マルクス・アウレーリウス『自省録』の復刊

2007年02月24日 | 心の教育
 新聞広告で、しばらく品切れになっていたマルクス・アウレーリウス『自省録』(岩波文庫)が改版されて復刊されたことを知りました。

 品切れ期間中、みなさんにお勧めしても他の翻訳しかなく、私としては岩波文庫の神谷美恵子訳がとてもいいと思っているので、残念に思っていました。

 そして、「これだけの名著をどうして品切れにするのだろう」と思っていたのですが、改版するために時間がかかったということのようです。

 手元にあるのは、2度目に買った昭和50年の第22刷で、もう紙が焼けて黄ばんでいるというよりは褐色がかっています。

 今日、ぴかぴかの新本になった新しい版を書店で見て、「古いほうもずっと読むだろうけれど、こちらでもう一度読み直すのも悪くないな」と思って、早速買いました。

 帰りのバスの中で、次のような個所をまた新鮮な感銘をもって読み返しました。


 神々のわざは摂理にみちており、運命のわざは自然を離れては存在せず、また摂理に支配される事柄とも織り合わされ、組み合わされずにはいない。すべてはかしこから流れ出るのである。さらにまた必然ということもあり、全宇宙――君はその宇宙の一部なのだ――の利益ということもある。しかし自然のあらゆる部分にとって、宇宙の自然のもたらすものは善であり、その保存に役立つものである。宇宙を保存するのは元素の変化であり、またこれらによって構成されるものの変化である。

 もし以上が信条(ドグマ)であるとするならば、これをもって自ら足れりとせよ。書物にたいする君の渇きは捨てるがいい。そのためにぶつぶついいながら死ぬことのないように、かえって快活に、真実に、そして心から神々に感謝しつつ死ぬことができるように。(第2章3、改行は筆者)


 前半は、みごとなつながりコスモロジーの古典的表現で、「元素」を「宇宙エネルギー」と置き換えれば、後はまったく異議なしです。

 そして、後半、「全宇宙――君はその宇宙の一部なのだ……自然のあらゆる部分にとって、宇宙の自然のもたらすものは善であり、その保存に役立つものである」という「信条……これをもって自ら足れりとせよ」と、知ることよりも使命を果たしながら生きることに重点を置くという決心を新たにしているところに、感動を覚えます。

 まちがいなく非常な本好きだったアウレーリウスが皇帝としての忙しい仕事・使命を果たすために、書物にたいする「渇き」とまで表現される執着を本当は捨て切れないのに何とか捨てよう、断念しようとしていることがうかがわれて、先日不徹底に蔵書整理をしたものの、まだまだ執着を捨てきれない人間としては、深く深く共感する個所です。




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コメント
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