[注釈]
*l'ombre de la langue qui a tué l'homme. l'hommeとはRené Koltz のことでしょう。
*des mots qu'il suce avant de les cracher sucer des mots et les cracher なくてはならないもののように sucer したあと、cracher。この時間関係を読み取ることが大切です。
[試訳]
新たな言語で書かれた最初の作品『拒絶の歌』を、コルツはサミュエル・ベケットの言葉からはじめている。「沈黙は私たちの母なる言語である」。これ以後、記された、もうひとつの言語は、フランスの言葉をまとうことになる。激烈な言葉を。その激しい言葉の下に、夫を殺した言語の影が潜む。
そして、その沈黙から、詩の再建がはじまる。まず詩人の復権が、再定義がなされなければならない。詩人とは、「それまでしゃぶっていたのに、やがて白いページの上で唾した言葉たちに詫びる人」。「荒くれた世界にさらに激昂を重ねたことを詫びる人」。詩に寄りかかって息をすることを学ぶ人。ページを背にした言葉に「傷ついた面」が隠れていることを見抜く人、となる。
場もまた再構築しなければならない。詩はその時「私がその上を歩む海」となる。詩は「月の皮をむく」。大河は「仰向けに寝て、星座を見守る」。大海原は「家の前に腰掛けた翁」。「世界のゆりかごであり、墓場である」砂漠で、「すべては枯れ果てても、雨を待ってまた生まれ出ずる」。
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misayoさん、midoriさん、Mozeさん、訳文ありがとうございました。詩的でなおかつジャーナリスティックな文章。易しくはありませんね。
教室を閉めることについて、みなさんから本当に過分なお言葉を頂戴して恐縮しています。ただ、気がついてみれば十数年も続けていたことになります。その間にこの身に起きたあれこれを思えば、やはり、短くはない時間だったのでしょうね。みなさんにも本当に長い間にわたっておつきあいいただきました。
どこかで切りをつけなければとここ数年考えていたのですが、ここで一度紹介もしたジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』(In Altre Parole)を読んだことが大きなきっかけとなりました。アメリカ小説界で確たる地位を築いている作家ラヒリと、この自分を同列に扱うつもりは毛頭ありませんが、中年を過ぎてから、イタリア語にとりつかれ、ローマに移住し、そしてついには彼の地の言葉でエッセと掌編小説を紡いでいる彼女の外国語との取り組み方に、大きく影響されました。ぼくも、フランス語という異邦の言葉を思いのままに紡いでみたくなりました。
どこかのブログに月一回くらいのペースで、由無しごとをフランス語で綴れればと思っています。亡くなった恩師のご子息が、幸いいつでも手を貸すよと言ってくれていて、できればこの秋からでも五十の手習いをはじめようかと考えています。
また改めてご挨拶申し上げますが、そんな訳でこの教室を一旦閉じることにしました。
次回は7月13日(水)にma fable profanée.>>までの試訳をお目にかけます。Shuhei