フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Paul Gadenne <<A propos du roman>> (4)

2014年03月05日 | Weblog

[注釈]
 

 *Nietzsche : “Place,(…)l'e'paisseur de... : ここからはニーチェの言葉の引用です。また、命令形となっている動詞 placer の直接補語がl'e'paisseur となっています。
 *achever (...) la phrase commence'e ? : 直前の引用した言葉を続けなければいけませんか?(とりあえず続けましょう)、ということです。
 * Que les clameurs (...) ne te parviennent que comme... :parvenir > parviennent は接続法現在形です。
 * pour si peu : 正しくは pour si peu qu'elle change. 「たとえどんなにわずかな変化であろうと」
 * nous sentir en fraternite' profonde avec... : 「深き友愛において」この書き手たちとつながっている、ということです。
 * このプロローグの前半部分で、カデンヌは、決定的な影響を受けた先行作家としてジッド、クローデル、そしてジオノの名を挙げています。

[試訳]
 

 リルケは愛とともに、また孤独についてももっとも見事に語った人間のひとりであった。「たったひとつ大切なもの : 孤独…自分自身を尋ねてみて、しばらくの間誰にも会わないこと。そこに至らなければならない」そんな深遠な言葉は、まるで谺のようにして、孤独のもう一人の偉人、ニーチェの言葉を呼び覚ます。「君と今日との間に、少なくとも三世紀の隔たりを置くべきだ。」この仙人の言葉を最後まで聞かなければならないだろうか? ニーチェとともに、この続きを読み通さなければならないだろうか? 「今日この日の喧噪や、革命や戦争といった騒動が、まるでささやき声のようにしか君に届かなければよい...」真の戦場は私たちの中にあり、英雄的な生涯はひとり一人の意識の次元で演じられる。事件は、それがどんなものであれ、現在の関心にのみ従って生きることの十分な言い訳とは決してならない。世代を分けるのは戦争ではない。人間のあり方は、それがどんなにわずかでも、そんなに速く変わるものではない。私がここに引いた言葉が書かれてからも、二つ三つの戦争があった。それでも、そうした言葉の書き手と私たちは深くつながっていると感じられる。いずれにしても、いかなる争乱にも拘らず世界がそこにあって、私たちにはその永続性が明らかだ。「これからも幾度も夜がめぐり、樹々を揺らし、村々を駆け抜ける風がまた吹くだろう。」この言葉はリルケのものだが、それはまたジオノの言葉であったとしてもおかしくはない。(1941)
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 昨日、昨年の晩秋に他界したぼくの恩師の息子さんからお手紙が届きました。ここ何年か夏にお借りしていた先生のお宅の地下のボイラー室の扉に “Le vent se le`ve, il faut tenter de vivre“との文字が書かれているのですが、それは、この言葉が好きだったお兄さんが書かれたものであることを教えてくれました。美術や、音楽評論を愛し、なによりもマルセル・プルーストを研究を志していた若き秀英でした。この一月にフランスで公開された宮崎駿監督『風立ちぬ』を先日観に行ったというお話から、若くして亡くなったお兄さんの小さな逸話を書き送ってくれました。この方ジェロームさんは『となりのトトロ』が一番のお気に入りだそうです。
 ぼくが先の後期試験の題材にした、映画公開に先立った行われた宮崎監督へのインタヴューが下記で(たぶん)読めると思います。興味のある方は、ご一読下さい。
 http://next.liberation.fr/cinema/2014/01/10/j-aspire-toujours-a-une-societe-plus-juste_972054#zen
 さて、それでは新年度は、4月16日(水)からとしましょう。新しいテキストは、来月はじめにはご覧に入れます。
 この雨を境にまた季節が後戻り。花の季節まではまだしばらくこの寒さを忍ばなければなりませんが、どうかみなさんもそれまでお元気で。Shuhei