[注釈]
* (…) par quoi j'acce`de au sens, a`la compréhension.: quoi は、cette morte feinte, cette transmutation を受けています。つまり、自己の中心を空にし、小説の登場人物にこのいのちを仮託することによって、読者である「わたし」は、「意味に、理解に近づける」
* chacun porte une te^te multiple sur ses e'paules : 読書によって、多様な想念を秘めた数知れない頭をこの首に据え替える、ということでしょうか。
[試訳]
登場人物によって今度は読者である私が、大いなる変容の国に近づくこととなる。登場人物によってこそ、私自身も想像上の存在となることを余儀なくされ、小説が世界の経験となる。小説を読みながら、私はこの身を預け、自分のことを忘れる。自分の身に引きつけ、我を忘れ、自分を赦す。登場人物に倣らい、なぞらえ、私は他者となる。アラゴンが歌っていたように。「存在するだけでは、人として物足りない。人であるためには、他者にならなければ。」(演劇/小説)
登場人物を媒介にして他者となる。自分自身となるためにも、他者となる。自分自身を留守にして、自身を捨て去ることによって、自身の人生がなんであるかが理解できる。サルトルが読者の「寛容」と呼んでいたものは、このことである。このかりそめの死、ひとときの変容によって、私は意味に、理解に近づくことができる。
物語のおかげで、一人ひとりは幾千の人々の思いを抱くことができる。魂は開かれ、心は新たになる。
…………………………………………………………………………………………………
masayoさん、明子さん、Moze さん、それぞれ訳文ありがとうございました。難しいという声もありましたが、みなさんよく読めていました。試訳を参考にしてもらって、また疑問点などあればいつでもお尋ねください。
さて、このテキストを読んで、マルセル・プルースト『失われた時を求めて』のなかの有名な一節を思い出さずにはいられませんでした。こんな一節です。
<<Le seul ve'ritable voyage, le seul bain de Jouvence, ce ne serait pas d’aller vers de nouveaux paysages, mais d’avoir d’autres yeux, de voir l’univers avec les yeux d’un autre, de cent autres, de voir les cent univers que chacun d’eux voit, (...) et cela nous le pouvons avec un Elstir, avec un Vinteuil, avec leurs pareils, nous volons vraiment d’e'toiles en e'toiles. >>(La Prisonnie`re)
「唯一の本当の旅、唯一の青春の源泉、それは新しい景色を求めて旅立つことではない。それは、他の目を持つこと、他者の目、百人の他者の目で世界を見ること、そうした他者のひとり一人が見ている世界、あるいはそうした他者の一人ひとりでもある世界を見ることである。そうしたことが私たちには、ひとりのエルスチール、ひとりのヴァントゥーユ、彼らのようなものと共になら可能となる。私たちは、本当の意味で、星から星に飛んでゆけるのだ。」(『囚われの女』)
エルスチール、ヴァントゥーユは、それぞれ画家と作曲家。主人公は二人の作品から創造行為の本質を学び取ってゆきます。
また、坂口安吾の「作家論について」という小文も、これはおもに書き手の立場から綴られたものですが、作家である「僕」を読者に置き換えれば、そのままサルナーヴの議論につながります。
「凡そ人間は、常に自分自身すら創作しうるほど無限定不可決な存在である。(…)我々は小説を書く前に自分を意識し限定すべきではなく、小説を書き終わって後に、自分を発見すべきである。(…)
僕は、できるだけ自分を限定の外に置き、多くの真実を発見し、自分自身を作りたいために、要するに僕自身の表現に外ならぬ小説を、他人の一生をかりて書きつづけようと思っている。」(坂口安吾全集 14, ちくま文庫, p.320-321)
それでは、これでしばらく夏休みとさせてください。ここのところは、大阪の大気もいくぶんクールダウンしていますが、お盆をすぎてから容赦のなくなった昨年の酷暑を思うと油断はできません。どうかみなさんもお身体には気をつけて、この夏をお過ごしください。9月を迎えたら新学年のテキストをお送りします。そのテキストの試訳は、9月14日(水)にお目にかけることにします。休み中にまた皆さんの近況報告などもお聞かせ下さい。
それから、宿題のテキストはこの週末までにはお届けしますね。それでは、Bonnes vacances, chers amis !
Shuhei
* (…) par quoi j'acce`de au sens, a`la compréhension.: quoi は、cette morte feinte, cette transmutation を受けています。つまり、自己の中心を空にし、小説の登場人物にこのいのちを仮託することによって、読者である「わたし」は、「意味に、理解に近づける」
* chacun porte une te^te multiple sur ses e'paules : 読書によって、多様な想念を秘めた数知れない頭をこの首に据え替える、ということでしょうか。
[試訳]
登場人物によって今度は読者である私が、大いなる変容の国に近づくこととなる。登場人物によってこそ、私自身も想像上の存在となることを余儀なくされ、小説が世界の経験となる。小説を読みながら、私はこの身を預け、自分のことを忘れる。自分の身に引きつけ、我を忘れ、自分を赦す。登場人物に倣らい、なぞらえ、私は他者となる。アラゴンが歌っていたように。「存在するだけでは、人として物足りない。人であるためには、他者にならなければ。」(演劇/小説)
登場人物を媒介にして他者となる。自分自身となるためにも、他者となる。自分自身を留守にして、自身を捨て去ることによって、自身の人生がなんであるかが理解できる。サルトルが読者の「寛容」と呼んでいたものは、このことである。このかりそめの死、ひとときの変容によって、私は意味に、理解に近づくことができる。
物語のおかげで、一人ひとりは幾千の人々の思いを抱くことができる。魂は開かれ、心は新たになる。
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masayoさん、明子さん、Moze さん、それぞれ訳文ありがとうございました。難しいという声もありましたが、みなさんよく読めていました。試訳を参考にしてもらって、また疑問点などあればいつでもお尋ねください。
さて、このテキストを読んで、マルセル・プルースト『失われた時を求めて』のなかの有名な一節を思い出さずにはいられませんでした。こんな一節です。
<<Le seul ve'ritable voyage, le seul bain de Jouvence, ce ne serait pas d’aller vers de nouveaux paysages, mais d’avoir d’autres yeux, de voir l’univers avec les yeux d’un autre, de cent autres, de voir les cent univers que chacun d’eux voit, (...) et cela nous le pouvons avec un Elstir, avec un Vinteuil, avec leurs pareils, nous volons vraiment d’e'toiles en e'toiles. >>(La Prisonnie`re)
「唯一の本当の旅、唯一の青春の源泉、それは新しい景色を求めて旅立つことではない。それは、他の目を持つこと、他者の目、百人の他者の目で世界を見ること、そうした他者のひとり一人が見ている世界、あるいはそうした他者の一人ひとりでもある世界を見ることである。そうしたことが私たちには、ひとりのエルスチール、ひとりのヴァントゥーユ、彼らのようなものと共になら可能となる。私たちは、本当の意味で、星から星に飛んでゆけるのだ。」(『囚われの女』)
エルスチール、ヴァントゥーユは、それぞれ画家と作曲家。主人公は二人の作品から創造行為の本質を学び取ってゆきます。
また、坂口安吾の「作家論について」という小文も、これはおもに書き手の立場から綴られたものですが、作家である「僕」を読者に置き換えれば、そのままサルナーヴの議論につながります。
「凡そ人間は、常に自分自身すら創作しうるほど無限定不可決な存在である。(…)我々は小説を書く前に自分を意識し限定すべきではなく、小説を書き終わって後に、自分を発見すべきである。(…)
僕は、できるだけ自分を限定の外に置き、多くの真実を発見し、自分自身を作りたいために、要するに僕自身の表現に外ならぬ小説を、他人の一生をかりて書きつづけようと思っている。」(坂口安吾全集 14, ちくま文庫, p.320-321)
それでは、これでしばらく夏休みとさせてください。ここのところは、大阪の大気もいくぶんクールダウンしていますが、お盆をすぎてから容赦のなくなった昨年の酷暑を思うと油断はできません。どうかみなさんもお身体には気をつけて、この夏をお過ごしください。9月を迎えたら新学年のテキストをお送りします。そのテキストの試訳は、9月14日(水)にお目にかけることにします。休み中にまた皆さんの近況報告などもお聞かせ下さい。
それから、宿題のテキストはこの週末までにはお届けしますね。それでは、Bonnes vacances, chers amis !
Shuhei