マルクス・アウレーリウスのことば 2:新たな創造のための変化

2011年04月08日 | 生きる意味

 変化を恐れる者があるのか。しかし、変化なくしてなにが生じえようぞ。宇宙の自然にとってこれよりも愛すべく親しみ深いものがあろうか。君自身だって、木がある変化を経なかったならば、熱い湯にひとつはいれるだろうか。もし食物が変化を経なかったならば、自分を養うことができるだろうか。その他必要な事柄のうちなにが変化なしに果たされえようか、君自身の変化も同様なことで、宇宙の自然にとっても同様に必要であるのがわからないのか。(七・一八)

 宇宙の自然は「全体」の物質を用いてあたかも蝋でものを作るように、ある時は馬を形作り、つぎにこれをこわし、その素材を用いて樹木をこしらえ、つぎには人間を、つぎにはまたなにかほかのものをこしらえる。各々のものはごく僅かな時間だけ存続するにすぎない。箱の身になって見れば、解体されるのも組み立てられるのと同様、別に難儀なことはないのである。(七・二三)

 宇宙を支配する自然はすべて君の見るところのものを一瞬にして変化せしめ、その物質から他のものをこしらえ、更にそれらのものの物質から他のものをこしらえ、こうして世界がつねに新たであるようにするのである。(七・二五)

 死んだものは宇宙の外へ落ちはしない。ここにとどまるとすれば、更にここで変化し、分解してその固有の元素に還る。それは宇宙の元素であり、また君の元素でもある。更にこれらもまた変化し、ぶつぶつ呟きはしない(八・一八)

 喪失は変化にほかならない。これが宇宙の自然な喜びとするところなのだ。その自然に従って万物は〔うまい具合に〕生起し、永遠の昔から同じ形のもとに生起し、永遠に至るまで他の同様な形の下に生起していくであろう。しかるに君はなぜいうのか、すべては具合悪くできており、これからも常に具合悪くあろうし、神々がどんなに大勢存在しようとも、これを正す力は彼らの中には結局見出されなかった。世界は絶えざる悪に悩まされるべく定められているのだ、と。(九・三五)


 変化も破壊も喪失も宇宙の自然であり、それは「世界がつねに新たであるようにする」ためだ、という視点は、大きな変化・破壊・喪失の時代にある私たちにとって、次のステップに進むための希望を与えてくれる視点だと思います。

 次のステップはまったく新しい創造に向けてのスタートなのです。

 もちろんそうした厳しくも真実なものの見方を、今苦しんでいる方に押し付けるのは、決してやるべきことではありませんが、自分自身に言い聞かせるものとしては――『自省録』はまさに自分に言い聞かせるための日誌です――(場合や人によって)大きな力になるものではないかと思います。




コメント (4)
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