フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Ecouter Haendel (6)

2012年10月31日 | Weblog
 [注釈]
 
 *On s'ouvre a` la famille, on entend des bonnes paroles. :
On nous revoie...の主語は、特に特定されない人々を指していますが、ここのon は、nous のことでしょうね。

 [試訳]
 
 ギャランスはその頃には歩けるようになっていたが、どこか怖々だった。近所の保育所にも通うようになっていた。色々な医者や心理学者も紹介してもらったが、その力量は様々で、親切な場合もあれば、ぎこちなく対応される時もあった。みんな私たち家族を迎え入れてくれて、やさしい言葉もかけてもらった。ギャランスはほとんど話すことはなく、話してもひと言二言。たいていは唄を歌って過ごしていた。彼女がそれぞれの人をそれと認めるのも、ちょっとした唄や童謡によってであった。それは微笑ましくもあった。ギャランスは利き手が決まるように、また手と足がなめらかに連動するように、色々な運動もしてもらった。彼女が生涯忘れることのない保育所の保母さんは、辛抱強くマッサージもしてくれた。でもギャランスは難しい子で、要求が多いわりには、こちらの言うことにはあまり応えてくれなかった。他の子供たちよりよだれも多かった。それでも、赤や青の制服を着た小さな子供たちのクラス写真を見ると、ギャランスはそれほどみんなと変わりはなかった。
 違いが眼につくのは、公園で遊ぶ娘の姿を見る時だった。ギャランスは滑り台に上ることも出来ず、楽々と動き回ることも、他の子供たちと遊ぶことも、お砂遊びをすることも、バケツを一杯にすることもできなかった。それでも娘のどんな発達の印も、彼女を人並みの子供に近づけるどんな成長のあとも、私たちは見逃さなかった。
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 misayoさん、midoriさん、mozeさん、shokoさん、それぞれにしっかりした訳文ありがとうございました。
 以前にも述べたことですが、ぼくは、いつも言わば「あとだし」ですから、みなさんの訳文に文章の理解を助けられることも度々です。注釈でも触れましたが、今回は、midoriさんの on entend des bonnes paroles. の訳に教えられました。
 携帯電話に出た相手にむかって On est ou`?と呼びかける言葉も、フランスの街角で最近しばしば耳にします。on は変幻自在ですね。
 それでは、次回は11月14日(水)に文末のne nous quitterait plus jamais.までの訳文をお目にかけます。
 フランスもこの日曜から冬時間となりました。悲しいことですが、すでに凍死者も出て、また今年もS.D.F. = sans abri の人々に関心が向けられています。季節の変わり目です。みなさんもどうかお身体には気をつけて下さい。Smarcel

Ecouter Haendel (5)

2012年10月18日 | Weblog
 [注釈]
 
 *non, ce n'est pas sans doute pas cela. : この部分は、医師から下された暫定的な診断結果と解釈しましたが、あるいは「私たち」の不安に抗する思いなのかも知れません。
 *Premiers larmes, d'incertitude. Premiers assauts de l'imagination : midori さんの心に迫ったのはこの anaphore でしたね。先のフランス大統領選中のHollande 対 Sarkozyの公開討論の場で、前者が<<Moi, le Pre'sident de la Re'publique... >>と、anaphore を力強く使っていたのが印象的でした。下記でその映像の一部を見ることが出来ます。
http://www.youtube.com/watch?v=LoUJLY0PbJ0
 それにしても、この部分のshokoさんの訳には感心させられました。
「初めてのことだった。何故だか涙が流れ、もしかしてという予感に襲われたのは。」

 [試訳]
 
 夏が終わる頃、もうすぐ1歳と8ヶ月になるギャランスを私たちは病院につれてゆき、染色体の検査のために採血をした。ギャランスは膝に乗せていた。それは誰にとっても落ち着かない時間だった。ギャランスをおとなしくさせるために、私たちはあの子が大好きな唄を歌った。ギャランスははやし唄や子守唄がお気に入りで、私たちはそれまでも何度もくり返し歌ってやっていた。
 新学年は、海外で暮らしていたのだが、そこで不安を募らせながら、私たちは長い間検査結果を待っていた。たいてい、そうした結果はハッキリとしたものでも、明確なものでもなかった。「X染色体が脆弱である疑いがあります」とはじめは告げられた。再検査...。しばらくすると、「あるいは、そうではないのかもしれません」友人や、親類縁者、知識や経験がありそうな人々に尋ねてみても、答えは返って来ない。そして今度は精密な診断を何度も受けることになる。初めて訪れた待合室で、普通とは違った、見ていて心配で、不安にかられる、病んだ子供たちの姿を目にした。初めて心細さから涙が流れた。初めてよくない想像に襲われた。
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 さて、前回お知らせしたように今日は小熊英二『社会を変えるには』(講談社現代新書)をご紹介します。
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2881683
 語りおろしを思わせるようなこの浩瀚な論考は、毎週末官邸周辺で行われている反原発デモの意義を探ることを主な目的として書かれています。ところが、小熊がこうしたテーマを扱うと、現代日本社会の歴史的位置の確認からはじめ、いわゆる欧米民主主義の発生と発展、その諸形態までをも通覧した上で、あらためて議会制民主主義を補完、刷新さえするデモの意味が、500ページ以上にわたって問われるのです。
 少しだけ同書を引用しておきます。
 「現代日本語の「格差」というのは、単に収入や財産の差のことだけではなくて、「自分はないがしろにされている」という感覚の、日本社会の構造に即した表現でもあるといえます。…
 …既得権者をひきずりおろして君たちに分け前を与える、と宣言する僣主に期待しても、すぐに期待は裏切られるでしょう。「誰かが変えてくれる」という意識が、変わらない構造を生んでいるのです。...
…みんなが共通して抱いている、「自分はないがしろにされている」という感覚を足場に、動きをおこす。そこから対話と参加をうながし、社会構造を変え、「われわれ」を作る動きにつなげていくことです。(p.437-440)
 じつは、小熊さんは、今回ノーベル医学・生理学賞の栄誉に輝いた山中伸弥さんと同い年。そういえば、オバマ大統領も62年生まれでした。この世代の活躍が、社会の実質的な変化を少しずつ促しているのかもしれません。
 さて、次回はp.19 tout ce qui la rapproche de la norme. までとしましょう。今回は、一日遅れとなりましたが、次回は、10月31日(水)に試訳をお目にかけます。Smarcel

Ecouter Haendel (4)

2012年10月03日 | Weblog
 [注釈]
 *rassurantes : il ne semble y avoir...: rassurantes という形容詞はもちろん analyses の結果を説明しています。その具体的な内容が : 以下です。
 *mais ne l'empe^chent ni de sourire, ni de se redresser...: l' はla=Garance

 [試訳]
 バカンスになると、二人とも大好きなオーベルニュの山々を山歩きする機会に恵まれ、数日ギャランスをある娘さんに預けたのだが、毎晩彼女に会いに行くことにした。彼女は、慎重で、注意深い娘さんで、ギャランスに添い寝をしてくれて、まったく心配のないようにしてくれた。ギャランスを引き取りに行くと彼女は私たちに言った。- ギャランスにはまったく手がかかりませんでした、おとなし過ぎはしませんか。ほとんど動くことはありませんでしたし、夜などは特にそうでした。-でも私たちが迎えに行くと、ギャランスの眼にはたちまち喜びの光が射した。私たちはそれだけですっかり安心してしまった。
 新学年にギャランスを保育園に入園させた。9ヶ月のときだった。保母さんたちはギャランスのおとなしさに気づいていた。他の赤ん坊たちと比べてもギャランスはおとなしく、動きが少なく、消極的であることは明らかだった。それで初めて相談にかかることにしたが、結果には安心した。「異常」といえるようなものはなにもないようで、ただ数ヶ月の「少し発達の遅れ」が見られるのみで、心配には及ばなかった。
 この「心配らには及ばない遅れ」は続いた。それでもギャランスは微笑み、立っちもし、首も座り、私たちを、友人たちを魅惑した。けれども小児科医は、それが仕事柄とはいえ、もっと慎重で、私たちに専門医の診察を勧めてくれた。それは適切な忠告だった。ギャランスは歩くことはなかったし、言葉を発することも稀だったから。
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 新学年 Rentre'e、早速おなじみのみなさんの訳文を参考に出来て、とてもうれしく思っています。今期もどうかよろしくおつき合い下さい。
 さて、shokoさんのご質問の答えになるかどうかわかりませんが、こういうことではないでしょうか。日中夫婦二人だけの山歩きを楽しむために、Aubergneに住む娘さんにギャランスを預けていたようです。子供中心の日本の家族と違って、欧米は夫婦が家族の中心ですから、子供を他人に預けて夫婦二人で外出することは珍しくないようです。いわゆる「川の字にになって」親子が寝るという習慣も、欧米にはないと聞きます。これは、子供の発達を促すにはよい慣習であると、ぼくなどは思います。
 これも、日仏の違いですが、フランスで言うville は、行政規模でいうと日本の区にあたるようです。ですから、フランスの「市役所」が、Illiers のような田舎でなくとも、こじんまりとしているのは当然かもしれません。
 それにしても、最近の日本の市役所施設は国道沿いの立派なものが多く、徒歩でのアクセスが悪い。ぼくのような車も持たない人間は時々不便を感じています。
 
 ところで、先日読み終わった、新書にしては浩瀚な小熊英二『社会を変えるには』(講談社現代新書)の紹介をしたかったのですが、母のところに同書を置いて来てしまいました。小熊の著書には次回触れることとして、
 http://courrier.jp/
 同じ著者へのインタヴューが掲載されている上記雑誌を紹介しておきます。
 さて、次回は、少し短くなりますが、Premiers assauts de l'imagination. までとしましょう。10月17日(水)に試訳をお目にかけます。Smarcel