フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

ミッシェル・トゥルニエ『イデアの鏡』(1)

2009年09月30日 | Weblog
 [注釈]

* me^me le plus lointain : ここの最上級表現は、me^me という言葉が添えられていることから、「譲歩」を意味することは明らかですが、こうした最上級表現のニュアンスには気をつけて下さい。
* 冒頭の les jeux de mots ですが、le passe’ なのに、ne pas tre’passe’ というところに面白味があることはお分かりだと思います。それで、tre’passer を思い切って「過ぎ去る」としてみました。
* illustre’ : illustre’ 以下は、ひとり一人が持つ son passe’ の例示です。
* Les de’racine’s : この文章で言及された collective な記憶を持たないものの例ですね。それに対して、[les] amne’siques は、個人的な記憶をも失った例として挙げられています。

 [試訳]
 
 過去は、どんなに遠いものでも、過ぎ去ってしまわない。これは、ルネ・ル・センヌがソルボンヌの哲学の講義にちりばめた言葉遊びのひとつです。そう、過去は何らかの仕方で現存しています。正確にいうと、それは多様な仕方で現存し得るものなのです。書物の中には歴史があります。博物館の中には展示品があり、街中には建物があります。それぞれの町には、命を捧げた若者たちの名を刻んだモヌュメントがあります。こうした記憶は集団的なもので、学校教育の一部となっています。
 けれども個人的な記憶というものもあります。私たち一人ひとりは、自分だけの過去を持っています。そのことは、手紙や、写真や、思い出の品といった、ちょっとして個人博物館によっても明らかです。こうした二つの記憶のおかげで、私たちの人生は安定を、均衡を得ているのです。故郷を失った人々の苦しみは、その過去が自分たちとは無縁な国をさまよっているからです。生きているその瞬間ごとにまったく世界があらたに見えてしまう記憶喪失者の苦しみは、記憶に恵まれている通常の人々には、想像を絶するものでしょう。
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 ウィルさんの言葉通り、みなさんには少し易しかったかもしれませんね。それぞれの訳文を見て、みなさんがしっかり文章を理解されていることがよくわかりました。
 トゥルニエの『イデアの鏡』を取り上げるのは、たぶん3度めだと思いますが、「記憶と習慣」というこの章は、もちろん、初めて扱います。Moze さん、安心なさって下さい。
 次回は、p.147. dans leur singularite’. までとしまょう。
Smarcel

新しいテキスト - ミッシェル・トゥルニエ『イデアの鏡』

2009年09月20日 | Weblog
 みなさん、いかがお過ごしでしょうか。ここ数日、大阪では、青く、深みを増した、さわやかな秋空が広がっています。
 さて、再び今週末より「フランス語読解教室 II」を開講します。54年振りに本格的な政権交代が果たされました。まったく漠然としたものですが、何かが変わるかもしれないという予感とともに始まる Rentre'e scolaire となりました。ひきつづき、当講座にふるってご参加下さい。
 ぼくの記憶違いでなければ、当講座で最初に取り上げたミッシェル・トゥルニエのテキストを三たび読むことにします。定点観測とでも言ったらいいのでしょうか、みなさんがご自身のフランス語読解力の成長ぶりを確かめるよい機会となれば幸いです。
 以前この講座に参加されたことがある方には、すでにテキストをお送りしていますが、またあらたにテキストをご要望の方は、以下までメールにてお報せ下さい。
 smarcel@mail.goo.ne.jp

 Bonne lecture !
 Smarcel