
 [注釈]

* … passion du vide : ここの de は、「動作名詞の補語」というやつで amour de la patrie 「祖国への愛」, crainte de la mort 「死への恐怖」などの用例があります。
* Peut-e^tre l’expression (...) de ce qui n’avait jamais cesse’ (...) de le tourmenter というつながり方をしっかり読み取って下さい。
* Son attention n’e’tait-ce pas la me^me disponibilite’ vide... : 妻の喪失を埋め合わせるように女性に気を惹かれるのも、passion du vide のなせる業ではないのか、と自問しているのです。また、disponibilite’ の形容詞形 disponible には libre の意味があることにも注意して下さい。。ex. Si vous e^tes disponible samedie prochain, venez nous rendre visite.
 * rien n’e’tait plus oppose’ que l’uniformite’ (...) et la singularite’ …? : 「…以上に~のものはない」という、意味の上では最上級表現となる比較級です。ex. Rien n’est plus fascinant que ce passage. それから、une vie (...) qui n’avait jamais cesse’ d’e^tre attaque’e par la conscience du rien とあるように、uniformite’ とは、生涯を通じてどこまでも虚無の意識に囚われることです。こうした内面のあり方と、一回一回が特別な出来事である、女性たちとの出会いは、なるほど両立しがたいものでしょう。

 [試訳]
 
 あらたな感情、あるいは昔からの感情。あらたな感情というのは、それが喪失の大きさと結びついているものであるからと言えるだろうか。こんなにも身近な、近しいという以上のものを失って、私は当然のことながら自身の核の一部を失ってしまったのだろう。その自身の一部をもう一度見つけ出そうとしながら、それを私に返してくれる、それを再び蘇らせてくれる人を、私は求めているのかもしれない。けれども昔から馴染みの感情ということも出来る。妻を失うことによって、それ以前からあった情念がより感じられるようになったのだろうから。結婚生活もその情念を満たすことはなかった。ただそれで情念の炎は小さくなりはしたけれど。どんな情念というのだろうか。
 一種空虚な情念、虚無を求める情念。この身を飲み込んでしまうような、いきいきとした情熱の見かけをしながらも、それは憂愁という装いで自分を苦しめ続けて来たものの表れではないであろうか、と彼は考えた。それはつまり、内面の虚無を、自分に係り、重くのしかかり、自分の命を脅かして来た虚無を見通してしまったのだ。通りがかりの女性に度々気をとられる。彼女たちの魅力が自分に呼びかけ、自分とは無関係とは思えないのも、その同じ虚無が、自由になり、目覚め、あれこれの気掛かりに捧げられた一生の最期に戻って来たのではないだろうか。実は生涯、虚無の意識によって苛まれ続けていたのだ。奇妙な考えだろう。天候次第でしばしば閉じ込められていた憂愁が絶望的に常に広がっていたと考えることと、出会った魅力的な女性のひとり一人の姿、顔かたちが、それぞれににこやかで、ひとつひとつが思いがけなかったこととは、まったく両立しないのではないか。けれども、まさにこのこと二つながらに、余りに見事に呼応し、正確に重なり合うのだった。
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 明子さんの言うように、抽象化された名詞表現を、文脈に沿ってどこまで具体的に読めるか、がこうした文章理解のポイントとなります。試訳を読んでもらった上でまた質問などあれば遠慮なく書き込んで下さい。
 次回は、seuls les re^ves savant entrouvrir. までとしましょう。
 smarcel

Pierre Pachet << L'amour dans le temps >> (1)

2009年06月10日 | Weblog
 [注釈]

 * Disgra^ce : コーツィのこの作品は読んだことがないので、『愛を失う』というタイトルはほんの仮のものに過ぎません。
 * ce que le chagrin avait mis en mouvement : 「悲しみが姿を変えたもの」すぐあとには、une e’trange transmutation と言い換えられています。
 * les habitudes et une paralysie : habitudes との関係からいうと、une paralysie は「倦怠」としてもいいかもしれません。
 * ce sentiment nouveau n’est pas plus fort pour moi que le sentiment me^me de ce que je suis : ne...pas plus que に気をつけて下さい。ex. Il n’est pas plus bavard qu’avant.「彼は昔と変わらず無口だ」le sentiment me^me de ce que je suis 「自分が何ものであるかというという感覚」
 * qui donne la mesure insatialbe de... : mesure は、grandeur や valeur のことですから、ここでは「(欲望の)深さ」となるでしょうか。

 [試訳]

 ピエール・パシェ『時の中の愛』
 愛 / 悲しみ
 
 私が親しくなった女たちはそれぞれに、この自分について何かを教えてくれた。その意味で、彼女たちのおかげで私はましな男になれたのだ。J.M. コーツィ『愛を失う』

 ここのところ、と彼は考えた。何度も、強くこんな気がしてならない。私に生気を吹き込んでいるエロスの力は、姿を変えた悲しみの後を追わせているだけではないのか。悲しみは今でも疼き、くすぶっているのだ、と。けれどもこの奇妙な変化(それを観察し、理解したいのだが ) によって、悲しみは、無関心や無気力や感覚の麻痺ではなく、生きようとする、女性の気を引こうとする、この身を捧げようとする力強い意欲を育んでいる。

 一人の女性と長年生活をともにし、からだの、思考の、深い信頼の絆( 習慣や倦怠によってそうした絆が、それでも弱まることはある。それについては後に話すことにしたい)によって強く彼女と結ばれていた私は、その死に揺すぶられた。以来、枯れることのない井戸のように、いつもふとしたことで悲しみは呼び起こされる。私は思う。この新しい感情は( あるいは形と方向を変えた古くからの感情 )、私が何ものであるかという感覚と同じように強いものではなく、日々の、気分の、さまざまな仕事のどんな変化にも従うものではないだろうか。
 私を今支配し、私の生きる意欲の、あらたな対象に向かおうとする欲望の果てしなさを示しているのが、このあらたな感情の強さであるのだろう。
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 生まれて初めて、薬を長期にわたって(といっても2週間ほどですが)、服用していますが、肩の痛みは無くなりません。どうも長期戦になりそうです。みなさん、労りのお言葉ありがとうございます。
 ウィルさんの外国語学習意欲は見習わなければなりませんね。ぼくは、ドイツ語をはじめなければと思いはじめてもう何年経つでしょうか。耄碌し始める前には実行に移さなければなりません。いつか洗濯物を干しながらリートなどを口ずさみたいものです。
 さて、次回は、s'ajustaient trop exactement. までとしましょう。
 smarcel