危機的状況と飛躍的進化

2011年09月12日 | 持続可能な社会

 勧められて読んだ池澤夏樹『楽しい終末』(文春文庫、タイトルは反語的で、楽しくない人類の終末が、予想したくないのに予想されてしまう、という本です。機会があれば、いつか論評してみようと思っていますが…)に、立花隆『サル学の現在』(平凡社、1991年、514~516頁)の中の人類学・霊長類学者の江原昭善氏との以下のような対話(問い:立花、答え:江原)が引用されていました。


 絶滅か、未来人類の出現か

――この先どうなりますか。

「難しい問題ですね。残念ながら、進化史上におけるホモ・サピエンスの位置がどういうところにあるのか、まだ予測できません。というのは、ホモ・サピエンスという種が現われてから、まだ五万~一〇万年しか経っていない。これは、タイムスケールで言えば、まだあまり短くて、種の運命を予測できない。この先絶滅する運命なのか、安定進化の状態になって、一〇〇万年単位の繁栄を楽しむことができるのか、どちらを向いているかが問題です。
 化石類人猿の時代が、一〇〇〇万年単位であって、それに続いて、猿人の時代が三〇〇万年ぐらい続き、原人の時代が、一〇〇万年くらい続いた。ホモ・サピエンスは、その先のところで、一〇万年ほど前から、ちょこっと芽を出しているだけです。これはもしかしたら、絶滅へ向かう分岐進化なのかもしれない。あるいは、このまま安定するのか、あるいは、この先また別の分岐進化があるのか、何ともいえないんです」

――環境破壊とか、人口爆発とか、最近の状況はどうも、人間の種としての未来を危うくしてるようですね。

「私も最近まで、人間は絶滅に向かって進んでるんじゃないかと、ペシミスティックだったのですが、最近ちょっと考えが変わりましてね。生物が飛躍的進化をするときは、いつでも危機なんです。それを乗りこえたとき、新しい段階に飛び移れるし、飛びそこなうと絶滅する。だから、現在の危機的状況をバネにして、人類は次の次元に入っていくのではないかという気もしてるんです。」

――もう一段、高次の存在に進化するということですか。

「そういうことです。猿人から原人、原人からホモ・サピエンスになったように、もう一段上に、パッと飛躍する。そして、進化した向こう側から我々の側を見ると、まるで、我々が猿人を見ているくらいの差がついて見えるんじゃないかと思います」

――その未来人類というのは、どういう存在になるんですか。また、脳容積が飛躍的に増えるんでしょうか。

「脳容積が、これ以上増えないと思うんです。もう脳の大きさは、出産を考えて、生理的限界なんですね。それに、脳の大きさが変わると、頭から顔から、形態的にも生理的にも、すっかり変わってくることになる。そういう変化は起きなくて、脳の使い方が変わるだけで、まだ飛躍できる余地がある。まだ脳の半分は遊んでいるといわれていますからね。姿形は大して変わらなくて、精神能力だけが大きく向上する」

――たとえば、どういうふうになりますか。

「たとえば、人類の多くがキリストとかマホメットとか、ああいう偉大な精神能力を持った人間になるという可能性がある。進化というのはいつもそうなのですが、突然全く新しいものがドッと出てくるわけじゃなくて、はじめ集団の中にポツリポツリ進化的に先を行くものが出てきて、それがやがて一般化するわけです。だから、あの人たちは、未来人類の先駆者だったのかもしれない。だけど、彼らは、脳容積が二倍だったわけじゃない。だから、脳容積は同じでも、あの辺まではいけるんじゃないでしょうか」

――キリストやマホメットなどというと、大昔の人のような気がするけど、進化史のタイムスケールでいったら、我々と同時代人のわけですね。

「キリストやマホメットを持ち出すと、何か宗教的なものばかり想像してしまうかもしれないけれど、必ずしもそういうことではなくて、重要なのは、精神的能力、すなわち脳のはたらきが飛躍的に増大するだろうとことです。そして、そういう変化は、精神活動の活発な人間の中からうまれてくるだろうと思うんですがね」

                *

 人類全体もですが、ともかく日本にも、この危機的状況をバネにしてより高次な存在へと飛躍的な意識進化を遂げる人々――たぶん大多数はかなり若い世代でしょう――が出現・創発する可能性がある、というところに……というところにだけ、希望があるのではないか、と私は思っています。

 ただし、現状の平均的人類がキリストやマホメットのレベルにという大変な飛躍を遂げるのは当面、当分、無理でしょうし、幸いにして今はそんなに高いレベルまで必要なのではなく、情緒的に目先の損得や好き嫌いでものを考えてしまうというレベルから理性的なレベル、しかも自分や自分たちだけにとって短期に理性的(合理的・有利である・都合がいい)ではなく、自分や自分たちと他の人や生き物すべてにとって中長期に理性的(合理的・有利である・都合がいい)に考えられるという統合理性(K・ウィルバーの用語では「ヴィジョン・ロジック」)的なレベルにまでは飛躍する必要がある、ということだと思われます。

 今の日本人、特にリーダーに欠けているのはそれであり、それなしではもう先に進めない、このままではずるずると茹で蛙的に衰退―滅亡に向うのではないか、と深く憂慮しています。

 そんな大げさに言うほどの危機ではないのでしょうか?

 既成のリーダーの方々がやっている対応・対処で、なんとかなるのでしょうか?「任せとけば、なんとかするだろう」と思っていいのでしょうか?

 あるいは逆に、「もうどうしようもないから、特に何もしない、できない」というところまで行ってしまっているのでしょうか?

 どう思われますか、読者のみなさん。



コメント (6)
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